前の記事で「安倍政権」の体質、「やり得、やった者勝ち、臭い物には蓋」を書いたが、書きながら今の世相との関係を思ったし、間違ってもいなさそうなのでちょっとまとめておく。
・その昔はまだ努力が報われた世の中だったのだろう。自分の好きな分野で、自分なりの努力をすれば、平均以上の生活はできたんじゃないか。
・「生産性とか効率」という価値感が入ってきて、「好きな分野、自分なりの努力」なんて言ってたのでは食っていけなくなる。 満足できる環境ではないがでも努力すればまだ人並の生活はできた。
・次は物が溢れ、金があれば何でも手にでき、新しい生活を楽しめる世の中になった。逆に金が無ければ何も手にできず、隣との比較でみじめさを思うようになった。
・企業はさらに生産性を追求し、最後の禁断の域=人件費=賃金に手を着けだした。ここで金を貰える人と貰えない人に別れだした。この段階は一つの格差社会なんだろうな。 「貰える貰えない格差」で「非正規社員、就職氷河期」なんていうのが当たるんじゃないか。
・ところがここで終わってない。 もっと「えげつない」方向に社会は進んだ。 金を持った人はそれを増やそうと考えたんだね。当然の方向だろうな。いわゆるマネーゲームだ。こうなると社会規範に抵触するような方法まで考え、庶民には見えない、理解できない、文句言えない世界で増殖を計ったんじゃないか。
・ここに来て「やれる人」と「やれない人」に別れたんだね。 「やれる」側が「権力者」とくっつくのは水が低い方にながれるのと同じで当然の方向。
こうして見ると、権力者が作り出す施策はみな「増殖の道具」じゃないかと思えて来る。
「やってる人=やれる人」を見て「やれない」側がひがまなければいいのだが、人間そうはいかない。 やる側の手口が漏れ見えて、そのえげつなさを知った時、「奴らにできて何で俺はできないんだよ」となるのが必然? こう考えてしまった人はどうするんだろう?
努力をあきらめる。 引き籠る。 盗む。 刑務所に入ることを希望する。 殺す。 騙す。
パワハラで憂さ晴らし。 下請けいじめ。 ギャンブル。 忘年会スルーもそうかな? 等々
これが今の日本じゃないのかな。
・その昔はまだ努力が報われた世の中だったのだろう。自分の好きな分野で、自分なりの努力をすれば、平均以上の生活はできたんじゃないか。
・「生産性とか効率」という価値感が入ってきて、「好きな分野、自分なりの努力」なんて言ってたのでは食っていけなくなる。 満足できる環境ではないがでも努力すればまだ人並の生活はできた。
・次は物が溢れ、金があれば何でも手にでき、新しい生活を楽しめる世の中になった。逆に金が無ければ何も手にできず、隣との比較でみじめさを思うようになった。
・企業はさらに生産性を追求し、最後の禁断の域=人件費=賃金に手を着けだした。ここで金を貰える人と貰えない人に別れだした。この段階は一つの格差社会なんだろうな。 「貰える貰えない格差」で「非正規社員、就職氷河期」なんていうのが当たるんじゃないか。
・ところがここで終わってない。 もっと「えげつない」方向に社会は進んだ。 金を持った人はそれを増やそうと考えたんだね。当然の方向だろうな。いわゆるマネーゲームだ。こうなると社会規範に抵触するような方法まで考え、庶民には見えない、理解できない、文句言えない世界で増殖を計ったんじゃないか。
・ここに来て「やれる人」と「やれない人」に別れたんだね。 「やれる」側が「権力者」とくっつくのは水が低い方にながれるのと同じで当然の方向。
こうして見ると、権力者が作り出す施策はみな「増殖の道具」じゃないかと思えて来る。
「やってる人=やれる人」を見て「やれない」側がひがまなければいいのだが、人間そうはいかない。 やる側の手口が漏れ見えて、そのえげつなさを知った時、「奴らにできて何で俺はできないんだよ」となるのが必然? こう考えてしまった人はどうするんだろう?
努力をあきらめる。 引き籠る。 盗む。 刑務所に入ることを希望する。 殺す。 騙す。
パワハラで憂さ晴らし。 下請けいじめ。 ギャンブル。 忘年会スルーもそうかな? 等々
これが今の日本じゃないのかな。