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水俣病裁判と73歳の決断

2023年09月28日 08時30分07秒 | つれづれなるままに
昨日大阪地裁で水俣病訴訟の大阪分128名に対する判決があった。全員を水俣病と認定し、国、県、チッソに賠償命令を言い渡した。正直「驚いた」。 こんな判決がでるなんて。
もう50年にもなるんでしょう、この裁判は。しかも節目節目で国は賠償範囲を広めつつ、賠償をやってきた。2009年に特別措置法をつくって、これで水俣病は終わりとしたかったんだろうな。それでも措置法が定義した被災者にあたらない人達が訴訟をお越し、その大阪分が昨日の判決だったのだ。
一番に感じたのは「裁判長が女性(逹野ゆき)だった」だ。これは当たってるだろう。
男性だと国(行政)側にたった判断が出ただろう。ここんとここの傾向は顕著じゃないですか。支援者の中からも「驚いた」という感想があったというほどです。
岸田さんが女性閣僚を任命したことについて、「女性の感覚感性」ということをおっしゃった。今回の女性裁判長はまさに女性の感性なんじゃないだろうか。今回の現実を見せられると、いかに「男性感性な社会」に慣らされ、親しんでることかを実感するね。
それと「こうして時間はかかるけど、徐々に変わっていくのかね」だ。

昨日もう一つ事件があった。富士宮市で73歳の夫が回復見込みのない72歳の妻と40歳の娘を入院してる病院内で殺害し、自分も命を絶った。もうこれ以上の悲劇はないね。僕と同じ歳だ。
よくこんな決断できるな、よく実行できるな。その立場になってみないとわからん、絶対見えない世界っていうのがあるんだろうな。
昔もこういう境遇はあったはず。しかしこういう事件はあまり聞かなかったように思う。昔はこういう人を隠して、周りから見えないようにしてたろうね。それで自分も「世間体」を作ってた。そこから先は我慢と忍耐だったのかな。今は介護看護が整ってきたから、表に出てくるようになった。世話する方も世間体が気になるようになったんだろうか。いや、それだけじゃないな。我慢、忍耐力も落ちてるかも。
まだあるな。 周りからの関与も変わってきたかも。非難的な、自己責任的な目線はきつくなってきて、一方で支援してくれる、助けてくれる、助けを気楽に頼める そんな周りは無くなってきたんだろうな。
こういう社会にメスを入れてくれるのは男性じゃなく、女性なのかもしれない。
コメント
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