まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第9番「金剛寺」~西国四十九薬師めぐり・18(ぼたんの寺)

2020年05月04日 | 西国四十九薬師

3本目の記事にしてようやく金剛寺にたどり着いた。まあ、こういう状況なので少しでも文章を引き延ばそうという気持ちがなかったわけでもないが・・。

五条駅から歩き、吉野川を渡ってからほど近い静かな住宅地の中に「ぼたんの寺」の看板がある。西国四十九薬師の第9番の金剛寺である。駐車場にはクルマが2~3台停まっている。

前の記事で、高野山真言宗の流れを汲む辯天宗に少し触れたが、こちら金剛寺は引き続き高野山真言宗で、山門の前には弘法大師像も立っている。

金剛寺が創建されたのは平安末期、平重盛によるとされる。ただその後は江戸時代初期に野原城主の畠山義春の菩提寺として復興したとの記載で、一気に500年ほど飛んでいる。それはさておき、そもそも平重盛がわざわざこの地に寺を建てたのがなぜかということもある。

勝手な想像だが、当時の朝廷で法皇や上皇や公家たちが熊野へのお参りを盛んに催していた中で、今は世界遺産の一つでもある十津川から紀伊山地をぶち抜くルートを通るに当たり、吉野川(紀ノ川)を越えたところにちょうど高台があって、一息つくのに適したので寺でも建てようか(平重盛は信仰心に篤かったとされる)・・という事情でもあったのかなと思う。まあ、素人の私が思うくらいだから、専門家の皆さんからみれば先刻承知のことなのだろうが。

さて、こういう状況の中であるが境内には入ることができるとある。ただし、普段は本堂や庫裡を開放して中を見ることができるところ、扉を閉じているという。また境内での宴会その他はご遠慮いただくようにとのお願いがある。

門をくぐると白藤の花がお出迎えである。この下をくぐったところが受付で、たまたまタイミングよく寺の方が「わざわざご苦労様です」と窓越しに出迎えてくれる。こんな時期にこちらこそ恐縮至極である。拝観料を納め、合わせて朱印を申し出る。場所を庫裡の別の場所に遷しての対応で、現在一般の納経帳への朱印、墨書は中止とのことだが、私が持っている西国四十九薬師の書き置きバインダー式はOKという。要は納経帳を直接受け渡しする際に接触する恐れがあるのと、やはり順番を待つ間に行列ができて密集してしまう恐れがあるためである。

この大型連休期間中、四国八十八所のほとんどの札所、また西国三十三所の半数の札所が納経所の閉鎖、あるいは書き置きのみでの対応としたのは、多くの参詣者やツアー客が訪ねてこうした状況になるのを防ぐためのものである。西国の札所では拝観そのものを中止したところもある。こう言っては語弊があるだろうが、お参りする中には「朱印がもらえないのなら行っても意味がない」と考える人も少なからずいるはずで、札所としても苦渋の決断だろうが防御策としてやむを得ないことだろう。

で、現に来ている金剛寺であるが、例年であればこの時季混雑しているのではないかと思う。「ぼたんの寺」という別名にもあるように四季の花で知られた寺院で、4月下旬から5月にかけてはちょうどぼたんが見ごろを迎え、境内裏のぼたん園が開放されるからである。「関西花の寺二十五所」の札所の一つにも数えられている。受付では、本堂、庫裡の中には入れないがほたん園は入れるとして「どうぞごゆっくり」と言われる。県境またいでやって来たが、意外な反応である。重ね重ね恐れ入る。

まずは境内である。寺そのものは小ぢんまりとしていて、ここだけを取ってみれば、これまでに訪ねたいろんな札所の中でも最も狭い一つではないかと思わせる。その中で茅葺屋根の庫裡は江戸中期・元禄年間の建物とある。庫裡は大正時代まで唐招提寺長老の隠居の間として使われ、現在は広間として、また庭園の見学として開放されている。

庫裡に続くのは本堂。廊下で一つにつながっている。本堂の中には入れないが扉は開いていて、中央に本尊薬師如来をはじめとした仏像群が見える。私の札所めぐりとしてはこれで十分で、本堂の外からのお勤めとする。

