まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

芸能関係者に150万円給付ですって(怒)

2020年05月27日 | ブログ

人をおちょくるのもええ加減にせえよ。

芸能関係者に一律150万円を給付するのだとか。

これって、一部の芸能人(と称する連中)が「黒川氏を辞めさせろ」とかいうのをツィッターで拡散していた、あるいはその前に一部の大御所(と称する輩ども)が芸能人に経済的支援をしろとかほざいていたのに対する誠意だという。

何やねん、だから何で特定の産業に対して優遇措置をするのか。

やっていることは「お肉券」「お魚券」と何ら変わらないし、その政権批判のツィッターをかわすための措置。大きな声を挙げたら何でもするのか。

・・・そもそも、このコロナ禍で、貴様ら「芸能関係者」は何をしたのか? そもそも「芸能」が何か役に立ったのか? こういう状況下でゴルフ場や沖縄に行って女性と遊んで、勝手にコロナに感染して、なおかつ優先的に治療を受けることができる身分。

わけのわからん善意の押しつけのリレー動画とか、安倍が犬を抱いて紅茶を飲んでいる動画を広めさせるなど、世の中に不快を与えただけではないのか?

NHKのインタビューで、何とかいう日本人男性なのにカタカナの女性名を名乗っていた舞台関係者が芸術の危機とか言っていたが、何を寝言をいっているのやら。

世の中にはもっと危機感や差別、偏見の下で黙々と働いている人たちがたくさんいる。

芸能人の何が偉いのか。

 

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『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行~第23日(尼崎~松崎)

2020年05月27日 | 机上旅行

1978年『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行も関西から中国地方に入る。机上旅行では前回西明石からJR神戸線で戻った尼崎でいったん打ち切って帰宅したことにしており、次の日はこの後のJR宝塚線~福知山線に入る。

『最長片道』の宮脇氏は、尼崎をそのまま通過して大阪駅に出ている。切符の経路は尼崎から福知山線に入るが、この大阪~尼崎も経路計算の特例が適用されて、塚本や大阪で改札口を出なければ有効である。尼崎を通過する列車があるための措置である。現在の尼崎は新快速だけでなく特急「こうのとり」も停車するので、実際には大阪まで行かずとも尼崎乗り換えで便利になった人が多いが、現在でもJR神戸線を経由する特急「はまかぜ」や「スーパーはくと」は尼崎を通過しており、この特例は生きている。

『最長片道』では急行「だいせん1号」に乗っている。私も大昔に「だいせん」に乗ったことがあるが、その時は夜行急行だった。エーデル北近畿という名前だったか、運転台の後ろが名鉄パノラマカーに似た展望席に改造された気動車に乗った記憶もある。

現在はJR宝塚線として、京阪神の通勤路線の一つとして賑わう福知山線(あの列車脱線事故もあったが)、『最長片道』の当時は宝塚まですらも電化されておらず、大阪駅からディーゼル機関車に引っ張られた客車列車が走るのんびりした路線だったそうだ。宝塚方面の輸送は阪急電車一択の様相。尼崎~宝塚間の電化は1981年、その先福知山までの全線電化は1986年のことである。

尼崎では福知山線の支線というのがあった。尼崎港線という通称があり、現在はもちろん廃止されていくらか形跡があるかなという程度だが、かつての線形を見ると福知山線というのは尼崎港に向かうのが本来の設計で、大阪方面に後からわざわざカーブをきる線路を敷いたように見える。もっとも今はJR東西線が尼崎に伸びたこともり、この辺りの線路は実に賑やかなことになっている。

さて宝塚を過ぎ、宝塚から先の電化にともない、生瀬~武田尾の渓谷沿いの路線も新たにトンネル、高架橋で結ばれることになった。『最長片道』で宮脇氏も武田尾辺りの渓谷の景色をほめていたが、「複線化などしたら見えなくなること必定」という感想も持つ。当時「福知山線路線変更反対」という立て看板もあったようだ。たいていは「複線電化を!高速化を!」という看板が目立つものだが・・。

そうした動きもあってか、1986年に複線電化された結果当時の線路は廃線となったが、いつしか渓谷沿いのハイキングコースになっている。当初はJRとしては安全面から立入禁止の立場だったが、現在ではコースとして整備され、シーズンには大勢の人が訪ねるスポットになっている。

篠山口を過ぎて、谷川から加古川線を南下する。こちらも『最長片道』当時は非電化路線だったが、1995年の阪神淡路大震災の時に「迂回路線」の役割を担ったことから注目され、全線の電化工事が行われた。一方当時は鍛冶屋線、北条線、三木線といった支線が出ていたが、現在残るのは第三セクターの北条鉄道のみ。『最長片道』では乗ったのが昼下がりということで静かさ、けだるさという印象が持たれているが、現在でも確かに淡々と走るかなという印象の路線である。

加古川から姫路に移動して、ここから中国地方に向かう。『最長片道』で乗るのはここでも急行である。「みささ3号」倉吉行きと、「みまさか3号」月田行きの併結列車である。現在大阪と鳥取の間は、特急「スーパーはくと」が智頭急行を経由して高速で結んでいるが、当時は姫新線経由の急行というのがあった。現在の姫新線は急行はおろか、途中の津山まですら直通の普通列車もなく、姫新線という一つの路線なのに、終点の新見まで行くとなるとそれだけで半日仕事になってしまう。これから姫新線を細切れに乗り継いでいくが、その前に駅ホームの「駅そば」で腹ごしらえだ。

