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ソリスト練習を聞く

2019年08月16日 06時23分08秒 | オペラに挑戦
本ステージでの練習を2日休んだ。「遅れたかな?」感ともう一度テンションを上げたいので、ちょうどホールでやってるソリストさんの通し稽古を観に行った。小ホールを全面開放、バミリをやって、合唱団を除く全スタッフが集まって、熱の入った立ち稽古やってました。
この時期でもまだまだ細かい点の修正をやってくんですね。これが「ブラシュアップ」という作業なんだろうと感心して拝見してました。出演者と演出、マエストロがまだ意見交換やってるんですから。
僕が見に行った時間は二幕の通し稽古でした。舞台雰囲気はないし、各自も普段着だから見た目の効果は無いんだけれど、動きと歌声を見聞きしてるだけで、もう酔ってしまう。なんと素晴らしいソリストさん達なんだ。素晴らしい公演になるの間違いないね。合唱も頑張らんと。
二幕には有名なトスカのアリア「歌に生き、愛に生き」がありますが、聞き入っちゃいました。上手いのは当然でしょうが、トスカ役の中村さんの感情移入が半端じゃない。さすがプロ。役に成り切れちゃうんですね。あそこまではできん、いつまでもテレを感じながら演技をしてるもんな。見習いたいが・・・。
昨日の練習を見て、休んで下がったテンションがまた上がったね。17日の練習に臨む準備はできた。 あと2週間、これからは200%トスカに向けた生活にするぞ。

先生ヒロのBLOGはコチラ     160日に追記
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母13回忌と小学校同期会

2019年08月14日 06時49分32秒 | つれづれなるままに
10日から4泊5日で福井に行って来た。母の13回忌を芦原の菩提寺でやるのが第一目的。これを決めた後、同じ日に小学校時代の同期会が計画され、こっちにも参加と中身の濃い帰福になった。

10日大和を出発。白州で一泊。白州まで行くと大和-福井間の2/5ほどは近づける。東名で関ヶ原、北陸道で福井という道、東海北陸道で富山に出て北陸道で福井という道 いろいろ考えられるんだが、白州一泊だと東名は無い。今回は白州、松本、平湯、高山、白川郷、白山スーパー林道、小松、福井と移動した。
11日朝5時に白州を出て、安房トンネルを7時に通過。早いよね。9時過ぎにはスーパー林道にはいってました。は一度走ってみたいと思ってたんです。
白山が綺麗でした。            

今回の法事、子供孫全員に招集をかけてる。各家自由の福井に向かい、12時芦原の蕎麦屋に集合。「越前おろし蕎麦」で腹ごしらえしてお寺に。
    2時から御経を頂いて、亡き母(祖母、大祖母)に思いを。

