まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

札所めぐり、そろそろ再開します

2020年05月31日 | ブログ

緊急事態宣言の解除を受けて、外の人通りや通勤の鉄道の混雑も少しずつ元に戻りつつある。ただその中で感染に対する警戒心というのはまだまだあるようで、人と人との距離を取る、マスクは着用するということは継続されている。

一方、これから暑くなる時季で熱中症の心配も出ている。職場でも厚生労働省発表の「令和2年度の熱中症予防行動」が回覧されてきたが、熱中症予防と新型コロナウイルス感染防止を何とか両立させようと、担当者の苦労がうかがえる。ただ、熱中症とコロナ、どちらが発症の確率が高く、どちらが命に関わるリスクが高いかと訊かれれば、そりゃ熱中症でしょう。「屋外で人と十分な距離(2メートル以上)を確保できる場合はマスクを外す」とあるのも現実的なこと。実際には、暑くて我慢できない時は人との距離が近い場合でもマスクを外すこともあるだろう。そこは杓子定規にとらわれないほうがよい。

世の中には商売上手な人がいるもので、このところネットにあふれているマスクの販売も、最初は中国製の不織布マスクが高値で売られていたのが、その価格も下がって納期も短くなったり、国内メーカーのものが出たり、洗って繰り返し使えるのを売りとした素材のマスクも新たに出るようになった。私も不織布マスクを使いつつも、そうした素材のマスクも購入して主に休日の外出用に使っている。そしてこの数日で目立つようになったのは、「冷感素材」「通気性」というもの。私も試しに使ってみたが、やはりラクである。通気性を強調しすぎるとマスクとしての意味合いはどうなのかという疑問はあるものの、熱中症予防もしなければならないとなれば夏に向けて新たな商品も次々に出てくるようだ。日常の通勤用も少しずつこちらに切り替えて行くかな。

さて本題である。国の方針としては、緊急事態宣言解除後の外出については、5月末までは県をまたぐ不要不急の移動は避けることとなっていたが、6月1日からは「東京、神奈川、埼玉、千葉、北海道との間の不要不急の移動は慎重に」となり、6月19日からは制限をなくすとある。もっとも観光については「県内で」とか「徐々に」とあるが、そこまで行くと何がどう違うのかと思う。「3密」を避けるという主旨なら、例えば旅行会社がツアーを組んで観光地を訪ねるとか、多くの人が集まるイベント(それ自体が観光になっている行事もある)を開くというのは慎重にしてくださいということだろう。個人の移動そのものを規制するものではないはず(現に、この週末にはすでにあちこちの観光地が県またぎを含めて人で賑わっていたことも報じられている)。

・・・ということで、6月以降、私も徐々に札所めぐりは再開するつもりである。西国三十三所についても6月からは納経所も再開し(一部の行事は中止が決定)、7月下旬には京都国立博物館で延期されていた西国三十三所関連の企画展も開催される。西国四十九薬師も次は泉涌寺の塔頭寺院である雲龍院だが、こちらも拝観を再開したとのことで訪ねる予定。そして中国観音霊場めぐりは山口県だが、こちらも6月19日からの移動制限解除を見据えて続きの計画を立てる。

もとよりマスク着用、手洗いの励行や、あまりに人が集まる場所は避けることは必要だが、少しずつリアルの楽しみも取り戻さなければ・・・。

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『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行~第27日(阿波池田~松山(堀江))

2020年05月31日 | 机上旅行

1978年の『最長片道切符の旅』(宮脇俊三著)のルートを訪ねる机上旅行。現在のJR最長ルートでは通ることのない四国を回っている。

机上旅行の第27日は四国のど真ん中の阿波池田から出発。特急「しまんと」でまずは大歩危・小歩危を抜ける。結構トンネルも多いところ。また『最長片道』でも触れられているが、並走する国道32号線の拡張工事のために景勝が減殺されているとある。よく、こうした渓谷沿いを走る列車を道路の側から撮影して、「ローカル線の旅はいいですなあ」とやっているが、実際に列車に乗ると川の対岸の道路のガードレールの白さが目につくことが多い。

