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誰かが責任を取らないと

2019年12月18日 09時18分26秒 | 国を憂う
大学入試の英語試験で「民間試験の活用」が延期され、国語・数学の「記述式」も延期された。
「記述式」の方は勉強不足でまだ見解を書くレベルじゃないんだが、「英語民間試験」の方はその経緯も相当表にでてきてるので僕なりの見解も固まってきた。
僕はこういう事だったと結論してる。
「2013年以降政府から諮問された3つの有識者会議も問題点を列挙はしたが、解決策の検討はやってない。当然新方式の是非など答申する力も無かった。つまり一から十まで全て政治主導で事が進んできた。その間巷に渦巻いてた『不満』が徐々に大きくなり、大学からの具体的な反発が表面化して社会問題に成り、ぎりぎりのタイミングで『延期』せざるを得なくなった」 こういう事なんでしょう。
だからこんな勘繰りだってしてしまう。時の権力者が民間と結託して金儲けの事業として言い出したんと違うの? 経済政策が主で英語力強化は手段だったんと違うの?
おそらく「記述式」も五十歩百歩じゃないですかね。
さて僕が言いたいのは「これだけの混乱、高校生に迷惑をかけたことの責任はだれも取らなくていいのか」と言う事。昨日萩生田大臣は「だれが責任者だったという問題ではない。今私が全責任者。その私が再構築するんです。」みたいな事を言ってた。みごとですね。予測される批判(私のような)を事前に潰してしまえというに等しい。
こんな弁に騙されてはいけない。「誰か」なのか「誰か達」なのかはっきり今回の件で責任を取らせないと。 民間企業じゃ通る話でないですよ。また若い人達にも良くないでしょう。そんないい加減な社会を見せたんでは。
今の日本に蔓延してる「民主力」の低下傾向、その原因がこんな権力者の行動だということを認識しないと・・・。
コメント (2)
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