僕の同期会は市内で4時から。 御経が終ったら、そそくさと移動。娘に芦原温泉駅まで送ってもらい、JRで福井へ。まにあった。 小学校時代は1クラス33人が2クラスだった。60数人の同期のうち20人の参加。女性が3人というのがさみしかったかな。僕にとってはほぼ全員55年ぶりの再会。それでもどうにか名前を思い出すものですね。みんないいおじさんでした。なによりも、いやこれが一番の期待だったのが4,5年生時の担任に会えること。いいおばあちゃんになってました。先生とは年賀状を欠かしてないので、僕の近況はよく御存じのはず。最近になって、先生の字が震えてるのを見、弱られてるかなと心配してた。振り返るに「あの先生から大きな影響を受け、今の自分があるのは」と考えた時、この先生以外には思いつかないほど僕の中では大きいんです。ほんと会えて、お話ができたこと 最高でした。
次の2次会は失礼させてもらって、JR、タクシーで宿へ。 今回全員でカラオケを楽しもうとルームを予約しておいた。聞いたことも無い歌を孫達がガンガン歌うのには驚いた。「えっ いつ覚える時間があったの?」です。僕も3曲ほど歌ったが「じいじ なかなか上手いんじゃん」と思ってくれたかどうか、そうは思わんだろうな。まっいいか。 でも全員たっぷり楽しい時間を過ごせた。みんなを招集したかいがあったというもの。たまにはこんな時間を共有することは大切なことなんですね。「いい家族だ」と嬉しくもなりました。  3部屋に別れて寝る予定が、起きて見たら孫どもが入り乱れて寝てました。よいよい。
朝9時に集合写真を撮って解散。僕とかみさんは友人宅でもう1泊。長女は福井の友人と会ってから帰京。翌日は仕事だという。長男家族 長女中3は部活があるとかで次女家族の車に乗せてもらって帰郷。次女家族は長女次女の2人が長男家族についていって、富山でさらにキャンプ2泊に同行。孫を分担して預かった格好。これもいいね。
僕は小学校以来の友人宅へ。夜中まで呑んで、いい話をして。
そして13日 福井を出てまた白州まで戻る日。また通ったことない道でと考え、福井、大野、白鳥、高山、開田高原、木曽福島、伊那、茅野、白州と大きい峠を4つ超えて帰ってきた。福井を10時前に出て、白州には4時半。渋滞も無く、60、70kmで高原の道を飛ばしてきました。
今回スマホのナビを活用。ナビを使うのは初体験。便利なツールですね。迷う心配が全くなくなる。だから飛ばせる。地図上で現在位置を認識してる必要なんてない。画面を見てる必要なんてないってこと。目的地だけきちんと入力すれば、あとは連れてってくれる感じ。だからスマホのナビで十分だと思います。

今白州でこれを書いてます。最後の最後、大和まで無事に帰れば、この夏の一大イベントは大成功で終わる。 あっ 富山キャンプグループも無事に戻って、娘のとこの孫2人がちゃんと藤沢の両親のもとに戻って大成功だな。 皆無事でな! 
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生産地が北上してる

2019年08月07日 08時33分04秒 | つれづれなるままに
「ブドウ」「米」「桃」 いえいえ、そういう農産物じゃなく、「台風」です。
8号が南東海上で生まれて、九州に向かってる最中に、九州の春か南で9号が誕生した。8号が九州横断中に今度は小笠原の南で10号が発声した。活発だね。
昔は北緯20度よりも南が生産地だったと思う。そこから成長しながら時間かけて北上し、年に3つ、4つ上陸するのが台風だった。しかも長旅の疲れか、上陸するとへばってくれるのが多かったような。
ところが今回の8、9、10号はどれも北緯20度あたりで生まれ、成長しながら北上して、そのまま上陸してくる。これは日本近海の水温が昔より高く、生産拠点が北に移動したのと、陸の横まできても成長エネルギーの補充が十分な環境が整ってるせいだろう。
これは発生から影響が出始めるまでの時間を短くすることになるし、強いままで上陸、災害ということにつながるんだろう。瞬間最大風速50mなんて言われると、怖くなる。我が家築60年、新しい部分でも50年選手。昔ながらの瓦をのせた日本家屋。家の前を通りかかった屋根屋さんが「お宅の瓦屋根だいぶ傷んでるね。強い風で横から雨が吹き付けると雨漏りするし、瓦が飛ぶ危険もあるよ」と営業詞に来ることが多い。いろんな業者がくるとこ見ると、まんざら嘘じゃないみたいだ。それがあるから急な台風は困りものなんです。
今週末から法事で福井を往復してくるが、法事そのものは台風の影響受けずに済ませられそうだが、大和への帰路が心配になってる。10号の中をドライブなのか、帰ってみたら雨漏りの家、瓦は数枚飛びました なんて話は絶対にやめてほしい。
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「表現の自由」が無くなったら

