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トスカ の難しさ

2019年08月02日 06時16分51秒 | オペラに挑戦
8月最初の日記はちょうど1か月後に迫ったトスカ練習の現状をまとめ、今の認識から1か月どういう心掛けで練習に臨むか、臨まねばと考えてるかを書いておきたいと思ってたのです。ところがあっちの話題で1番を譲ったてわけ。まっあっちの話題は書きやすい、こっちの話題は書くのすら難しい話題だからな。

どこかで仕上がり度合いは60%と書いたような記憶。「1か月前で60% そんなんで大丈夫?」 の声がかかりそう。たぶんこれを読んだ人が思う「不完成内容」と僕が見てる「不完成内容」は全く違うものだと思います。だから「?」を感じる人がいても、当の本人はある意味「出来る」と思ってる所もあるんです。ただ「簡単そうで簡単じゃない高い壁」で、演者としての自分が本物の演者(芸術家)になれればクリアできることだと思ってます。「トスカ」は出演者がまさに1800年のローマに生きた人間にどれだけなれるかにかかってる作品なんです。
今の僕 詞もメロディーも動きもほぼ覚えました。でも先生の評価は「それじゃトスカじゃないんだ。これを歌え、こう動けと指示されてるからやってるだけじゃん。」なんです。今までやってきた作品だと、このレベルの芸をちょっと磨けば公演できたようです。
それは「先生のこだわり」と言えないことでもないけれど、「そこまで表現できてトスカだ」「そこまで登り詰めたい」と演者が考えるようになったんだから、もうそこがゴールでしょう。超える努力をしないんじゃ納得できないからね。
1800年に生きたそれぞれの人間になって、その人が持っていただろう「生への情熱、渇望、祈り」を演技、歌に込め切らないといけないのです。プッチーニがこの作品に仕組んだ思いがまさにそこなんですよ。舞台上では常にぶつかり合う情熱があって、それが醸し出す「不調和」な世界をしっかりみせないとトスカにならんのです。ソリストAと合唱団が絡む(ぶつかりあう)場面、ソリストさんがいかに上手く表現しても、合唱団がそれに対抗する情熱表現できないと「臭い、わざとらしい」場面になってしまいそうなのです。
話は飛ぶのですが、僕はオペラに出会う前に現代美術に出会い、白州の作家さんと懇意にさせて貰ってます。具象と違って、抽象の世界だから「描く対象は何か?」の疑問をぶつけたことがあります。作家さん「自分の中にある熱だよ」と言いました。自分の中にある「描きたいと願うパッション」そのものが描かれる対象だというのでしょう。それを聞いてから自分の中のパッション探しで真似事をやるようになりました。あれと同じなんですね。芸術は「パッション表現」なんでしょう。パッションの無い作品からは何の感動も得られないんですよ。トスカはまさにこのパッションなしでは作れない作品なんです。
じゃぁそれには。 とうとう「自分の最大の欠点」と向き合うことになったと思ってます。「自分を捨てきれるか」「役になりきれるか」(=テレを感じないで演じられるか)なんです。 歌だ、動きだ は二の次でいいんです。なりきって、熱持って舞台に立てたら、高いハードルを越えられるはずなんです。超えられた自分に熱くなれたら成功です。自分ももう一つ脱皮できるはずです。
コメント (4)
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