1978年の宮脇俊三『最長片道切符の旅』を2020年の時刻表で追いかける机上旅行。第14日である。ここまで、『最長片道』は宮脇氏が東京近郊の路線で距離をかせぐことができず、机上旅行のほうが1日早いペースで進んでいる。先方は旅程の中断もあったし、別にこちらが早く回ったから素晴らしいということではないが・・。
机上旅行のこの日は品川からスタートする。朝の6時半出発で、ホテルの朝食は取れないが日常生活においては普通の時間帯である。ガチンコでもっと早く、少しでも先を目指すというのなら6時半出発というのはヤワなことで、それこそ山手線の4時台の始発電車で出発するくらいの意気込みは求められるだろう。とはいうものの、現在においては路線によっては『最長片道』当時より大幅に本数が減っている区間もあり、列車の運転間隔も空いている。早く出発したとしても、いずれどこか本数の少ない路線で待たされることになり、結局は同じような結果になるようだ。
品川からまずは東京駅周辺をめぐる。品川から山手線の外回りに乗って、新宿の1駅手前の代々木で中央線各駅停車に乗り換え。この一帯、少し前までは2020年の東京五輪の中心として賑わうことになっていたが、ご存知のように五輪は1年後に延期となった。ここまで事前にケチがつきまくる五輪というのもなかったのではないかと思う。
「この机上旅行は新型コロナウイルスの影響は関係なかったのでは?」と思われる方もいるかもしれないが、あくまでこの机上旅行のルールは、定期列車の減便、運休や、外出自粛の影響はないというだけのこと。通勤列車も普段のラッシュのままという想定である。ただ、「五輪が延期された」ということだけは、いくら机上旅行とはいえ避けて通れないだろう。
中央線各駅停車で御茶ノ水まで来て、ホーム向かいの中央線快速に乗り換える。右(南)にカーブを取って1駅の神田に到着して再度乗り換え。また1駅の秋葉原で再び総武線各駅停車に乗り換え。先ほど代々木から乗って来た列車にそのまま乗っていれば済む話だが、そこは『最長片道』である。錦糸町にて、今度は総武線快速で東京駅の地下ホームを目指す。この辺りは通勤ラッシュにもまれながら目まぐるしく動くことになる。
そして東京から東海道新幹線に乗って小田原を目指す。ここまで山形、秋田新幹線のように新幹線と在来線が一緒の線路を走る区間は通ったが、いわゆるガチの新幹線列車はこの旅で初めてである。
その新幹線、そもそもは「在来線の横にもう1本並行する線路が増えた」という扱いである。ただし、一部の区間内の各駅を発駅もしくは着駅または接続駅とする場合は、別の線として距離を計算することになっている。その一部の区間内というのは、新幹線の駅と駅の間に、並行する在来線と接続しない駅がある場合が該当するといっていい。時刻表の説明でよく例に出るのは、「岡山から新幹線を利用して名古屋経由で岐阜まで行く場合」というもので、この場合、新幹線は米原から岐阜羽島という別の線路を経由して名古屋に行く路線と見なされる。そのため、この例では岡山~米原~岐阜羽島~名古屋~岐阜という、新幹線と在来線(東海道本線)を別の路線として通し計算している。
この『最長片道』においては、東京~小田原間がこの特例に該当している。東京、小田原両駅の間にある新横浜に東海道本線の駅がないためである。この時はそうして『最長片道』の経路を確認していた。
・・・その42年後を見ると、品川にも新幹線の駅がある。つまり、2020年の机上旅行では、この時点で経路が重なり、同じ駅を2回通ることになってしまう。現在のJRの路線図をもとに「最長片道切符」のルートを考えるうえで、新幹線の品川駅開業というのは少なからず影響があったようだ。
まあ、この机上旅行はあくまで昔の跡を追いかけるもので、品川で経路がまたがるというのも、新幹線の利用客の増加や利便性の向上のおかげであると実感すればよいだけのことだ(ちなみに現在、上記のルールは品川~小田原で適用されている)。
その東京から小田原に向かう場合は、実質「こだま」の利用となる。わずかの時間の乗車だが、東京駅で食べ物を用意しよう。最近はコンコースの駅弁スペースも充実しており、東京駅にいながら各地の駅弁を買うこともできる。ちなみに私が東京に出向いた帰りの新幹線でいただくのは、崎陽軒のシウマイの単品と、両国国技館の焼鳥。東京出張の楽しみの一つだったが、今後オンラインでの会議や研修が主流となれば、こうした出張というのもぐっと減るのだろうな・・・。
小田原に到着して、在来線で先に進む。根府川で相模湾をちらりと見た後で、熱海に到着する。新幹線の小田原の次の駅は熱海なので、先ほどの「こだま」も熱海まで乗ればよさそうなものだが、上記のルールの影響もあるのだろう、小田原から西は在来線で結ぶ(実際はいろいろなケースが想定されるが、話が複雑になるのでこのくらいにしておく)。そのまま沼津まで行き、かつての東海道本線だった御殿場線に乗り換えとする。箱根の山を南に、富士山を北に置いて走る路線である。条件が良ければ富士山の雄姿をこの旅で初めて目にすることになるだろう。
神奈川県に戻り、国府津から茅ヶ崎に出る。次の相模線は元々は相模鉄道の路線だったが、国鉄が東海道本線と中央本線を結ぶバイパス路線として買収したところである。『最長片道』当時は非電化区間で、宮脇氏の『時刻表2万キロ』にも登場する「西寒川線」という支線もあった。宮脇氏が知人とともに「西寒川線」に乗ろうというと「そんな線は知らない」と言われるし、茅ヶ崎からタクシーで終点の西寒川駅に向かおうとして運転手に「そんな駅は知らない」と言われ、何とか見当をつけてたどり着いたという話がある。
首都圏のもっとも西側を走る線で、東京近郊区間の大回り乗車の定番ルートでもある。終点の橋本で横浜線、京王線が接続しているが、ここにリニア中央新幹線の神奈川県駅が設けられる。神奈川県の北の玄関駅、また八王子や多摩地区にも近いということで利便性も期待されているようだが、2027年に東京~名古屋間の先行開業が予定されているものの、果たしてその通り行くのだろうか。環境問題で静岡県がいろいろ言っているし、工事にともなう談合事件も起こっている。そして新型コロナ・・。
八王子に到着。『最長片道』では宮脇氏はいったんここで帰宅し、翌日の早朝に戻って来ている。東京近郊の路線もここまでということで一区切りつけたかったのだろう。机上旅行ではまだ昼間ということもあって先に進む。まずは特急「あずさ29号」だ。こうした路線も本来なら鈍行でゆっくり車窓を眺めながら行きたいところだが、一気に抜けてしまう。
甲府からは身延線。『最長片道』の時は急行の「富士川」だったが、現在はJR東海の「ワイドビューふじかわ」の特急である。ここでも富士山の眺望に期待したいところだが、時間的に途中で暗くなってしまうか。特急は富士から東海道本線に入り静岡まで行くので、駿河湾の景色は見えないかもしれないが、キリもいいことからそのまま終点まで乗ることにする。
静岡で1泊。静岡もさまざまな漁港のあるところで、県庁所在地だからそうしたところの魚も集まってくる。また串に刺したおでんも有名だ。何だか旅先で毎晩飲んでいるが、ここは焼酎を静岡名物の緑茶で割った「しぞーか割り」とともに楽しむことにする・・・。