2019年08月06日 18時22分44秒 | 国を憂う
「あいちトリエンナーレ2019」で「表現の不自由展・その後」と題した企画展が公開3日で中止に追い込まれた。過去に各地の美術館で撤去されるなどした作品を集めて展示し、「表現の自由」とはどういうことかをもう一度考え直してみましょうと企画したようだ。一番の問題は「平和の少女像」(作者解らず)と題して出品された作品なのか。例の韓国作の「慰安婦を表現した少女像」をモチーフに作られた作品だ。それ以外も「撤去歴」を持ってる作品達だから見方によっては何らかの問題をはらんでる物なのだろう。
さてこの一件は今の世にあって、みんながしっかり考えて、自分の答えを見つけておくことが必要なことじゃないかと考えるんですよ。

僕がまず思うことは やはり「寛容」です。 個人の表現は自由。だからどんな作品を見せられても「ホー、こういう考え、見方する人もいるんだ。なるほどね。」とまず受け入れる姿勢が最も大事じゃない? 自分の考えが絶対正しいわけじゃなし(うん、正解なんかないのが世の中じゃん)。もろ手を挙げて認めなくていいよ、でも「否定から入っちゃだめじゃんよー」といいたいな。

「殺すぞ」「火点けるぞ」とまでの攻撃メールがあったらしいですね。 いつから日本人ってこんな攻撃的な人種になっちゃったの? 農耕民族だから「攻め」より「受け身」キャラだったはずなのに。これって日本だけに限らず、今地球上に蔓延してる文化だと思うけど どうですか?

こうやって「他を認めなくなって」その先どうするの? どうなって行くの? 僕は怖い世を思うから「考えないとね」と書くんです。いろんな人がいる それが世の中。全ての存在を認めたところでしか「共存」は成立しないでしょう?
今回河村名古屋市長が「日本国民の心を踏みにじる行為」と表現して中止を希望した。権力を持ってる人が個人の感性にまで踏み込んで、「良いの」「悪いの」と線引きした発言だと思います。彼にとっての「善」は名古屋市民全ての「善」に通じるのか? 「否」と言う市民が出てきた時貴方ははどう責任とるのか? 
以下のようなキーワードを考えながら、「表現の自由とは」をみんなで考えようよ。このまま行ったら取り返しがつかなくなるんだから。

  「芸術って何?」 「自己表現の良し悪しって何?」 「想いの表現 それを他人が止めて良いの?」
  「否定する貴方、貴方は善?」 「芸術の展示に税金を使っちゃだめ?」  

今の世の中を覆ってる雲はみんなこれ。 「否定から入る」。「相手を否定する」これです。(まっトランプ流ってやつかな) 今の米中貿易問題、日韓貿易問題(実は政治問題だけど)、香港も台湾も。 みんなそうでしょう? 「認める前に自己主張」「聞かなきゃ、力で押さえ込む」。 なんでみんながみんなこんな風になっちゃったのかね? 玉が小さくなって、欲だけ強くて、・・・・・・。
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全てが緊張モード

2019年08月05日 13時47分55秒 | オペラに挑戦
公演まで1か月を切って、いろんな事が緊張感をもって進んで行くようになった。土日連チャンで立ち稽古。とうとうトスカとスカルピア役とも合わせる練習が。

緊張① バミリ15分で完了
 団員みんながホールに来た時から緊張モードにスイッチが入ってる。いい練習、納得できる練習をやろうという気合ですね。
   バミリも今回で3回目。1回目は25分かかった。そこから作業改善して、手順書も作り直した。僕としては20分では行けると思ってた。みんなが積極的に協力してくれたこと、演出助手が加わってくれたことで、15分でバッチリ終わらせた。これがこの合唱団の「力」。

