まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「令和」ムードの太宰府天満宮と、九州国立博物館で相対した大報恩寺のみほとけたち

2019年05月04日 | 旅行記H・九州

雨の太宰府駅に降り立つ。観光客を意識してか、駅名標も行書体で記されている。この駅に降りるのも久しぶりである。

このツアーに申し込んだ時、福江島に渡るフェリーの時間までどのように過ごすか、いくつか候補はあった。福岡市内を細かく回るとか、震災復興に向けた熊本まで弾丸往復するとか、筑豊の旧炭鉱遺産を見るとか(平成筑豊鉄道に乗るのもあり)。その中で、新元号「令和」が発表され、元号ゆかりの地として太宰府市が注目されていることや、今回大阪から福江島までフェリーを乗り継ぐことが「遣唐使の疑似体験」になるのなら、当時の政庁だった大宰府跡を訪ねるのが旅のストーリーになるのではないかと考えた。

太宰府天満宮や九州国立博物館があることから太宰府駅は元々賑わっている印象だが、ここに来て「令和」が拍車をかけているように感じる。「祝 令和」と書かれた幟が改札口から天満宮の参道にかけてずらりと並び、この幟を入れて撮影する光景も見られる。

予想していたが太宰府駅のコインロッカーも満杯で、仕方なく天満宮までバッグを転がしていく。沿道の梅ヶ枝餅など土産物店には大勢の観光客が並ぶ。また、参道のスターバックスがインスタ映えのスポットだったりする。

太宰府天満宮に着く。まずはお参りであるが、3つ続く太鼓橋から渋滞である。ピタリと動かない時間もある。皆傘を差しているので先もよく見えない。前方に何か特別なものでもあるのだろうか。

思い出すのは今から30年近く前のこと。だから平成の初めの頃で、当時高校生の私は乗り鉄趣味の対象を全国に広げようとしていた頃で、生まれて初めて九州を訪ねた。目的地は太宰府天満宮。まず大阪から年末の臨時夜行快速「ふるさとライナー九州」という列車に乗り、博多に到着。その後は鹿児島線や筑豊線(現在の原田線を含む)などに乗り、大晦日の夜は暗い中、佐世保まで行った。佐世保から太宰府天満宮の初詣列車があり、それを寝床代わりにして二日市まで移動。車内で年が改まり、臨時バスで天満宮へ。そしてお参りしたが長蛇の列で、最後は拝殿の手前から投げ銭でお賽銭を入れて大学合格を祈願(当時はまだ受験生ではなかったが)した。そのまま鹿児島線から山陽線を乗り継いで1日かけて大阪に戻ったのだが、初めての九州だっただけに今でも覚えているところがある。

要はその頃を思い出すくらい長蛇の列だったのだが、通路の左側が空いている。何の意味があるのかわからなかったが、どうやらお参り後、再び太鼓橋を渡って戻る人がたまにいるようで通路を空けているようだ。それでも構わずに追い越して行く人もいて、ならばとそちらに向かう。幸い対向する人もおらず、そのまま拝殿の前に出る。天満宮サイドも、参拝は石畳の幅いっぱいいっぱいに広がってお参りするよう呼び掛けているが、頑なにセンターからお参りしようとする人も多いものだ。そのために後方まで行列が伸びていたようだ。

さて、天満宮にお参りした後はせっかくなので境内に隣接する九州国立博物館に向かう。エスカレーター、動く歩道の先にある博物館。建物の脇には大伴旅人の万葉歌碑があるとの案内板がある。大伴旅人・・「令和産みの親」とは言い過ぎかと思うが、新元号発表後の1ヶ月で知名度が上がった歴史上の人物の1人には違いない。

その歌は「ここにありて 筑紫や何処 白雲の たなびく山の 方にあるらし」とある。大宰府政庁に任官された旅人の心境を表し、筑紫の名がズバリ入っているから博物館も歌碑にしたのかな。

九州国立博物館は一度来たことがある。ただその時は時間がなく、開催中の古代仏教の特別展だけ見て、通常展は見なかった。九州という土地の特徴として、アジアとのつながりを前面に出した展示というのを見ようと思う。さすがは国立博物館。大きい荷物は見学の邪魔ということでコインロッカーも充実しているし、ほとんどが空きである。もっとも転がして来たバッグは無理だが、クロークがあるのでそちらに託す。ようやく身軽になった。

通常展が気になるとはいえ、やはり特別展も気になる。で、この日の展示は「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」。大報恩寺といえば一度回った新西国三十三霊場の一つだが、本尊の釈迦如来と十大弟子、さらには六観音像が福岡に出開帳ということだ。何とも面白いものだ。まずはこちらから。

大報恩寺は千本釈迦堂という名前でも知られている。寺の本尊は釈迦如来で、鎌倉時代の歴史的仏師・快慶の弟子である行快の手によるとある。また、釈迦の十大弟子は快慶の最晩年の作品とされている。釈迦如来はともかく、十大弟子はそれぞれの高僧の特長や個性(「◯◯第一」と称される)を豊かに表現している。十体を見ていると、親戚知人に一人くらい似ているのがいるのではないか、この高僧たちがリアルに現世で普段着姿で電車に乗っていても不思議ではないよなと思わせる。

続いて六観音であるが、なんと、博物館での展示にも関わらず撮影OKという。確か大報恩寺をお参りした時は、宝物館に並んで展示されていたが、撮影不可だった。この撮影OKはこの特別展が初めてという。出開帳だからか大サービスである。

その展示方法。順路に沿って展示室に入るとそこは舞台で、六観音は少し離れて安置されている。撮影は舞台の上からのみOK(フラッシュ撮影、三脚・自撮り棒使用は不可)。ただ順路はその観音像が安置されたエリアに続いていて、六観音を間近に、360度から見ることができる。

画像がぶれている、ぼやけているように見えるのはカメラの能力と撮る人間の技量によるのだが、左から聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音である。観音の中でも広く信仰を集める種類ばかりである。

一通り撮影した後、今度は間近での拝観である。手を出したら触れるくらいの距離で、大報恩寺、外では結構攻めているなと感じさせる。ただありがたいし、「見仏」好きな方にはなおのことたまらないだろう。太宰府の地でこうした拝観ができるとは思わぬご縁だった。

そして通常展示である。こちらでも「令和」の特別コーナーを設けているとのこと。「令和」の出典元である万葉集の「梅花の宴」の序文が載せられた写本を展示したり、同時代や大宰府政庁関連の展示も「令和」関連で紹介するとある。解説資料も置かれているが、それにしても新元号が発表された直後から準備が大忙しだったのではないかと思う。展示もなかなかの数があった。

展示室全体で扱うのは古代から江戸時代までだが、大陸の玄関口として九州が果たしてきた歴史的役割を強調した構成で、同じ国立博物館でも京都や奈良とは一味違う。遣唐使に代表される大陸との往来も出てくるし、元寇関連のものもある。今回時間の関係でさらっと見るに止まったが、また来たいと思うスポットである。

天満宮と国立博物館だけならもう少しここにいてもいいのだが、今回来たのはむしろ大宰府政庁跡のほうが目的である。再び雨の中、駅まで戻ってきた。どうせ満杯だろうとコインロッカーをのぞくと、なんと1台だけカギが刺さっていた。これは天神さん、いやむしろ六観音の思し召しかと勝手に解釈して、バッグを収める。

大宰府政庁跡までは1.5キロほどとある。バスがあるが博多駅や福岡空港まで直通するためか長蛇の列ができている。雨は降り続くが、バッグも預けたことだし、また途中立ち寄りところもあるので、そのまま歩いて行くことに・・・。

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