平成天皇が退位される。国民の大半がそうであるように僕も「感謝」の気持ちを持ちつつお送りしようと思ってる。「素晴らしい平成でした」と絶賛します。「象徴天皇」の姿を追い求め、ぶれずに自分の想いを体現されてこられた30年だったでしょう。その責をはたせないと思えたら、サッと身を引かれる。「生き方の鏡」じゃないですか。皇后も絶賛します。苦悩する天皇をしっかり支え、時には国民の想いを平民感覚でお伝えもしたでしょう。素晴らしい両陛下でした。
学生時代に羽仁五郎著「都市の論理」を読んだ。その中に「天皇(制)も権力の一つ。力である以上それを利用しようとする勢力が生まれて来るし、天皇自らがその力を使おうとするかもしれない。」 そんなことが書いてあって、結論は「だから天皇制は不要である」と書いてあったと記憶してる。これを読んで以降、「天皇は必要なのか? 天皇制でなくてもいいんじゃないか?」を思うようになり、答えを出さないままに今日まで来てしまっている。これは天皇に対して失礼なことであったかもしれない。
平成天皇に感謝することと、天皇制はあった方がいいとすることとは僕の中では別次元のことです。今国民が天皇を素晴らしいと見てるのは「閉塞感に満ち、明るい将来を感じることができず、人間の傲慢さだけが先行してる今の世の中(これには人為的な要因もあれば、自然災害等の要因もあるだろう)にあって、平成天皇が体現してくれた「優しさ」「思いやり」「愛」「謙虚」そういったものへの称賛、感動、希求があるのだと思う。だとすると世の中の「ひずみ」を修正する努力をすることが「国民の天皇に対する恩返し」じゃないかと考えるんです。天皇が手を振ってくれたからといって満足してたんでは「失礼」になるんじゃないかとまで最近は考えてます。
「令和」に代わる今年、「天皇制」を考えるのもいいんじゃないですかね。「なぜ必要なの?」「何をしてほしいの?」「天皇に対する国民の義務はないの?」「不自由にも見える生活をさせていいの?」 いろいろ考えることは多いですよ。
新天皇も「これから自分はどんな姿で『象徴』を務めようか」とお悩みだろうね。御両親が素晴らしかっただけに。
トランプさんが5月に来日し、新天皇が最初に面会する外国要人はトランプさんになるらしい。「天皇の力」を利用する力が働いてなければいいのだが。
学生時代に羽仁五郎著「都市の論理」を読んだ。その中に「天皇(制)も権力の一つ。力である以上それを利用しようとする勢力が生まれて来るし、天皇自らがその力を使おうとするかもしれない。」 そんなことが書いてあって、結論は「だから天皇制は不要である」と書いてあったと記憶してる。これを読んで以降、「天皇は必要なのか? 天皇制でなくてもいいんじゃないか?」を思うようになり、答えを出さないままに今日まで来てしまっている。これは天皇に対して失礼なことであったかもしれない。
平成天皇に感謝することと、天皇制はあった方がいいとすることとは僕の中では別次元のことです。今国民が天皇を素晴らしいと見てるのは「閉塞感に満ち、明るい将来を感じることができず、人間の傲慢さだけが先行してる今の世の中(これには人為的な要因もあれば、自然災害等の要因もあるだろう)にあって、平成天皇が体現してくれた「優しさ」「思いやり」「愛」「謙虚」そういったものへの称賛、感動、希求があるのだと思う。だとすると世の中の「ひずみ」を修正する努力をすることが「国民の天皇に対する恩返し」じゃないかと考えるんです。天皇が手を振ってくれたからといって満足してたんでは「失礼」になるんじゃないかとまで最近は考えてます。
「令和」に代わる今年、「天皇制」を考えるのもいいんじゃないですかね。「なぜ必要なの?」「何をしてほしいの?」「天皇に対する国民の義務はないの?」「不自由にも見える生活をさせていいの?」 いろいろ考えることは多いですよ。
新天皇も「これから自分はどんな姿で『象徴』を務めようか」とお悩みだろうね。御両親が素晴らしかっただけに。
トランプさんが5月に来日し、新天皇が最初に面会する外国要人はトランプさんになるらしい。「天皇の力」を利用する力が働いてなければいいのだが。