高野山に上る途中、和歌山12番。丹生都比売神社に向かう。国道480号線から県道4号線に入り、どんどんと山奥に入っていく。神仏霊場巡拝の道の札所の中でもアクセスが難しいところではないかと思う。紀伊山地の奥深くに来たなと感じるが、紀伊半島の地図をよく見ると、この辺りは和歌山県のほとんど北端に近く、大河である紀ノ川からちょこっと奥に入ったにすぎない。
トンネルを抜けると辺りが開けてきた。この辺りは天野盆地という。世界遺産の文字も見えて、駐車場も広く取られている。先ほど訪ねた慈尊院、丹生官省符神社は時間が早いこともあって他の参詣者の姿を見なかったが、こちらでは何台かクルマが停まっており、七五三の祈願に来たらしい家族連れも見られる。
駐車場にバス停がある。地元かつらぎ町のコミュニティバスのほかに、観光シーズンには橋本駅~丹生都比売神社~高野山を結ぶ臨時バスも出ている。こうしたバスを使えばアクセスは楽だが、次の便まで神社での滞在時間がちょっと長すぎるかなと思う。途中の高野山町石道歩きとセットで使うのもいいかもしれないが、いずれにしても1日がかりとなる。私の場合、遠方から来たことを理由にして、クルマで一気に回る手段を選んでしまう。
鳥居をくぐって参道に入る。鳥居、太鼓橋と紅葉がよく映えているが、予報通り雲が広がっていて、今にも雨が降るかという空模様なのが残念である。あ、ちょっとパラッと来たかな・・。
丹生都比売神社が創建された年代は定かではないが、丹生都比売神が紀伊山地のあちこちを回った後、最終的にこの天野盆地に落ち着いたという説もある。この神仏霊場めぐりでも、吉野の地に丹生川上神社というのが登場しており、歴史的なつながりもありそうだ。
弘法大師が高野山を開いた際、猟師に扮した狩場明神の導きにより、2匹の犬に案内された言い伝えがある。また、これと合わせて、地主神である丹生都比売神社から神領を譲られたという説もある。丹生都比売神社のホームページには「弘法大師に高野山を授けた神の社」という表記もある。後に、神社は高野山に帰属するようになり、高野山の荘園には丹生神社が建てられるようになったという。その一方で、丹生都比売神社には多宝塔や護摩堂などが建った。神仏習合の景色がごく普通に存在していたのである。
明治の神仏分離で丹生都比売神社は独立した神社となったが、高野山との結びつきは変わらず、慈尊院と金剛峯寺の中間に位置することもあり、徒歩で上る場合は途中の丹生都比売神社に参詣するのが習わしとされる。現在は神仏霊場めぐりもあることから、高野山の僧侶がここに立ち寄り、般若心経を唱えることもあるそうだ。拝殿に張られた幕も、これを寄贈したのは「高野山別格本山 本覚院檀家一同」とある。
紅葉のスポットであるのは間違いないが、ここに来てやはり雨となった。クルマまで早足で戻る。
そして高野山を目指す。カーナビは先ほど通った県道4号線で国道480号線まで戻るルートを示すが、現地の標識では県道109号線を示す。確かに狭い箇所もあるが、走行するには問題ない。途中、丹生都比売神社を経由する路線バスともすれ違う。
そして国道480号線に入るが、ここからは上り坂、急カーブが連続する。そしてここに来て雨も本降りになって来た。まだクルマを運転して濡れないで済むだけマシである。雨雲のため、周囲の山々の景色も霞んでほとんど見えない。途中、何台かのクルマに道を譲りつつ、そこは自分の運転しやすいペースで進む。
途中工事のため片側交互通行の区間もある中、大門に到着。ようやくホッとした。高野山金剛峯寺の入口として、本来なら一度クルマを降りて、改めて大門で一礼するところなのだろうが、道なりにそのまま参道に入った。近くに駐車スペースがないし、雨が強いこともあって・・・。
紅葉の時季、高野山の中は渋滞が発生し、駐車も困難という記事があったので心配していたのだが、この日は雨だったのが幸いしたのか、クルマの通行には支障はなかった。そのまま道なりに進み、金剛峯寺の金堂前の駐車スペースに到着。神仏霊場めぐりの札所は金剛峯寺ということで、まずはクルマを置き、壇上伽藍を経て総本山に向かうことに・・・。
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