レッド・ドラゴン/ブレット・ラトナー監督
「羊たちの沈黙」の前に書かれた原作小説の映画化である。しかも二度目。羊たちの大ヒットによって、前日譚として作品化されたように見える。基本構造は羊たちと同じように、捕まったレクター博士に連続殺人犯についてアドバイスを求めて、事件を解決に導こうとする捜査官がいる。しかしながらレクターさんは更に狡猾で、刑務所の中に居ながら、連続殺人犯と通じ合う方法を使ったりして、捜査官を追い詰めて行ったりする。要するに捕まえられた恨みを晴らそうということかもしれない。また、これが伏線になって羊たちがあることも示唆されていて、羊たちを見たことがあるものは、また心理的恐怖を味わい直すという趣向がある。基本的に娯楽サスペンスものなのだが、かつてはこういう作品が確かに多かったなあ、という感慨を味わえるそつのない作られぶりだった。
もっとも考えてみるとレクター博士がたどり着ける内容は、優秀な捜査官たちなら、自力でもできたのではないか、という疑いが僕には感じられた。それで自ら危機を招くわけで、マッチポンプである。いや、自分でやっているわけではないのだが、観ている側にはその危険が分かっているので、なんとももどかしいという事かもしれない。愛する家族を危険にさらすわけで、微妙にやりきれないのである。もっともこれにも伏線はちゃんと張ってある訳だが……。
神格化されたレクター博士だが、ダークでありながら、このような狡猾さをみせる人物こそ、我々は欲しているということなのかもしれない。ほとんど一種の神のような存在で、そのすごさを崇めるよりほかに無い。刑務所に居ながら、厳重に管理し、ある意味間接的にいじめながら、レクターを恐れ続けなければならない。何故ならレクターなら、なにかの方法で必ず復讐してくるからなのだ。それを止めることは、もはや人間には不可能であるかのように。
今回は実際の連続殺人犯の狂気も用意されている。この人が恐ろしいだけでなく、人間的な弱さや、心優しさを見せることで、より残酷な行為へのコントラストが映える仕組みになっている。サイコパスとしては最悪だが、狙われた人々は残忍に殺されなければならない。そこに選ばれる要素があって、そういうきっかけがまた恐ろしいのである。まあ、悪人っぽいのも殺される訳だが……。
ハラハラしながら映画を楽しむ、基本形がここにある。それにしても原作のトマス・ハリスは、よくもまあこんな悪魔を作り出したものである。まさに悪魔だから、崇められもするのであるが。