姫新線の当時の車窓で、宮脇氏は家の屋根の形の複雑さに注目している。現在でもこうした家は残っているのか。今度リアルにこの線を訪ねることがあれば外を注目しよう。

現在はワンマン運転の気動車がトコトコ走るが、のどかな景色を行くのはいいものだ。智頭急行と合流する佐用まで来るが、ここまで来てもまだ兵庫県である。佐用から津山行きのワンマン列車は途中スピードを落とす区間もあり、そろりそろりと走っていつの間にか岡山県に入る。

因美線の分岐駅である東津山に着く。このまま終点の津山まで行っても次の因美線の列車は同じなのだが、ここは経路にのっとって東津山でいったん下車する。駅前は国道53号線も走り、商店もいろいろあって思ったほど辺鄙なところではない。

『最長片道』では東津山は通過して津山に到着する。津山で「みまさか3号」月田行きを切り離し、代わって岡山からの急行「砂丘4号」を併結する。これも急行列車ならではの運用である。その結果因美線を合計10両で走るのだが、乗客はガラガラのようで、「だいたい因美線に10両編成なんて長すぎますわな」と運転士たちも雑談している。

この岡山発鳥取行きの急行「砂丘」も現在はなく、智頭急行経由の「スーパーいなば」である。ただこの「いなば」、岡山から鳥取に行くのに、わざわざいったん兵庫県に入って、上郡から智頭急行に入る。ちょっと落ち着いて考えよう。それでも「砂丘」より所要時間が短くなっているのも不思議なこと。それでも津山線はまだ県の南北を結ぶ路線だからよいとしても、因美線の県境越えの区間はJTB時刻表の冊子でも別枠となっている。

津山~智頭は優等列車に見放されたローカル区間だが、現在は年に何回か「スローライフ列車」というのが走っている。キハ47をかつての国鉄風にわざとアレンジして、かつての「汽車旅」の風情を味わってもらおうというものである。列車の運転に合わせて途中の駅でもイベントが行われるが、最近では飯田線の秘境駅とか、こうした「ローカル線の雰囲気を楽しむ」とか、こういうものが商品となり、指定席も早々に完売して当日は撮り鉄も含めて多くの人で賑わうのだから、世の中わからないものだ。私も人のことは言えないが。

そのうち、「秘境駅、ローカル列車に県外から多くの人が殺到して『3密』になってます!!」というわけのわからんリポートも出てくるのだろう・・(もう出ているか。現に、先日廃止になった札沼線の末端区間について、そういう状況、リスクを避けるために運転休止の日を突然前倒しにしたし・・・)。

『最長片道』。ガラガラでも急行は急行で、「みささ3号」は、津山で27分停車したのも含めても4時間半ほどで倉吉に到着。一方2020年の机上旅行では、鈍行乗り換えが続いたこともあり、姫路から6時間以上乗り続けた。『最長片道』と同じく鳥取で夕方を迎えた。

『最長片道』でも時間的には鳥取泊でもよさそうだったが、翌日の行程を考えて倉吉まで進んでいる。しかし、倉吉は駅と町の中心部が離れているところで、駅前には旅館、ホテルの類が見えなかったとある。急行列車の名前でもあり、有名な三朝温泉もあるが翌日の行程を考えると宿泊は難しい。そこで、1駅手前の松崎まで戻り、駅前の旅館に泊まっている。ここなら翌日の行程にも支障がないとの判断である。

この旅館は宮脇氏にとって「当たり」だったようだ。岩風呂に満足し、「板前が忘年会で出ておりまして」と恐縮される中で松葉カニの鍋を堪能し、宿の番頭が不調法にむいたという柿を全部食べたりと、元気を取り戻したようである。「取材ノート」によれば「一ふじ」という旅館のようで、これは現在も東郷湖のほとりで営業しているようである。

机上旅行はどうするか。手前の鳥取で泊まってもいいし、倉吉の駅前にも新しいビジネスホテルができている。ここはせっかくなので、「一ふじ」にするかはともかく、宮脇氏と同じく松崎の東郷温泉に泊まるのも面白いだろう。冬ならばカニを味わうこともできるが、そもそもこの机上旅行はどの季節を選んでいるのかわからない。この場所は夏に来たいとか、冬に来たい、紅葉の時季に来たいなどと好き勝手なことを書いている。まあ、それが時間と空間を自由に漂う机上旅行なのかもしれないが・・・。

 

※『最長片道』のルート(第24日続き)

大阪9:50-(「だいせん1号」)-11:24谷川11:28-(加古川線)-野村12:11-(加古川線)-13:09加古川13:17-(山陽本線新快速)-13:32姫路13:48-(「みささ3号」 東津山通過)-18:23倉吉18:37-松崎

 

※もし行くならのルート(第23日)

(自宅から)・・・大阪7:13-(福知山線 尼崎通過)-8:54谷川9:00-(加古川線)-9:28西脇市9:45-(加古川線)-10:31加古川10:38-(JR神戸線新快速)-10:49姫路11:21-(姫新線)-11:54播磨新宮11:58-(姫新線)-12:27佐用13:21-(姫新線)-14:15東津山14:42-(因美線)-15:46智頭15:54-(因美線)-16:44鳥取16:51-(山陰本線)-17:48松崎

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