カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

出張前の準備

2008-04-29 | 
 出張などに行く前に、事前にそのまちの情報を集めたりすることがある。ほとんど時間が取れなくて無駄な努力になることも多いけれど、そのちょっと無駄になることに投資するのが人間の習性ではなかろうか思ったりする。無駄だと分かっていても調べずにいられない。所期の目的(本来的な出張の成果)より隙間の娯楽の方により興味がわくわけである。欲望に忠実という意味では、当たり前かもしれない。本当は旅行で行きたいけれど、それぐらいの楽しみしか取れないという悲しさなのだろうとも思う。
 さて、そういうわけで、特にその地域の旨いものというヤツは、少なくとも事前に知っておきたい。仕事や用事があるにせよ、飯ぐらいは必ず食うだろう。せっかくだからということで、少し奮発してもいいとも思う。それぐらいは望んでもバチはあたらないだろう。なによりその地に足を踏み入れた味の痕跡ぐらいは残してもいいのではないか。
 こういう場合ネットというのは便利になった。掲示板などで地元の知らない人間に問い合せることも可能になった。なんとなく生の声という感じもして、宣伝とは違う信用度がある感じもする。もちろんそこで宣伝をしている場合も多いのだろうけれど…。
 しかし、掲示板を見ても失望することも多いのは確かだ。ネットで情報を提供してくれる世代というのは、どうしても若者が多いせいだろうか。つまるところチェーンのラーメン屋を書き込んで紹介しているような人が多い。まあ、自分が旨いと思っているので正直な感想なのかもしれないが、ラーメンが名物というようなまちは、食に貧しいまちに過ぎないという告白のようなものだろう。本当に名物だというところも確かにあるけれど、そういうところの情報は、わざわざこういうところで調べる必要などない。
 とはいえ「名物に旨いものなし」とも言われるわけで、有名だから旨いというのは必ずしもいえないことである。いくら有名でも店によって好みによって違うといえば確かにそうだろう。当たるか当たらないか、運といってしまえばそれまでだが、食ったけど不味かったということも、現実として受け止める度量も持ち合わせておこう。残念であるということで、いい思い出にしてしまおう。
 意外なことにというか当然のことかもしれないが、知り合いでその地に行ったことのある人の情報というのが一番信用できるようだ。地元の人の味覚(感覚)と観光者の感覚は、微妙に違うものである。例えば僕のように(広い意味で、厳密に言うと市内と僕のような郊外居住者とはまた感覚が違う)長崎地区に住んでいる人間にとって、旨いちゃんぽんと観光客の喜ぶちゃんぽんは必ずしも一致しない感じがする。どの程度の熟練度と要求があってちゃんぽんを求めているのか、ということも吟味して紹介しなければならないのである。それはある程度その人のパーソナリティなりも理解しておいた方がいいことは、必須であるだろう。知り合いの口コミ情報が貴重なのはそのせいである。
 しかしながら、紹介してもらって物を食べるという行為は、少なからぬ信用問題にも発展してしまう危険もはらんでいるということになる。何を旨いと感じるのかは、きわめて微妙な問題にもかかわらず、容易に知り合いとはいえ信用すること自体が危険なのである。今後の関係も不安定になるという覚悟を持ってお互いに臨んでおかなければならない問題なのではなかろうか。
 しかしその地の空気というものは確かにあって、地元のものを食うということは楽しいだけでなく効果的に味覚の感覚を変える可能性はあると思う。お土産や取り寄せなどにしてまた家で食うと、あの時とは違う自分の味覚に驚くことがあるからだ。あの時は感動的に旨かったのに、帰ってくるとその空気が失われている。こんな味ではなかったのになあ、と嘆き悲しむことがあるものだ。物理的にまったく同じものではないにせよ、これほどの違いは何かというのは難しい問題だ。人間が移動して生まれる高揚感のようなものと、味覚というのは密接な関係があるものなのだろう。
 最近は物流が決め細やかになり、地元のスーパーで意外な場所の名物が手に入ったりする。あの時食ったものと同じだと思うと、なぜかがっかりしてしまう。遠くまでいってわざわざ食いにいった甲斐というものが失われたということなのだろう。地元にも事情があるのかもしれないが、名物は地場で消費して欲しいものだと思う。何でも手に入る世の中というのは豊かであると同時に、何か大きな価値自体を失わせているのではないだろうか。個性的な価値観が失われていくというのは、多様性を殺すことにもなるだろう。結局それは、ある意味の貧しさということなんじゃないかとも思う。
 とはいえやはり地元の名物は存在する。移動の高揚感と共に探究心がある限り、旨いものを食えるチャンスがあるということである。個人的には仕事より優先すべきことであるのは、至極当然のことなのかもしれない。
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