また谷が深いところなので、田畑や家が崖の上に作られる。これも四国らしい景色の一つといえる。

山深い沿線を抜けて、高知平野に下る。高知を素通りするのも惜しいのだがそのまま先に進む。高知といえば太平洋、黒潮のイメージだが、高知から先もしばらくは比較的内陸のほうを走る。海に出るのは須崎からである。

窪川に到着。『最長片道』では1時間あまりの待ち時間があるが、見物のあてがないとして駅前の喫茶店で過ごしている。この日の宿泊を宇和島にしたが、時刻表の巻末の旅館案内を見て何軒か電話してもつながらなかったり、満員だったりという状況。そういえばかつての時刻表の巻末にそうしたページがあったのを覚えている。日観連とか、ビジネスホテル協会とか、そういう団体に加盟している施設が掲載されていて、そういうところのホテルなら問題ない、安心だというので私も高校生や大学生当時はユースホステルとともに活用していた。現在のようにネットの予約サイトでパソコンやスマホからサクサクと予約できるのとはまた違った味わい。

机上旅行では14分の連絡で9時40分発の予土線の列車がある。この前が6時22分発で、1本後が13時21分発だからこの時間に乗るのは貴重である。この列車は「鉄道ホビートレイン」で運転とある。0系新幹線をイメージした車体で、団子鼻もデザインされている。「四国のローカル線に新幹線が走っている」としてネタにされる車両である。予土線には他に「海洋堂ホビートレイン」や「しまんトロッコ」といった面白車両が走っており、観光路線の要素も担っている。

予土線は元々は宇和島~吉野生までの路線だったが、戦後になって愛媛と高知を結ぶことを目的とするようになり、江川崎、そして中村線(当時)と合流する若井まで2回にわたり延長された。若井まで延びたのは1974年のことだから『最長片道』の時はまだ4年しか経っていないことになる。この時も、線路の敷き方がトンネルや鉄橋でどんどん短絡した「新幹線的」として、この区間では鉄道が自動車より優位に立っているとしている。国鉄のローカル線廃止問題が出た時、予土線も輸送量では存続基準を下回っていたが、並行する道路が未整備ということで廃止を免れた歴史がある。私も四国八十八所めぐりの途中、四万十川に沿ってレンタカーを走らせたのだが、国道といいつつも道幅が狭く、離合するのも厳しいところもあった。四万十川の清流のイメージがあるからあからさまな新道を造るのも難しいのだろう。

この例外措置というのが明暗を分けたところがあり、窪川~若井~中村の中村線も存続基準を下回ったが、並行する道路も整備されているとして廃止となってしまった。実際は第三セクターの土佐くろしお鉄道に移管して線路は残り、後に宿毛まで路線も延長されるのだが、国鉄・JRとしては窪川~若井を手放した形になる。ということで、窪川から予土線の列車に乗ると、土佐くろしお鉄道の運賃210円が自動的に加算される。もちろん青春18きっぷの対象外で追加運賃を支払うことになる。「区間」ではなく「路線」単位、しかも数字だけで物事を決めた結果と言える。

江川崎に着く。『最長片道』ではここで宇和島行きに乗り換えとなっている。江川崎、かつて「日本一暑い町」の称号を得たことがある。2013年に当時の国内最高となる41℃を記録した。その日を含め、日本で初めて、40℃以上を4日連続で記録したという。江川崎ではこれを町おこしのネタとしてPRしていて、私が訪ねた時も江川崎駅に「日本一暑い らぶらぶベンチ」というのがあった。気候の暑さとカップルの熱さをかけたものだが、2018年に埼玉の熊谷が41.1℃を記録したために日本一はそちらに譲った。そのベンチ、今でもあるのだろうか。

愛媛県に入り、近永あたりからは宇和島近郊という感じになる。予讃線と合流する北宇和島は通過して、終着宇和島まで乗り越しとする。『最長片道』では、宇和島での宿がまだ取れていなかった宮脇氏が駅前の電話ボックスに入り、10円玉を電話器の上に積み上げて腰を据えて何軒でもかけるぞとダイヤルを回す。これも時代の光景だなと思う。幸い、最初にかけた1軒で空室が見つかり、無事にチェックイン。「取材ノート」によれば駅前にある宇和島国際ホテルで、これは私も泊まったことがある。

