まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行~第20日(新宮~山科)

2020年05月20日 | 机上旅行

宮脇俊三の『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行。行程が関西に差し掛かってくると、私も一部を切り取ってリアルに実施してもいいかなとも思うようになる。まあ、最長片道にこだわらず、旅のコースは目的地との往復ではなく、なるべく循環ルートで組むのが面白い。「往路」の距離が限りなく長くなるからである(宮脇氏がそうしたことを言ってなかったっけ)。

机上旅行の第20日は紀伊半島一周の後半である。以前に青春18きっぷ1回ぶんで、西国三十三所めぐりの那智山へのお参りも含めた紀伊半島一周の日帰りを行ったことがある。鈍行での移動というのはさすがに乗りごたえがあったなと感じる。乗りごたえがありすぎたか、帰りは松阪から近鉄特急で大阪に戻ったかな。

今回は特急で和歌山まで一気に移動する。本来なら鈍行に揺られながら海岸線を眺めるのが楽しいだろう。

私が初めてこの区間に乗ったのは、当時天王寺から新宮まで出ていた夜行快速。列車名はなかったが、「釣り列車」の通称があった。深夜~未明に南紀の駅に停まり、そこで下車して翌朝一番に海釣りをするために乗る客が目立ったからである。その時私が乗ったのは急行形の電車で、途中時間調整で長く停まる駅では車外に出て、入場券を買ったこともあった。新宮に着いてからはそのまま天王寺に戻ったり、あるいはその先紀伊半島の東側を回ったり、今思えば懐かしい・・。

さて、『最長片道』では、宮脇氏は新宮で列車の待ち時間があったので、駅近くにある浮島の森に立ち寄っている。天然記念物である浮島の森は、泥炭化した植物や倒木が積み重なり、沼の中に島が浮いているところからこの名がついた。もっとも、住宅地の中にあるためか、宮脇氏はラーメン屋の裏庭から漂う豚骨をゆでた臭いのほうがインパクトがあったようだ。このラーメン屋、今でもあるのだろうか。

新宮からの「くろしお」。『最長片道』当時は振子車両381系の新車が導入されたばかりのようで、車掌も「カーブの際は椅子の把手につかまるように」と案内していたとある。まずは三輪崎にかけての海岸線を行き、紀伊勝浦に向かう。『最長片道』では温泉帰りの客が結構乗ってきたようだが、机上旅行では朝の7時前。さすがにこの時間から乗る温泉客はほとんどいないだろう。

この辺りの海岸線も入り組んでいて、太平洋も姿を見せたり隠したりという中で、本州最南端駅の串本を過ぎる。この後も海岸線の景色を楽しめる。串本から西のほうが海岸も荒々しくなり、その分開けた地形に変わるという印象である。

白浜では温泉帰りの客も乗って車内も多少賑やかになるだろう。この辺りからはミカン畑も目立つようになり、時季ならば山にミカンが多く実る車窓を見ることもできる。その中で化学工場や火力発電所が目につくようになると、海南、和歌山と都市部に近づく。

このまま「くろしお」で天王寺まで向かいたいところだが、和歌山にて下車。ここから和歌山線~桜井線(万葉まほろば線)~関西本線(大和路線)と回ってからのことである。今はローカル列車(和歌山線、万葉まほろば線では新車導入)で淡々とたどるが、『最長片道』の時は急行「しらはま」に乗っている。白浜~和歌山~高田~桜井~奈良~京都という、まさにこの旅にうってつけの列車である。さらに調べると、この「しらはま」のうちの1本は、新宮~和歌山~高田~桜井~奈良~亀山~名古屋という運転もあったようだ。今ならイベント列車ででも再現は難しいだろうが、当時の「急行」というのは、いろんな町の乗客を拾いながら、また分割併合を行いながら地方と都市を結んでいたことがうかがえる。

もっとも、当時にも合理的な判断というのはあったようで、『最長片道』のルートを行くために宮脇氏が和歌山の窓口で、「和歌山線経由の奈良行き」の急行券を買おうとしたら、「天王寺回りのほうが早く着く」と係の人から教示される。確か東北でも、盛岡から花巻に行くのにわざわざ山田線~釜石線の急行に乗り通した際に車掌が驚いた反応があった。

『最長片道』では和歌山線は晩秋の夕方、そして急行ということもあり、宮脇氏もポケットウイスキーを飲みながら進んでいる。通りがかった車掌に「どこかで会いましたね」と声をかける場面も(それをよく「取材ノート」および本文に書いたなと思うが)。だいぶ疲れが来ているようだ。

机上旅行では、大阪近郊区間の外周である和歌山線~桜井線(万葉まほろば線)で奈良まで来た後は、大和路快速で天王寺に向かう。ここで下車して旅を中断するところだが、まだ昼間ということでこの先も進む。そのまま大阪環状線に乗り入れて、京橋まで行く。さらに学研都市線、関西本線と乗り継ぐ。何とか夕方までできりのいいところまで進めた後、帰宅しようと思う。

『最長片道』ではすっかり暗くなった中を天王寺まで進み、大阪環状線の外回りで大阪を経由した後に、京橋に到着。当時行き止まり線だった片町線で片町まで行き、ホテルに泊まっている。「取材ノート」によると「シャトーテル大手前」」というホテルに泊まったそうだが、ここも「かびくさい」「今回の最低」と書きなぐっている。ちなみに、「シャトー」という名前を見ると、場所が場所だけに「京橋は~ええとこだっせ~」のCMで知られるあのレジャービルを連想するのだが、関連はあるのだろうか。