緊張② 情報漏洩への注意
 舞台上のことがだんだんはっきりしてくる。バミリもその一つだ。バミリはあくまでも平面で、立体的イメージは全くないが、それでもおいそれと写真公開はできない。上の写真までなら許される範囲と判断して掲載したが・・・・。
 衣装も一部はっきりしてきた。今回僕はとある役を仰せつかったのだが、特別な衣装に着替えることになるのは解ってた。それを昨日渡され、立ち稽古から着用の指示が出た。特別の衣装はいいけど、他に何か準備が必要となると面倒だ。早く教えて欲しいと思ってた。結局他に準備する物は無いことが解ったので一安心。その衣装を着た写真も公開は許されないだろう。ちなみに僕の衣装関係は全て検閲を通過したので、衣装での悩みはもう無い。
 練習とはいえ「歌声」は最高機密でしょう。団員の中では勉強材料としてNETで共有してますが、外には一切出してません。

 だからこういう日記を公開するのも注意が必要なんですよ。先生が書くBLOG記事を覗いてみるのがいいですよ。たまに練習風景も載せてるようですから。

緊張③ 歌う事、演技する事
 これが仕事だからこの点の緊張は半端ではない。みんなピリピリしてやってるのが伝わってくる。歌も演技も一通りやってるわけだから、これからでてくる「駄目だし」は全て「何べん言わせるの!」がついてくる内容。言われたくはないからね。その分だけ「レベルあがってるな」を感じながら練習してます。みんなも成長を感じてるんじゃないかな。先生たちも「もう一つ上の合唱を」と欲出してきたし。いい方向じゃないですか。緊張感が消えて、サラッとやるようになれば本物。

次回と次々回の練習は法事があるので欠席する事を伝えてある。迷惑をかけるけど、しょうがない。出番最初の堂守さんとの掛け合い場面がどうしても満足にこなせない。歌と演技にメリハリが無く、準備不足の歌い出し、何してんの?の動きになっちゃう。これは本物聞きながら研究すればいいわけで、ひとりでできる。休む分だけここをしっかり詰めておこう。
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トスカ PV 第2段

2019年08月03日 23時01分37秒 | オペラに挑戦
今日明日連チャンで練習です。 合唱団の状況は明日書く程の内容が有れば書きます。
今回は主催団体がPVの第2段をつくったようなので紹介させて頂きます。
ちなみに トスカ役中村さん、カヴァラドッシ役宮里さんの歌声はまだ聞いてないんですよ。早く聞いてみたい。この第二PVは中村さんの声でしょう。

    第二段 PV
    最初の PV
    熱い先生のBLOG
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トスカ の難しさ

2019年08月02日 06時16分51秒 | オペラに挑戦
8月最初の日記はちょうど1か月後に迫ったトスカ練習の現状をまとめ、今の認識から1か月どういう心掛けで練習に臨むか、臨まねばと考えてるかを書いておきたいと思ってたのです。ところがあっちの話題で1番を譲ったてわけ。まっあっちの話題は書きやすい、こっちの話題は書くのすら難しい話題だからな。

