まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第5回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第17番「阿弥陀院」(皿倉山、帆柱山を望む)

2022年12月17日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは午後からの後半戦である。小倉から鹿児島線で3駅、戸畑で下車する。戸畑からは第17番・阿弥陀院、第18番・徳泉寺の2ヶ所を回るが、まずは路線バスで南側にある阿弥陀院に行くことにする。

駅のホームから赤い若戸大橋を望むことができる。戸畑駅には以前にも下車したことがあるが、その時は橋の下を通る若戸渡船に乗るのが目的で、駅の南口に出るのは初めてである。ロータリーにはバスが頻繁に出入りする。その中でやたら「製鉄飛幡門」という行き先表示が見えるが、日本製鉄(戸畑地区)へのアクセスとなる系統のようで、通勤需要もありそうだ。

八幡駅行きのバスに乗る。八幡駅行きといっても経由地によっていくつか系統があり、戸畑区役所などがある中心部から天願寺通りを行く。これから阿弥陀院に行くが、交通に関しての案内がない中で地図と西鉄バスの路線図をにらめっこして、美術館口が最寄りのバス停であることがわかった。そして今の時間と合わせて、八幡駅行きに乗った次第である。

途中、鉄道の線路の下をくぐる。こんなところに鉄道があったかなと思って地図を見ると、日本製鉄(戸畑地区)から伸びているようだ。通称「くろがね線」というそうで、日本製鉄の戸畑と八幡の両地区を結ぶ専用線である。開業したのは昭和の初めで、当初は戸畑から八幡に銑鉄を輸送し、八幡から戸畑には鉄の精錬で発生する鉱滓を輸送したという(鉱滓は戸畑にて埋め立ての材料に使われた)。現在は半製品の輸送等に使われているそうだ。

美術館口に到着。ちょうど戸畑区と八幡東区の境目である。美術館とは北九州市立美術館のことである。美術館とは反対方向の坂道を上がり、住宅の間を抜ける。ちょうど高台で、南の方向には山を切り開いた住宅街が続く。その向こうにひと際高く見える山は皿倉山のようだ。北九州市街の夜景スポットということで、今回の北九州シリーズにあたっては八幡、黒崎あたりに泊まってケーブルカーで夜景を見に行こうかとも考えたこともあったが・・。

「別格本山」の文字が見える。九州八十八ヶ所百八霊場の第17番であるとともに、九州三十三観音霊場の第3番とある。この九州三十三観音霊場は、現在私が回っている九州西国霊場とは別のもので、関西にもある「ぼけ封じ観音霊場」の九州版である。

参道で石仏の出迎えを受け、本堂に向かう。こちらには「帆柱新四国霊場」の文字もある。明治時代、帆柱山、皿倉山の麓に広がる現在の八幡東区、八幡西区、戸畑区一帯に設けられた霊場めぐりである。四国八十八ヶ所を巡拝した人たちが、なかなか四国まで行くことができない人のために発起して開いたことだろう。

本堂の扉が開いていたので中に入り、お勤めとする。阿弥陀院は元々京都の醍醐寺の塔頭寺院の一つだったそうで、開かれたのは鎌倉時代とされる。明治の半ばに京都から北九州に移って来た。明治の神仏分離、廃仏毀釈の影響で荒廃していたのを、北九州の篤信家が招聘したとのことである。寺の名前は阿弥陀院だが、本尊は不動明王であるのはこれいかに。そして元々醍醐寺の塔頭ということで「五大力」の文字も見える。

本堂の他には多宝塔、祖師堂がある。さらに進むと「虚子像」がある。歌人の高浜虚子のようだが、過去にこの寺を訪ねたことがあったのかな。一番奥には歓喜天を祀っているらしいお堂もあったが、扉が閉まっていて中の様子はわからなかった。

一通り回り、本堂の中には朱印の印鑑が見当たらなかったので、入口の寺務所かなと思うと、寺の方が玄関の扉を開けて待っていた。先ほど本堂に入ったのがセンサーか防犯カメラかで伝わったのかな。納経帳を預かるといったん奥に入り、「お接待」としてペットボトルのお茶とお菓子を持ってきてくれた。かえって恐縮である。

美術館口のバス停に戻る。北九州市立美術館の展示会の案内もあるが、さほど私の興味を引くものではなかったこともあり、そのまま戸畑駅方面に戻る。

次に向かう第18番・徳泉寺だが、先ほどバスで通った戸畑区役所にほど近いところにある。戸畑駅まで戻らず区役所前のバス停で下車して、この日最後の札所に向かう・・・。

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