レッド・ライト/ロドリゴ・コルテス監督
超常現象や超能力といわれるもののトリックを暴く学者の二人と、まさに強力な力を持っているらしい超能力者との戦いの物語、と略して言うことはできる。前半はとにかく超常現象というものを科学的に解き明かすテクニックが光っており、しかしそういう中にあって、大御所の最大のライバル超能力者の出現から、がらりと雲行きが変わっていく。先日読んだ「ガダラの豚」みたいな話ともいえるが、まあ、少し違うな。また、最後にはアッというどんでん返しも待っており、ネタバレは絶対知らないままに観るべき映画だろう。後でネットで確認したら、それなりに不満のある人も多いようなのだけど、少なくとも僕自身は、それなりに感動できた。よく考えてみると伏線もいろいろあったわけだし、騙されちゃって快感だったわけだ。分かりにくい部分も多いといわれるとそうかもしれないが、まあ、ラストがこれなら、仕方ないでしょう。
そういうわけでタネは明かせないけれど、オカルトというのは、テレビや映画ネタとしては、やはりオイシイということは昔も今も変わらないことかもしれない。しかしながらこれが興行となって、いわゆる金儲けだったり、病気を治すということになると、やはり問題は大きいといえる。特に病気の人なんかは、藁にもすがる思いがあるわけで、オカルトや宗教めいた詐欺にあたってしまうことは、大変に不幸ということは言えるだろう。映画の中ではオカルトを暴く学者の青年に、一学生の女の子が、「(そんなことをすることに)意味なんかあるの?」と疑問を呈している。いわゆる営業妨害をしているわけだし、オカルトを楽しんでいる人の失望を仕事にするより、他の研究に没頭すべきではないかという合理主義的な疑問ということかもしれない。しかしながらこれは、明確な害悪や詐欺を暴いているわけで、そもそも論としては社会的に大変に有意義であることには疑いが無い。むしろ学生の疑問というのは、たぶん一般の人であっても漠然と疑問視してしまいそうなことに、大きな問題があるということが言えるのではあるまいか。要するに安易にオカルトに取り込まれる人間性ということについて、今一度個人的にも考えてみる必要があるだろう。
それにしてもやはり映画の中でも、超常現象対学者の討論番組というのがあった。テレビなどのメディアでは、この討論が成立するという前提で、娯楽としてのバトルを楽しんでいるわけだ。お互いに有る無いでケンカをしているだけのことだが、最終的に信じる信じない論争になったりする。そうなると、そもそも有る無いの話ですらない。不毛であるばかりか、意味すらないと思われるし、オカルトと科学の対立があるという幻想すら抱かせてしまうミス・リーディングである。よくオカルト側が科学でも証明できないことがこの世の中にある、という言い回しをするわけだが、オカルトが現実に存在するならば、すなわちそれは科学的に証明が可能であるに過ぎないわけで、論理自体が詭弁である。オカルト現象が科学に証明できない分野であるという前提は、そもそもまったくの誤った出発点に過ぎなくて、科学でないから、現実に存在しないから、科学が取扱いさえしないだけの話であろう。ここのあたりが一般の人にはそもそも理解していないところのような気がして頭が痛くなるわけだが、しかし映画であれば、オカルトは存在して結構なのだ。ということを人々は了解しておかなくてはならない。まあ、これを観て勘違いするような人は居ないだろうから、単なる老婆心でありますが…。