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座間市の文化としてのオペラ

2019年09月02日 14時51分42秒 | オペラに挑戦
これはちょっと長い記事になりそうに思います。まず軽い話から。

昨日の公演 1000人前後の入場者だったようです。観られた皆さんは「大満足」でお帰りになったと思います。お帰りをホワイエでお送りしましたが、皆さん笑顔で「良かった」と言ってくれましたから。そりょそうですよ、これだけのソリストさんを集めたら都心で公演したってお客さん入りますよ。まーぁ合唱はちょっと見劣りするとしてもですよ。
僕には今回の公演で気づき、一方で不思議に思えたことがあります。「座間でこれだけのソリストさんをオーディションで集めて、これだけの人、物を動員して、これだけの質のオペラを上演する」なんでできるの? です。ちょっと待ってね、僕には見えてないからあえて書かないけど、「お金」だって相当必要なはず。 
なんでこんなことができるの? それは関係者の「情熱」なんですよ。そりゃ「助けてやろう」という情熱もあるでしょうが、「いい物を作りたい。みんなんで作ろうよ。」という熱持った人達が組織化されたことで生まれる「情熱の塊」あればこそなんです。それは絶対に間違ってない「答え」です。僕は舞台意匠担当、舞台製作担当、ホールの作業員の方達とも作業したから解ります。みんな「いい物にしたい」と願って作業してました。音楽関係者は言うに及ばずです。
じゃこれだけ200人近くの関係者を「素晴らしいトスカを」の情熱で組織化できたのはなぜか?これも答えは一つなんです。
演出家、オペラ合唱団「ノヴェッラ」の親分『古川寛泰』(後は「ヒロ」で)がいるからです。僕には大きな謎です。なぜ40ちょっとの男がこれだけ人、物、金を集められるのか? がです。あれだけの舞台を作っちゃうんですよ。

最初に会った時は「魅力ある声で歌うテノール歌手」とだけ思い、「オレもちょっとやってみるかな」で生徒になりました。あれから7年がたったかな。確かにヒロが大きな病気をし、歌をあきらめたという事実もありますが、振り返ってみると、いつのまにか「ヒロの情熱マジック」にやられてました。そういうことなんですよ。僕は今オペラを歌う事、苦労して覚える事、作る事、みんなと舞台に立つ事、その全てを楽しみと感じてます。なぜこうなれるか? それはヒロの情熱に焼かれるからです。「情熱」の力を感じてます。合唱団員みなそのはずです。そしてヒロに関わる人達は皆「情熱の虜」になるんです。そんな情熱の虜になった人達が一つになって作る舞台です、観客を虜にしないわけが無い。
「座間にオペラ文化を」と立ち上げたのが11年前とのこと。僕は後半の7年ほど内側から見てきましたが、昨年の「愛の妙薬」あたりから「座間の文化」になりだした感があり、今回の「トスカ」ではお客さんの質も上がり、これを楽しみに来られる方も多くなったように思います。私の友人なんですが、大泉学園から来た人がいます。横浜綱島からもいます。団員の友人で千葉からという方もいらっしゃったような。どうにかヒロが目指してる「地域文化としてのオペラ」「座間から本物のオペラを」が形になり出したのかなと思った公演でした。

