まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

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和歌山11番「丹生官省符神社」~神仏霊場巡拝の道・33(高野山の神仏習合)

2022年12月01日 | 神仏霊場巡拝の道

高野山へ向かう道すがら、まずは女人高野として信仰を集めている慈尊院に参詣。その後で境内に続く石段を上がり、その上にある丹生官省符神社に向かう。高野山への町石道でいえば起点の180丁から179丁に進む形である。この神社も世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部である。

弘法大師が真言密教の道場となる場所を探して紀伊山地に入った時、猟師の姿に扮した狩場明神に高野山の存在を教えられ、その使いとして2匹の犬に導かれて高野山に入った。後に弘法大師は高野山の地を賜り、そのお礼として狩場明神とその母である丹生都比売大神を祀る丹生高野明神社として開かれた。高野山は神仏習合の先駆けであり、丹生高野明神社は天と神に通じるところとして、慈尊院とも一体の関係であった。

明治に神仏分離となったが、「丹生官省符神社」という名前になったのは戦後のことである。「官省符」とは「官省符荘」という高野山が持っていた荘園からつけられた名前だという。もちろん戦後は律令制や荘園といった制度はないのだが、名残ということだろう。

拝殿にて手を合わせる。奥の本殿は10月に20年ぶりの修復作業を終えたばかりだという。

朱印をいただく。「奥の本殿が世界遺産ですよ」と案内してくれる。ちなみに、朱印は「一部の格式高い神社価格」の500円(どうでもいい情報だが)。それにしても、石段で境内がつながっているものの慈尊院とは別扱いである。最近でこそ、こうした神仏霊場巡拝の道が発足したおかげで、高野山の町石道に沿った寺社も同じ歴史をたどってきた同士ということで一つのルートになることができたと言える。

玄関口である慈尊院、丹生官省符神社を後にして、これから高野山への上りである。しばらくは紀ノ川沿いの富有柿の木が両側に広がる一帯を過ぎる。さすがに11月中旬となると収穫も終わっている。

地図ではもう少し東側の道から上れそうだったが、カーナビが案内したのは東渋田交差点から国道480号線のルート。コンパクトカー1台くらいなら通れない道ではないだろうが、何か事情があるのだろう。そのまま国道を上がることに。それでも結構急な上りが続く・・・。

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