まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第22回中国四十九薬師めぐり~松下村塾、松陰神社

2022年12月27日 | 中国四十九薬師

タイトルだけを見ればバリバリの萩の観光旅行なのだが・・。

益田からの列車で東萩に到着したのが10時43分。そして、東萩から乗る予定にしているのが14時24分の長門市行きである。長門市行きの少し前、14時13分に観光列車「〇〇のはなし」が発車する。全車指定だが当日でも空席はあるようだ。ただ、今回は長門市から美祢線に乗ることにしており、「〇〇のはなし」は東萩からいったん仙崎を経由するため長門市に着いても予定の列車に間に合わない。無理に短区間乗ることもなく、後発の鈍行まで3時間40分ほどの時間を萩で過ごすことにする。

これが何もないところでの3時間40分なら持て余すところだが、萩は世界遺産にも登録されているスポット、見どころには事欠かないだろう。まして、目指す中国四十九薬師の札所・円政寺は城下町の中にあるので、そこに向かうだけでも萩の観光を兼ねることができそうだ。

東萩駅。この夏、中国四十九薬師めぐりの第17回では、「〇〇のはなし」で下関から東萩にやって来たが、到着後はそのままレンタカーに乗り、萩往還を過ぎて第28番の常福寺に向かった。その時は参詣後、秋吉台を経て新山口に出た。今回で遅ればせながら萩市内観光である。

以前来た時、駅を出て左手に進んだトイレの手前にコインロッカーがあり、荷物を預けてレンタサイクルに乗った。今回もそうしようと向かったのだが・・・確か自動販売機の横にあったはずのコインロッカーがなくなっていた。観光地の玄関口であるはずの東萩駅だが、来るたびに何かがなくなっているように思う。みどりの窓口どころか駅員の姿もなくなり(時間帯によっては窓口を開けているようだが、指定席等の取り扱いはない)、そしてコインロッカーもなくなった。まあ、列車本数を見れば致し方ないのかな。観光客は新山口などからバスで来るだろうし・・。

ならばレンタサイクルを利用して、お願いすれば荷物も預かってくれるかもしれないが、外の天候も怪しく、途中で雨に遭わないとも限らない。結局、荷物を預けるのはあきらめて、そのままの形で町中を歩いて移動することにした。まあ、3時間半もあれば最低限のスポットは徒歩でも回れるだろう。

まず、駅の東にある松下村塾に向かう。やはりここは外せないだろう。

沿道に、「萩城下町マラソン」にともなう交通規制の立て看板が目立つ。当日(12月11日)開催で、ハーフマラソン、5キロの2つの種目で行われるとある。到着した時はスタート時刻からかなりの時間が経過していたこともあり、ランナーの姿を見ることはなかった。ただ、ネット記事を見ると、このレースにはゲストランナーとして、元公務員、現在はプロの川内優輝さんも走っていたそうだ。あらかじめ情報を入れて、もっと早い時間に萩に入っていれば(その場合、前泊は浜田ではなく少なくとも益田にする必要はあったが)、城下町の景色とプロランナーの競演が観られたことだろう。

松下村塾に到着。正しくは、松陰神社に着いたというべきかな。

その松下村塾の建物だが、この日、講義室には10名あまりの人が腰を下ろしており、何やら講義を受けていた。建物の外では制服姿の人がその様子を見守っており、その時は一瞬、自衛隊とか、ひょっとしたらライトスタンドの人たちの関係なのかなと思った。そっち系の人なら、松下村塾を訪ねるのもわかるな・・という印象。

神社に手を合わせる。

参詣を終えると、先ほど講義室にいた団体の姿は消えていた。

宝物殿至誠館に入る。吉田松陰の生涯を顕彰するとともに、松陰が他に宛てた手紙や書、その他遺品が展示されている。松陰は(と呼び捨てにすると、萩の人たちからシバかれるのだが)、享年29歳。そのわずかな生涯で後の日本に貢献する多くの人材を育てたとされる。その一言一句がありがたいもので、当然のことながら神として祀らねばならない。令和の現在にあっても、ここで松陰の(だから呼び捨てはやめなさい)悪口でも言おうものなら、その瞬間にしょっ引かれることだろう。そうした殺気を感じる。

宝物殿と反対側には歴史館がある。ここは松陰の(だから呼び捨ては・・・)生涯を蠟人形も豊富に使って紹介しているが、ここは私にとって悪い印象しかない。中国観音霊場めぐりで真夏の萩を訪ねた際、この建物に入ったのだが冷房が全く効いておらず、扇風機の風だけだった。そのため体力を大きく消耗し、その後市内の2ヶ所の札所をレンタサイクルで回ったのだが、東萩駅に戻って来た時は半ば熱中症だった。その後益田まで朦朧状態で列車に乗り、益田のホテルでようやく整った。この歴史館では、山口県出身の総理大臣を誇らしげに蠟人形で紹介していたが、8人目の、ほらあいつ・・・油谷の・・・はその後人形になったのかな?

松下村塾を後にして、そのまま城下町に向けて歩く。ちょうど駐車場から「WEST EXPRESS瑞風」のマークをかたどったマイクロバスが出発した。先ほど松下村塾の講義室に上がっていたのは、ひょっとしたらこの観光列車の利用客だったのかな・・?

そしてしばらく進むと山陰線の踏切が見える。少し離れたところだが遮断機が下りるのが見え、そこを長門市方面から通過したのがまさに「瑞風」の編成だった。ツアー専用なので列車、乗客の動きがわからないのだが、先ほどのマイクロバスの動きから見て、ツアーのオプションで松下村塾や萩の城下町を訪ねるプランがあったのかもしれない。まあ、生涯乗る機会がなさそうな列車なのでどうでもいいのだが・・・。

このまま、荷物を両肩に負った状態で萩の中心部に向かう。直線距離なら知れているのかもしれないが、まっすぐ進むというのもなかなか気分的にしんどいもので・・・(本来なら寺の参詣まで書かなければスケジュールが厳しいのだが、ここまで長くなったので続きは次回に)。

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