カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

前向きにいこう

2006-05-24 | 音楽
 パールジャムとレッチリがある種の喪失感でアメリカの気分を代弁している時に、天気の状態が思わしくない日々が続いた。いささか気分も重たい感じだ。久しぶりに新譜を聞けるという喜びもあるのだが、重苦しく気分が乗らない感じなのだ。僕の気分とは裏腹に、両バンドともお互いに曲調はなんとなく吹っ切れている。完全なる原点回帰ではなかろうが、昔っぽい空気は伝わってくる。もうすぐ夏が来るのだろう。
パールジャムはともかく、レッチリは夏の方がいい。フリーも少しばかり楽しんで演奏している感じもする。よく聞くと冒険的な曲もあるようだ。僕はある程度は新しいもの好きの傾向があり、金太郎飴より好感が持てる。それにしてもフルシアンテは、昨年から大量に曲を書いて演奏しているわけで、自分でつくっているとはいえ混乱しないのだろうか。昔と比べたらギチギチではないし、応用が利くのかもしれない。
パールジャムはおおむね本当に期待どおりだろう。メディアも安心して歓迎しているように見える。巨大組織と戦い、政治と相克し、事故で複雑な対場に追い込まれた数年だった。そういうことがよいことか悪いことかはよくわからないが、本当に一皮剥けたようだと思われる。多少疲れちゃったよ、という正直なところもあるのだろうが、表現者としてはそれぐらいのほうがいいこともあるのだろう。巨大な塊が強引に進んでいく感じは、グランジの王道をいって気分がいい。僕はライブは好きではないが(ずっと立つのが嫌だし、暑い)ライブのビデオなら見てみたい気がする。まあ、いづれは出るだろう。

 取材旅行で飛行機に乗っているときにズートンズの新曲も聴くことができた。帰ってから急にラジオでズートンズがかかっていることに気づく。なんとなく安っぽく聞こえるが、実に上手い構成力だ。それになんといっても元気になる。
こういう七十年代最初の頃に英国で盛んに歌われていた空気というものが現代に戻ってくると、時代に共通性があるものか気になるところだ。実際のところは新しいという感覚で若い人が受け入れているのだろうけれど、僕のような世代にはずいぶん懐かしい。しかしながら本当のところ、当時の僕は幼かったので、その時代の英国のことはよく知らない。
ポンキッキでビートルズ程度は聞いていたが、キンクスは兄貴のレコードからしか聞けなかった。中学生になって大阪の中古レコードで買いあさった経験があるので、その頃も既に古典だったのだろう。レイ・デイビスは例えは適当でないだろうが、郷ひろみのように何度も復活するアイドルだったが、年を重ねるごとにうるさくなっていった。そのうるさくなる前の状態に近い感じがする。日本だと、松田聖子の登場前である。さて、そんなことはどうでもいいかもしれないが、似てないでしょうか。比べようがないな、やっぱり。
好きなんだけど、若い世代がこしゃくに上手いというのは癪にさわるところもあるのは確かだ。しかし、実際下手に昔と比べるとレベルが随分高くなっているように感じるのは僕だけだろうか。前座バンドが終わったら客がサーッと帰ってしまうような、一抹の寂しさを覚えるが、この恐怖感を心配するほど、僕は枯れてしまったのだろう。それでも気を取り直してやってみっか、という風に昔なら考えただろうに、いかんいかんと気を引き締めるというか、気をだらけさせることも大切だと、思う次第である。

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