まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第5回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第18番「徳泉寺」(戸畑から渡船で若松へ)

2022年12月18日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

第17番の阿弥陀院から第18番の徳泉寺に向かうため、戸畑区役所でバスを降りる。道路の向かいに昔ながらの建物がある。戸畑図書館だ。元は戸畑市庁舎として建てられたが、保存を願う地元の人たちの思いから図書館として活用されることになり、内部もリニューアルされたという。

ここから通りを行く。偶然だろうが寺、PL教団、キリスト教の教会が並ぶ。

先ほどから1つ隔てた通りに出る。周りにビルが立ち並ぶ通り沿いに山門がある。乗っている時は気づかなかったが、バスで通った道である。戸畑区役所よりも天神一丁目、天神二丁目バス停のほうが近かった。

徳泉寺が開かれたのは大正時代。佐伯心海が北九州に延命地蔵を本尊とした大光坊を開き、昭和戦前に現在地に移って徳泉寺となった。戸畑のお地蔵さんとして地元の人に親しまれている。九州八十八ヶ所百八霊場であるとともに、九州二十四地蔵尊霊場の札所でもある。

コンパクトな境内には弘法大師像、地蔵菩薩像などさまざま建っている。元からこの広さだったのか、あるいは当初はもう少し広かったが街の開発とともに縮小したか。

こちらの建物は地蔵堂で、九州二十四地蔵尊霊場の本尊はこちらの延命地蔵のようだ。

本堂の扉が開いており、中に入ってのお勤めである。

テーブルに朱印が置かれ、セルフで納経帳に押印する。またお供えのお下がりが置かれていて、ご自由にとある。せっかくなので缶ビールとワンカップを頂戴する。

これで今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの4ヶ所が終了した。思ったよりも順調に来ることができたと思う。なお、次のシリーズは大分県に入り、中津、宇佐地区となる。今のところ、年明けの巡拝を予定している。

このまま宿泊地の小倉に戻るのは早いかなということで、久しぶりに若戸渡船に乗ってみよう。そのまま戸畑駅方面に歩き、線路下をくぐって駅の北側に出る。若戸大橋の姿も少しずつ大きくなる。

若戸大橋は1962年に開通し、当時は「東洋一の吊橋」と呼ばれ。重厚長大産業で発展した北九州の象徴ともいえた。そして今年、国の重要文化財に指定された。重要文化財というと昔の建造物をイメージするが、戦後に建造されたものも指定されるのだなと感心する。

大橋のたもとに渡船乗り場がある。クルマなら橋を渡ればすぐだが、歩行者、自転車は橋を渡ることができない(以前は歩道もあったそうだが)。この渡船は明治時代から運航されており、現在も運賃100円、自転車はプラス50円で利用できる。

若戸渡船、そしてこの先の若松の町並みといえば、今から20年くらい前か、大分麦焼酎「二階堂」のCMロケ地になったのが印象的である。「二階堂」のCMは九州の懐かしい景色が舞台になることが多く(その中で、山口県の本山支線を走っていた旧型国電のバージョンも印象的だった)、旅情をかきたてる。

地元客、観光客数名、そして自転車も2台乗って来て出航。対岸まではわずか3分だが、鉄道やバスとはまた違った非日常感を楽しむ。

若松に到着。こちらに来たら若松駅まで行こう。若松は明治から大正にかけて石炭の積み出しで栄えた港である。その時に築かれた護岸などが土木遺産に認定されている。また、海運会社の建物も残る。

石炭を船に積み込む労働者を「ごんぞう」と呼んでいたが、「ごんぞう」の小屋を復元した建物があり、資料が展示されている。門司港レトロとは一味違うが、往年の佇まいを残す一角である。

筑豊から鉄道で運ばれた石炭の終着駅である若松駅に着く。広い石炭ヤードも現在は住宅地等に開発されているが、広場の一角に蒸気機関車が残されている。もっとも、長年外に置かれているせいか傷みが激しいが・・。

若松~折尾間は非電化の「若松線」だが、最近は「DENCHA」の登場で様相も大きく変わった。これで折尾まで移動することに・・・。

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