2022年5月に始めた九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。先に始めた九州西国霊場めぐりが終わらないうちにこちらの札所めぐりも加わり、ここまで4回の巡拝で福岡県内を回って今回は北九州シリーズである。
北九州市内には、第17番・阿弥陀院(八幡東区)、第18番・徳泉寺(戸畑区)、第91番・真光寺(小倉南区)、第92番・不動院(門司区)と4つの札所がある。当初からの番号順の札所と、後に追加された90番台が同居している。今回はこれらを一度に回るのだが、それぞれ駅からの徒歩または路線バスで行くことができることもあり、どの順番にするかはいろいろシミュレーションした。クルマを使えばこうした悩みもなくあっさりと回れるのだが、鉄道、バスでアクセスできるところは最大限利用したいところである。
行くのは11月だが、11月の九州といえば大相撲九州場所が開催される。大相撲の本場所のうち、これまで福岡で観戦したことがなく、九州に行くのならせっかくなので相撲も組み合わせたい。ということで、まずは発売開始に合わせて九州場所のチケットを確保した。スケジュールとして14日目(11月26日)、千秋楽(11月27日)のいずれかだが、せっかくなら千秋楽を観ようということで11月27日のチケットを押さえた。九州場所は東京、大阪、名古屋と比べてチケットの売れ行きは芳しくないと言われているが、さすがに千秋楽は当日までに満席となった。
こうして、26日には北九州シリーズで九州八十八ヶ所百八霊場、そして27日は福岡での相撲観戦というセットになった。そして、福岡での相撲観戦の前に、九州西国霊場の第32番・龍宮寺の参詣も付け加えることにした。巴戦にまでもつれた末、阿炎の初優勝で終わった大相撲千秋楽観戦記は後々書くことにする。
ただ、26日の宿泊地はいろいろ迷ったし、難航した。全国旅行支援もあって北九州市内、あるいは福岡市内のホテルも軒並み満室、または便乗値上げもあり確保が難しかった。26日の巡拝が終われば広島に帰宅し、そして翌27日の朝に再び福岡に向けて出発したほうが安上がりかと思ったこともある(重い荷物を持って行かなくてもいいし・・)。ただ直前に小倉駅前の東横インに空きが出たのでこちらを押さえ、九州での1泊ということで落ち着いた。同じ北九州でも黒崎や八幡に泊まるとまた違った姿を見ることができたのだろうが。
26日、広島6時43分発の「さくら401号」に乗車する。まずは小倉に向かうが、この日で4ヶ所を回るので、いつもの「こだま781号」より早めに小倉に着く便にした。
7時40分、小倉に到着。まずはコインロッカーに荷物を預ける。ここからまず戸畑に向かうか、門司に行くか、日豊線に乗るか。
選んだのは、8時04分発の日豊線行橋行き。最初に下曽根まで行き、第91番の真光寺に向かうことにした。その後のバス移動を考えて、まずは路線バスの行き止まり線にあるところを押さえることにする。
下曽根は小倉近郊の駅で、南口側には商業施設も集まっている。弥生が丘営業所行きの西鉄バスに乗車する。真光寺の最寄り停留所は貫弥生が丘3丁目である。
バスは田園風景と住宅街が広がる一帯に入る。奥にそびえるのは貫山だろうか。弥生が丘はその手前に広がる住宅街で、平成になって西鉄が開発したエリアという。この弥生が丘も含めて、小倉南区は近年になって宅地開発も進み、北九州市の中でも人口が増えているえそうだ。
下曽根から20分あまりで貫弥生が丘3丁目に到着。バスはここでロータリーを使って折り返し、弥生が丘営業所に向かう。すぐ近くに東九州自動車道の高架橋が通っているが、ゆったりした一戸建ての住宅街、公園が広がる。ただ、ゆったりした住宅は広がるものの、周りにはスーパーやコンビニは見えず、買い物はしんどいだろうなと思われる。余計なお世話だろうが。
東九州自動車道の高架橋の下に階段、歩道がある。地図でこの道を見つけたから貫弥生が丘3丁目から真光寺に行こうと判断したことで、気づかなければ手前のバス停で下車してそれなりの距離を歩くところだった。
そしてやって来た真光寺。山号は貫山である。駐車場の看板には開山1239年(延応元年)とある。その一方で「お寺サロン」や「断食道場」、「お茶べり堂」などの文字も見える。800年近い伝統を持ちながら、サロンやカフェの形で親しんでもらおうというスタンスの寺なのかなと思う。
建物の周りには石仏もさまざまあり、不動明王の護摩祈祷の道場もある。「身は華と與に落ちぬれども 心は馨り将に飛ぶ」の石碑は弘法大師の言葉である。
奥の建物が本堂である。訪ねたのが8時台だったこともあるが、住職不在の書置きもあり建物は開いておらず、その前でのお勤めである。
真光寺を開いたのは全国を修行で回っていた阿聖上人で、貫山に紫雲がたなびくのを見て庵を結んだとされる。後に周防の大内氏の豊前進出の本陣となり、戦勝後に祈願寺として伽藍を再建したという。江戸時代には小笠原氏の保護を受けたが、幕末の第二次長州征伐では長州側からの反撃に遭い、伽藍を焼失した。その後は阿弥陀如来を本尊として細々と営み、現在に至っている。住宅地ができたのはもちろん後のことだが、真光寺があったから住宅地が広がったのかどうか、来た限りでは何ともいえない。
その前に、「第91番」として九州八十八ヶ所に後から加わるにいたった事情はわからないが、貫山というところに何かポイントがあったのだろうか。
ともかく百八霊場の一つを回ったということで、貫弥生が丘3丁目バス停から9時20分発の四季彩の丘行きに乗る。それぞれ「〇〇が丘」というのがどこにあるのか、地元の人でなければイメージが難しいところだが、このバスが下曽根駅を経由するということはわかる。
ただ、西鉄バスのサイトで検索すると、次に目指す第92番の不動院に向かうのなら、下曽根駅ではなく少し先にある寺迫口まで行くのがよさそうとの結果・・・。