選挙が終わった。本当にありがとうございました。率直にいって本当にありがたいというのが第一であります。その上で、いくつか。
選挙では落ちる人がいるわけで、それは大変に気の毒なことではあるのだけれど、そのおかげで民主的な手続きが出来てよかったという気がする。日本の中には無投票でかなりの数の議員さんが生まれている。中にはなり手が無くて、定数割れして全員当選の上に欠員が出ているようなところもあるんだそうだ。それで議員の報酬を上げなければ、という議論もある。まあ、普通に考えて、そういうところはもっと定数を削減すべきと思うが…。
さらに投票率は下がる一方だ。他の先進諸国もこのトレンドにあるというが、アングロ・サクソンの民族が多ければそれなりに投票率は高い傾向はある。闘争的な人種とそうでないところという見方もあるようだが、どうなんだろうか。やはり歴史と文化的なものがあるのかもしれない。日本のように村的なところは、争ってまで何かを決めるという手続きの方に、遠慮を感じる人も多いのかもしれない。しかしながら、選挙という手続き以外の上手い選択方法が本当にあるんだろうか。多数決ならグーグルに決めてもらえばいいという話もあるくらいだが、実際のところ、そういう考えも現実味があるように思える。民主主義の未来というのは限りなく暗い。僕はつまるところ、それでいいけど。
今回の選挙に関わっていて、やはり当事者だから思うのだろうけれど、期待というのが大きすぎて、そういうことにナーバスになってしまうことはあるのかもしれない。本当にやれることはいろいろやるわけで、もどかしさも感じるのだろう。本人は本当に純粋に一所懸命で、まさに心配になるくらいだ。その分、やはり本当に働いてくれるはずであるが、実感としてどうなんだろうな、などとも考えてしまうわけだ。これしか方法が無いけれど、これで本当にいいのかどうか。これが効果的なのかどうか。運動として、考えが浸透するということが、本当にまちづくりに有効なんだろうか。僕らが同時代性で生きているということも含めて、どのような影響があるんだろうか。でもまだわかりえない人たちが数多くいるのだ。
反省はサルでもできる。でもそれは形の上だろう。野球なんかで優勝すると、派手にビールがけをする。僕はそういうことをしたい訳ではないが、しかしそういうことは案外必要じゃないかな、とも思う。実際に人間が燃え尽きず、再度やる気を出すためには、そのようなリセットが必要なんだという。中途半端に喜べ無いようなら、やはりどこか燃え尽きるような感じにならざるを得ないのだろう。次のシーズン激しく戦うためにも、そうしてタフに乗り切るためにも、一度すっかり頭の中にビールをかぶる必要があるんだろう。
間違いないのは、僕らは勝ったのだ。驕りはいけないが、踊るなら次のステップだ。躊躇しているよりよりよく踊れだ。それで倒れたら、また起き上ればいいのである。