ところが今問題が持ち上がってます。「来年の公演はできないのではないか」ということです。おそらく「採算」という今流の判断基準が先にでてきたのでしょう。この価値判断が出て来ると、たいていの文化活動は中止に追い込まれるでしょうね。支援母体の決裁者が「明日の社会福祉より将来の町文化」と考えるのは困難な世相ですからね。
今まで掛けた経費はなんだったの? それこそ「無駄遣い」でしたと公言するようなものですよね。こういう事業は1年、2年の物じゃなく、取り掛かる最初に「何年かかろうが、座間をオペラの町にするぞ」「オペラで町興しだ」位のまさに「情熱」持ってスタートし、「採算合わないから中止」じゃなく、「どうしたら採算が取れるのか」を考える事業なのでしょう。
今もったいないのは「これまで掛けた経費が無駄になる」ことじゃないんです。「10年かけてどうにかここまでの形にしてきた地域文化」が消えてなくなることです。いったん消えたらもう火は点かんでしょう。ましてや「座間オペラ」は「ヒロの情熱」があってここまで来た。数年後ヒロに「またやる?」と持ち掛けても、そりゃ腰上がらんのが人間ですよ。はたしてヒロがこの県央に在住してるかどうかも怪しいでしょう。
文化事業って難しいですね。歴史ある行事だって怪しくなる御時世ですからね。徳島の阿波踊りだってゴタゴタしてるような。でも考えたいのは「文化的活動のない地域なんて住みづらいだけじゃないか」ということです。地域の自治が怪しくなってる。これだって効率性だの採算性だのが先にたった判断で制度を変えてきた結果でしょう。「地域住民の和がまず大事」が忘れ去られてるんです。そこに「地域なりの文化事業」が柔和剤のように浸透して行って、地域の和が生まれるのと違いますかね。今生きてる自分達の文化って必要なんですよ。積極的に作るとか維持するとか それが大事なことなんだと思います。
だから「オペラ」でしょうとは言いませんが、座間の場合やっとこれだけのものにしたんだし、他を圧倒する質だと思うし、やってきたヒロだってまだまだやりたい夢もってるんだから、行政側もその価値を理解し、ヒロを使えばいいんだろうと思うのです。今のヒロは「使われてる」と解っても、「自分の夢が実現できるならやってやる」の情熱持ってるはずだから。

自分としてはどうなのか?  中で7年もやってきた身ですから、どんな形でもいい、年に1度の舞台を目指して練習できる環境にいたいな。スポンサーになってくれるような人なり会社なりを知ってればお願いに行く事位やりたいんですがね。
これを読んでくれた友人の方達 座間のハーモニーホールに「来年は何やるの? 来年もやるんでしょう」のメッセージを送ってくださいよ。 そうです、僕の為にです。  よろしく。  そして「文化事業」の大切さを考えてみてください。
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枢機卿役

2019年09月02日 13時54分49秒 | オペラに挑戦
昨日終わった「トスカ」 僕 特別な衣装を着て、副枢機卿役をやらせてもらったんです。以前「ラ・ボエーム」で雑踏の中のおじさんとして合唱が歌う短いフレーズを目立って歌わせてもらったことがありましたが、この時は普通に自前の衣装でした。今回は団でわざわざ用意した衣装を着て舞台に立ったんです。それも重みのある、かっこいい役。

       

合唱団の出番は一幕に2回あります。前半は教会の関係者として「明るい平民役」、後半は全員でミサの場面を演出。ミサでは平民、聖歌隊、枢機卿になって雰囲気作ったんです。親分枢機卿じゃなく、2人いる副枢機卿の1人だったんですよ。その場面では格で言えば「上から2番目」っていうの。かっこいいじゃないですか。どう見えたかは動画を見るまでわかりませんが、自分としては大過なく粛々と演じられたと思ってるのですが。もうひとりの副枢機卿(長崎さん 僕より高齢)とこの役に決まった時から2人で動きを全て決めました。一切他から指導される事は無かったですね。(一つだけあった。それは「あまり舞台の先端近くを歩くな」ということ) 要は「荘厳な感じ」に見せること、それには速足駄目、手を振るも無し、静々と、2人の動きをぴったり合わせること。 これみんな2人で作ったんです。録音された音源を聞きながら何度バミリの舞台を歩いたことか。おじさん2人がこつこつ努力する姿を見て、注文つけられなかったんだろうな。これぞオペラ出演です。 もうひとつあった。この姿だから「鬚剃ってこい」が出たんですよ。
前日のGPの時、僕衣装つまみ上げるのを忘れて2段階段を上がる時2回とも裾を踏んだんです。わりと伸びる生地なので大事に至りませんでしたが、「本番ではこれは忘れるな」でした。そして本番、ちゃんと摘まんだんです。雛壇にちゃんと並べてホッとした時、歌がスタート、すっかり出遅れました。ここが素人の可愛いというか、嘆かわしいところ。
1回目平民で出て掃けて、次に枢機卿に変身して出るまで20分。楽屋で速着替え。顔にドウラン付けてるから衣装を汚さないよう風呂敷で首上をすっかり覆っての着替え。これも面白い体験。

う~ん、こうして振り返ってみると、やはり「面白かったな」です。何から何まで、苦労したことも ぜーんぶ面白かった思い出になってる。「トスカ」だったからという部分もある。軽くない演目だったな。早く動画が見たい。
コメント (5)
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