オリンピック自体がどうなっているのは僕には分からないのだが、これを書いているオリンピック開催前の状況で、日本の男子バレーが復活してメダルの可能性があることが報じられていた。栄光の時代から転落したまま半世紀の間、日本の男子バレーは国際的に低迷していたとされる。日本が金メダルを獲得してから、諸外国のバレーは日本の様々な技術を習得し、あっという間に追い抜き、そうして差を広げてきたのである。
そんな日本の低迷に喘ぎながら、かつての日本のエースだった中川内は、米国にコーチの手法を学びに行く。そこでさまざまな手法を学ぶとともに、バレー先進地の彼らの言葉に耳を傾けた。そうして一番言われたことは、「かつて日本の松平をはじめとするバレーは、本当に素晴らしかった。私たちは必死になって日本に学んで追いつこうとした。だが、その後の日本は、長く低迷してしまった。日本はもう、何も学ぼうとしていない。本当に残念なことだ」と。中川内は迷いに迷い、そうして海外のコーチを招聘する道を選んだという。また日本の選手たちも、自らのレベルアップを目指して、積極的に海外のチームで活路を見出すものが現れるようになった。そうやって、日本は強くなってきたのだという。
つまりはそういうことなのだ。これはバレーに限ったことではないのではないか。もちろん事情の異なることがたくさんあるだろうことは、承知している。しかし日本のバレー界は、明確に、謙虚に、事実を認めることから始めた。生まれ変わったのは、基本的にその気づきなのであろう。
オリンピックの結果においては、僕はそれほど興味は無い。しかしながら、そのようにして必死になって戦っている選手やチームには、深い敬意を払いたい。そりゃあ僕も日本人には違いないので、日本を贔屓にしている気持ちはある。しかしながらだから僕らはどうするのか、そのことの方がずっと僕の関心の高い領域である。学び続ける事が今できる事になるように、その前の謙虚さこそが、誰にとっても必要なことなのだ。このような機会に気づかされるとしたら、オリンピックも意義深いものとはいえるかもしれないが。