戦時の時世、あれこれ考えることがあるんだが、今「〇〇の抑止力」という「抑止力」って何? を考えだしてる。簡単に、当たり前のように、さも効果が出てるように語られ、しかも「社会に必要なもの」と認知されてるようだ。ほんとにそう? よくよく考えてみると、「抑止力」=「恐怖心」=「抑圧」=「暴力」と言えなくもない。 うん、ちょっと難しいぞ と思いだしたんです。 合わせて連想されたのが裁判で出る「死刑判決」 あれは?
急にこんなこと考えるようになったのは最近見たドキュメント番組が刺激したようだ。
・レーニン、スターリン、・・・プーチンと続いたロシアの「恐怖政治」の歴史
・ヒットラー、ムッソリーニの独裁政治
・フランス革命の際に革命派内にあった国民統治思想
さらに「核の抑止力」 今ちらつかせてるのが「悪」側で、抑制されてるのが「善」側の構図もある。「抑止力」って それそのものが「善」と言えるんだろうか。じゃ抑止力無しで人間社会って成り立たせられるんだろうか? やはり人間とは「弱い」存在なんだろうか?
他人に違和感を持つ⇒憎む⇒排斥したいと思う⇒行動を起こす だとすると
①「憎む」前で「それも有りかな」と寛容になれるか。
②「排斥したいと思う」前で自己コントロールできるか。
③「行動を起こす」前で何等かの外圧を掛けて思い止まらせるか。
こうなんだろうか。 とすると、①②で治まらない人間がいる以上③は考えないといかんのかな。ただ理解しておかなければならない事実は「抑止力」は「力」だから、それに「違和感、憎悪、反撃」を考える人が出て来る。もう「行動」と「抑止力」のスパイラル?
まだまだ考えも浅いんだろうけど、①②の人間力を上げていかない限り「力」で押さえることは「必要悪」なのかな。「なんでも抑えるんだ」になってる現実も困るんだけど。
では一番強い力は誰が、何が持つんだろう? 人間は協調できない、寛容になれない存在だというのが前提ですすめてきた諭なんですよね。
急にこんなこと考えるようになったのは最近見たドキュメント番組が刺激したようだ。
・レーニン、スターリン、・・・プーチンと続いたロシアの「恐怖政治」の歴史
・ヒットラー、ムッソリーニの独裁政治
・フランス革命の際に革命派内にあった国民統治思想
さらに「核の抑止力」 今ちらつかせてるのが「悪」側で、抑制されてるのが「善」側の構図もある。「抑止力」って それそのものが「善」と言えるんだろうか。じゃ抑止力無しで人間社会って成り立たせられるんだろうか? やはり人間とは「弱い」存在なんだろうか?
他人に違和感を持つ⇒憎む⇒排斥したいと思う⇒行動を起こす だとすると
①「憎む」前で「それも有りかな」と寛容になれるか。
②「排斥したいと思う」前で自己コントロールできるか。
③「行動を起こす」前で何等かの外圧を掛けて思い止まらせるか。
こうなんだろうか。 とすると、①②で治まらない人間がいる以上③は考えないといかんのかな。ただ理解しておかなければならない事実は「抑止力」は「力」だから、それに「違和感、憎悪、反撃」を考える人が出て来る。もう「行動」と「抑止力」のスパイラル?
まだまだ考えも浅いんだろうけど、①②の人間力を上げていかない限り「力」で押さえることは「必要悪」なのかな。「なんでも抑えるんだ」になってる現実も困るんだけど。
では一番強い力は誰が、何が持つんだろう? 人間は協調できない、寛容になれない存在だというのが前提ですすめてきた諭なんですよね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます