カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

凄まじい情けなさと暴力の世界   小銭をかぞえる

2022-09-20 | 読書

小銭をかぞえる/西村賢太著(文春文庫)

 表題作のほか「焼却炉いき赤ん坊」の二編が収められている。子供のころ父親が強姦強盗事件を起こし両親が離婚。そういう家庭に育ったためか、自分も暴力をふるって家族から金を巻き上げるなどして、中卒の上にろくな仕事もできず、そうして女にもてるはずもない鬱積した青年時代を過ごす。が、どういう訳かやっとのことで付き合ってもらえる女と同棲して性的にはかなり助かることにはなるが、そういう育ち方にひねた考え方を持っており、子供をつくるなどとんでもないと思っており、自分の遺伝子を残したくない云々と言って女のなんとなく子供を欲しい気持ちをないがしろにしている。要するに生活力もなく自信もない。ただ私淑して勝手に弟子であると自認している作家の藤澤淸造に傾倒しており、全集を編纂刊行することを夢見ている。
 ほとんど女のパートの仕事で得た収入を頼って食わせてもらっているうえに、女の父親から三百万の借金をして藤澤淸造の全集を作る約束をしているが、結局使い込んでしまっている。女は実家では犬を飼っていたらしく、犬のぬいぐるみを買ってきてそれをしきりに可愛がり、こわいろを使って犬の代わりに子供っぽく話をしたりしてじゃれ付いてきたりする。鬱陶しいし面白くも感じていないが、後ろめたさもあり、なんとなく機嫌を取るような気分にもなり、付き合ってもいる。しかし自分が所蔵している古書を女がうっかり傷つけてしまった時に猛烈な怒りに駆られ……。
 という一連の流れの二編で、今でいうDVをあからさまに告白する私小説である。僕は以前西村作の「どうで死ぬ身の一踊り」で衝撃を受けて、とてもこの人の作品を二度と読む気にはなれなかったが(女に対して激しい暴力ばかり振るうから。私小説なのに……、ということは実話ではないか!)、どうも僕と同年のようだし、今年死んでしまったというので、この文庫本を買ってしまったのだろうと思う。で、遅ればせながら、何の気なしに手に取り読んでしまった。
 どうせ女に暴力をふるうというのは分かっているので(私小説だし、西村はそういう人らしいので)、読んでいる最中はずっとおびえながらその場面に達するのを怖がっているのだが、この主人公の男の情けなさというのが実に半端なくて、いつまでたってもウジウジしているうえに、自分が悪いのに逆切れして暴言を吐き、警察沙汰になったので反省して手を出さないまでも、なんとか女がいないとどうにもならないし、しかし勝手に嫉妬心などもわいてきたりして暴れるのである。考え方も偏っているうえに、人を平気で騙して、その上になんとか金を工面できると、急に気分がうわずって、自分だけ贅沢しようと考えたりする。本当にとんでもなく嫌でダメな男で、しかしそれは自虐のギャグでもあるらしい。
 こういうのは面白いというのかなんだかわからないが、勇気のあることなのだろうとは思う。何しろ解説には町田康が適切な一篇を書いていて、これが私小説の良さを見事にあらわしている。自分の体験を自分自身で再現して、自分の中にある人間としての誠実さと意地汚さをまんべんなく書き記している。それが私小説だとはいえ、こんな恐ろしいことは、ふつうの人はとても出来はしない。家族も許しはしないだろう。それで西村賢太は、実際に家族とは連絡を取ることはしなかったようだし、このモデルとなっている別れたと言われる女にも訴えられるのを恐れて、設定はずいぶんと変えてあるともいわれている。しかし一方で、この女の人のネタは一部では割れていて、稲垣潤一のファンの間では有名な人だとも言われているらしい。そういう面白さは確かにあって、しかしもう死んでしまったので、本当に確認するのは難しいのかもしれない。天国などにはとても行ける人ではないと思うが、ご冥福をお祈りしたします。合掌。
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