また「取材ノート」では、宮脇氏はホテルで紹介してもらった「魚亀」という店を訪ねている。カレイの唐揚げや縁側をいただいたとある。宇和島は魚の美味いところだが、郷土料理としては他に鯛めし、さつま汁も有名だ(さつま汁といえば、宮脇氏は後に『途中下車の味』という作品の中で宇和島を訪ねるのだが、同行した編集者が「カマボコになる前のドロドロしたもの」があると聞いて来て、その正体を町の人や店の人に尋ねるというくだりがある)。

机上旅行でもこの後の列車の関係から宇和島で1時間半の時間を取っている。ちょうど昼時、鯛めしでもさつま汁でも、ともかく海の幸をいただくことにする。

宇和島から予讃線に入る。ここは特急に乗り、宇和島の街を外れると法華津峠に差し掛かる。ミカン畑が山の斜面を覆うところで、愛媛らしい景色の一つとして鉄道写真の場所でも知られている。『最長片道』ではこの先三原まで進んだところで一時中断として東京に戻る予定となっている。「取材ノート」のメモには、「帰ってからの仕事の予定。宇和島でやるつもりがダメ。新幹線の中でメモろうと思う」とあるが、やはり旅先に仕事を持ち出してもなかなかはかどるものではなかっただろう。宿泊した宇和島ではまた深酒をしていたようだし。

八幡浜から伊予大洲に向かう。『最長片道』ではそのまま特急に乗り続けて松山まで行っているが、机上旅行では伊予大洲でいったん下車となる。1時間近く待ち時間があるが、大洲城や臥龍山荘を回るには足りないかな。

この先予讃線に乗るのだが、『最長片道』当時とは状況が変わっている。伊予大洲からは予讃線と内子線の2つのルートがあるが、『最長片道』当時の内子線は、伊予大洲の次の五郎から分岐して内子までの行き止まり線だった。当然特急や急行は伊予長浜経由の予讃本線を走っていたが、1986年に向井原から伊予大洲に向かう短絡線が開通し、内子線もその中に組み込まれた。このため、特急はすべて内子線経由となり、元の予讃線の伊予長浜経由の区間は鈍行だけが走るローカル区間となった。

この伊予長浜経由の区間だが、伊予大洲からは肱川の流れに沿い、伊予長浜からは伊予灘の景色を楽しむことができる。現在は「愛ある伊予灘線」の愛称があり、伊予灘を見下ろす下灘は青春18きっぷや他の旅行ポスターにも使われることが多い。机上旅行は「平日ダイヤ」ルールを取っているが、シーズンの土日であれば観光列車「伊予灘ものがたり」でたどるのもいいだろう。

向井原で内子線経由の短絡線と合流し、伊予市からは電化区間となる。松山に到着する。

『最長片道』ではこの後、予算本線で3駅先の堀江まで進み、仁堀連絡船に乗っている。宇高連絡船に加えてこの連絡船があるから『最長片道切符の旅』でも四国を回ることができた。ただ「連絡船」といいつつも堀江には鈍行しか停まらず、駅からも離れている。またその鈍行の松山での接続も悪く、乗ったのはいいが2駅目の伊予和気で列車の行き違い、追い越しで16分停車と、結構時間がかかっている。

さて机上旅行ではどうするか。もちろん仁堀連絡船は廃止されており、本州に渡るとなれば松山観光港から石崎汽船のスーパージェット、または瀬戸内汽船のクルーズフェリーに乗ることになる。時間は夕方なので松山に宿泊することにして、フェリーは翌日のこととする。ただ、かつてのルートの名残をということで、予讃線の堀江、そして呉線の仁方には立ち寄ることに・・・。

※『最長片道』のルート(第27日続き、第28日)

(第27日続き)阿波池田11:41-(「あしずり5号」)-15:00窪川16:11-(予土線)-17:07江川崎17:28-(予土線)-北宇和島通過)-18:46宇和島

(第28日)宇和島7:30-(「しおかぜ2号」)-9:14松山9:50-(予算本線)-堀江・・・(以下続き)

※もし行くならのルート(第27日)

阿波池田7:06-(「しまんと1号」)-9:26窪川9:40-(土佐くろしお鉄道~予土線 北宇和島通過)-12:23宇和島13:59-(「宇和海18号」)-14:42伊予大洲15:35-(予讃線愛ある伊予灘線)-17:11松山17:40-(予讃線)-17:55堀江・・・松山

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