『最長片道』の第21日は片町からスタート。現在は学研都市線からJR東西線に変更されていて、JR東西線では大阪城北詰駅が近い。昔の片町線は一種独立した路線と言えて、片町~四条畷~長尾と進み、その先はかつて非電化区間だった。私が中学生時代にJRの乗りつぶしを志して初めてこの線に足を踏み入れたが、ローカル気動車(確かキハ28だったか58だったか)に乗るのはこの時が初めてだったと記憶している。現在の学研都市線は当時よりも本数は増えており、JR東西線を介してJR神戸線、宝塚線とも直通運転を行っている。

木津から加茂を経て関西本線に戻る。大阪側の大和路線、名古屋側の関西本線に挟まれる加茂~亀山のローカル区間。『最長片道』当時は急行も走り、その時乗った列車も4両あったようだが、現在は気動車が1~2両で結ぶ。関西本線は大阪~名古屋を最短距離で結ぶ路線ではあるが、前身の関西鉄道時代は東海道本線との競争に負け、国鉄になってからは近鉄大阪線~名古屋線に負け、そして現在のこの区間はローカル線となっているが、それよりも大きいのは名阪国道ではないだろうか。有料の高速道路ではなく無料の自動車専用道で、天理のところの急カーブという難所はあるが、交通量の多い道路である。また高速道路も、現在は第二京阪~新名神というバイパスルートもできて選択肢も増えている。

この区間に乗ると、関西本線の電化、複線化を訴える看板や横断幕を見ることもあるのだが、その実現性は果たしてどうだろうか。仮に実現したところで大阪から加茂、伊賀上野経由の亀山行き快速というのが運転される見込みもないだろうに・・。

柘植から草津線に入る。草津線も当時は非電化だったようで、『最長片道』ではここで名古屋発草津線経由の気動車急行「平安」に乗車している。この急行も奈良行きの「かすが」を併結しており、急行列車らしい小回りを利かせている。現在であれば、別に一つの列車ではなくそれぞれが系統立てられているが、都市間を結ぶ高速バスの感覚がそれに近いだろうか。

貴生川では信楽高原鐵道と近江鉄道が分かれる。この両線を改良して、近江鉄道の米原から学研都市線の京田辺を接続させる「びわこ京阪奈線」という構想がある。1989年だから平成元年に立ちあがった構想だそうだが、それから30年が経過して具体的にどうなったという話を聞かない。逆に、その一端を担うはずの近江鉄道そのものの存廃が議論されたほどで、廃止後の代替手段に対する地元自治体の負担が増えることからかろうじて逃れたくらいである。現在は、リニア中央新幹線、また京都側では北陸新幹線のルートや駅をどうするかのほうに意識が行っている模様だ。こちらもどうなるか。

ルートは東海道本線に入り、大津を越えて京都府に入る。『最長片道』の切符のルートでは、山科から湖西線に入り、近江塩津から北陸本線で米原まで出る。しかし当時湖西線内を走る鈍行の本数は少なく、特に近江今津~近江塩津が難関だった。そのため、運賃計算の特例を生かして山科から京都まではみ出し乗車して特急に乗り換え、山科、近江塩津を通過して敦賀まで行き、再び特急に乗り換えている。この辺りはまた次の記事で触れることにする。

私の机上旅行は山科で夕方となったこともあり、ここで打ち止め。そのまま大阪に戻る。北海道から通算して第20日で大阪に帰還となった。確かに最初のルール決めでは「通し打ち」ということを書いていたが、リアル旅行にせよ机上旅行にせよ、自宅近くまで戻ると何らかの形で中断するのは自然ではないかと思う。言い訳をするならば、仮に山科、あるいは湖西線沿線のどこかに宿泊したとしても、翌日以降の行程は似たようなものである。

というわけで、ここで机上旅行の時刻表をいったん閉じる(翌日には素知らぬ顔をして開けているかもしれないが)。

さてここからようやく西日本編。少しインターバルを置いて書くことになるが、どうか引き続きおつきあいのほどを・・・。

※『最長片道』のルート(第20日続き、第21日)

(第20日続き)新宮13:18-(「くろしお11号」)-16:27和歌山17:16-(「しらはま3号」)-19:20奈良19:21-(関西本線)-19:54天王寺19:59-(大阪環状線外回り)-20:25京橋-(片町線)-片町(宿泊のため移動)

(第21日)片町6:41-(片町線 京橋通過)-四条畷7:12-(片町線)-長尾7:40-(片町線)-8:14木津8:15-(関西本線)-9:30柘植9:40-(「平安」)-10:43京都・・・(以下続き)

※もし行くならのルート(第20日)

新宮630-(「くろしお12号」)-948和歌山951-(和歌山線~万葉まほろば線)-1258奈良1315-(大和路快速~大阪環状線)-1416京橋1423-(学研都市線区間快速)-1523木津1528-(大和路線)-1534加茂1542-(関西本線)-1636柘植1646-(草津線~JR琵琶湖線)-1756山科・・・(ここから帰宅)

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