どこかで仕上がり度合いは60%と書いたような記憶。「1か月前で60% そんなんで大丈夫?」 の声がかかりそう。たぶんこれを読んだ人が思う「不完成内容」と僕が見てる「不完成内容」は全く違うものだと思います。だから「?」を感じる人がいても、当の本人はある意味「出来る」と思ってる所もあるんです。ただ「簡単そうで簡単じゃない高い壁」で、演者としての自分が本物の演者(芸術家)になれればクリアできることだと思ってます。「トスカ」は出演者がまさに1800年のローマに生きた人間にどれだけなれるかにかかってる作品なんです。
今の僕 詞もメロディーも動きもほぼ覚えました。でも先生の評価は「それじゃトスカじゃないんだ。これを歌え、こう動けと指示されてるからやってるだけじゃん。」なんです。今までやってきた作品だと、このレベルの芸をちょっと磨けば公演できたようです。
それは「先生のこだわり」と言えないことでもないけれど、「そこまで表現できてトスカだ」「そこまで登り詰めたい」と演者が考えるようになったんだから、もうそこがゴールでしょう。超える努力をしないんじゃ納得できないからね。
1800年に生きたそれぞれの人間になって、その人が持っていただろう「生への情熱、渇望、祈り」を演技、歌に込め切らないといけないのです。プッチーニがこの作品に仕組んだ思いがまさにそこなんですよ。舞台上では常にぶつかり合う情熱があって、それが醸し出す「不調和」な世界をしっかりみせないとトスカにならんのです。ソリストAと合唱団が絡む(ぶつかりあう)場面、ソリストさんがいかに上手く表現しても、合唱団がそれに対抗する情熱表現できないと「臭い、わざとらしい」場面になってしまいそうなのです。
話は飛ぶのですが、僕はオペラに出会う前に現代美術に出会い、白州の作家さんと懇意にさせて貰ってます。具象と違って、抽象の世界だから「描く対象は何か?」の疑問をぶつけたことがあります。作家さん「自分の中にある熱だよ」と言いました。自分の中にある「描きたいと願うパッション」そのものが描かれる対象だというのでしょう。それを聞いてから自分の中のパッション探しで真似事をやるようになりました。あれと同じなんですね。芸術は「パッション表現」なんでしょう。パッションの無い作品からは何の感動も得られないんですよ。トスカはまさにこのパッションなしでは作れない作品なんです。
じゃぁそれには。 とうとう「自分の最大の欠点」と向き合うことになったと思ってます。「自分を捨てきれるか」「役になりきれるか」(=テレを感じないで演じられるか)なんです。 歌だ、動きだ は二の次でいいんです。なりきって、熱持って舞台に立てたら、高いハードルを越えられるはずなんです。超えられた自分に熱くなれたら成功です。自分ももう一つ脱皮できるはずです。
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大船渡の佐々木君問題

2019年08月01日 19時25分33秒 | つれづれなるままに
8月のスタートは「あれ」でと思ってたんですが、ラジオ聞いてたらなんかこの話題が燃えてるので、興味ない話題じゃなし、ひとつ自分の想いもまとめておこうでこれにしました。
高校野球、地方決勝、今年一番の注目投手、それをあえて投げさせなかった件ですよ。
日曜日の朝のニュース番組であの張本さんが「なんで投げさせないの? 投手はガンガン投げて、鍛えていかなくちゃ。」と監督の決断を全面否定する 考えを述べてた。強い違和感を感じたことをまず書いておく。 
僕の知識では「高校生では(大学でもかな)体がまだできてない、成長過程だ。」と思ってます。ここは専門家に答えてもらうしかないが、もしそうなら、無理させない方がいいだろうと考えますね。だから大船渡高校の監督さんの決断は今の世にあって「英断」だったと評価してます。
それを昔の「根性論」で全面否定する意見には違和感を感じます。
そういう時代が来たんですよ。今まではこれでやってきた。その中でとんでもない英雄も出てきた。だからそれが正しかったのか? そこは事実に基づいて検証してみる時が来たということでしょう。アメリカでは高校生クラスだと連投は既に禁止されてるらしいじゃないですか。「昔は論」とか「根性論」は置いといて、見直してみればいいんじゃないですか。
自慢話に近いけど、僕は会社の野球部を辞めてから息子が入ってた少年野球チームの面倒を4,5年見てた。その時に「これだけは」と守ったことが有ります。それは「ちゃんとした投げ方を覚えさせること」「投手には変化球を投げさせない」の2つ。後者は自分が投げられないから教えようにもできなかったという事情もありますが。「投げ方」の指導には時間遣いました。しっかりした「フォーム」で投げてほしかった。その子が中学、高校で野球やるようになった時、ちゃんと投げてほしかったし、怪我してほしくなかったからです。あの当時もそうだったけど、今でも変な投げ方なのにレギュラーやってる子を見かけます。指導者に「?」を思っちゃいます。
特殊な「肘の手術」 実は高校生以下で受けてる子が相当いるんだそうですよ。その事実をその原因からしっかり表沙汰にして議論すべきなんじゃないですかね。
大船渡の監督は堂々と一石を投じたんですよ。そう前向きに捉えるべきじゃないですかね。
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