本堂の左手にくっつくのは観音堂。こちらには唐招提寺の金堂を模したという印があるそうだ。模したにしてはえらい小さいが、それはさておき、あの唐招提寺とはどういうご縁があって隠居の間や金堂ができたのだろうか。

観音堂の横に、ぼたん園に続く細い通路がある。虫も飛び交う花壇の中を抜けると、目の前に、さまざまな色合いのぼたんが飛び込んでくる。藤の花もある。

元々、江戸末期に当時の住職が薬草として植えたのが金剛寺のぼたんの始まりで、現在は2000平方メートルに約1000株のぼたんが花を咲かせている。2000平方メートル・・・単純に40メートル×50メートルだから結構広いと言える。

普段花をゆっくり見ることもないのだが、この状況下でこうした機会に接するとは。写真が下手なのはご愛嬌である。

私の他にはご夫婦1組、ご夫婦と女性もう一人の計2組がいるが、混雑するということもない。ぼたん園の奥には縁台がある。ここに腰を下ろしてぼたんを眺めるのも良いものだ。「のんびりしてええとこやなあ」と、一緒に来ていたご夫婦が話をしているが、のんびりしすぎて縁台で宴会をするとか、人が密集するようになるとさすがによろしくない。せいぜい言葉少なに花をじっくり眺めるくらいである。

このぼたんを眺めながら、西国四十九薬師めぐりの次の行先のくじ引きとサイコロである。ええ、とりあえずやることはやっておきます・・・。

1.東山(雲龍院)

2.但馬(大乗寺、温泉寺)

3.丹波(達身寺)

4.亀岡(神蔵寺)

5.湖東(西明寺)

6.河南町(弘川寺)

結構ばらけたが、ここで但馬とか出てしまうとせっかくなら宿泊も込みで行きたいところ、こうした状況なので厳しいところ。他にも結構遠距離の場所が多い。

その中で出たのは・・・「1」。雲龍院である。くじ引きの出目に挙がったのも2回目で、どういう寺やねんと検索をかけると、東山といっても泉涌寺に隣接する別院である。ならば西国三十三所の第15番である今熊野観音寺とのセットで行けそうだな。京都といっても洛外なので密集はある程度避けられるのではないだろうか。

・・・そう思ったのもつかの間。雲龍院のホームページがあるので下調べのために開いてみると、「当面の間拝観停止」と出ている。まあ、そうだろうな。再開は緊急事態宣言が明ける5月7日以降の予定とあるが、ここに来て緊急事態宣言も延長の見通しだし、当面は厳しいだろう。

ぼたん園、金剛寺を後にして再び歩いて五条駅に戻る。同じように吉野口、あるいは御所に戻ろうかと列車の時刻を見るがあいにくと間隔が開いている。逆方向の和歌山行きが先に来るのでこれに乗り、橋本で南海高野線に乗り換え、河内長野から近鉄で藤井寺に戻ることにする。まずは橋本まで乗る。和歌山県に入り、隅田(すだ)駅ホームの地元中学校美術部員による壁画を見た後、橋本に到着。

橋本からは南海高野線。この先の高野山についても金剛峯寺、奥の院も拝観停止となっている。そのためかホームにも乗り換え客の姿がほとんど見えない。

乗り込んだ高野線のなんば行き急行だが、あちこちの窓が全開状態。風を感じ、線路の音の響きを聴けるのは思わぬ効果である。紀見峠の長いトンネルを走るのも昔のローカル線旅を思い出させる。こういう時だが、せめて列車に乗った時くらいは前向きな気持ちでいたい。

河内長野に到着。近鉄長野線に乗り換えである。河内長野のホームといえば、今年の1月まで近鉄最後の「字幕回転式発車標」というのがあり、引退間際に見に来たのだが、その後どうなったか。答えとしては現在の近鉄の主要駅にあるのと同様のスクリーン式である。これだけ見たら別に珍しくもなく、ああそうかてなもんである。

さて今回、五條ならばと言うと地元の方には失礼だが、やはり多少無茶があったかもしれない。こうした行動についてもご意見をいただいた。そこは真摯に受け止めたいと思う。今の緊急事態宣言が延長されることが決まったことを受けて今後どうなるかだが、「当面の間」ということには変わりないだろう・・・。

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