カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

何度やっても負ける戦い   昭和16年夏の敗戦

2019-10-26 | 読書

昭和16年夏の敗戦/猪瀬直樹著(中公文庫)

 先の大戦前に、いわゆる若い日本のエリートを集めて日米大戦のシミュレーションを行った。その結果は、現実の大戦とほとんど同じような展開を見せて、敗戦となるものであった。その報告を受けてもなお、東条首相は(負けると分かっている戦いを)避けることはできなかった。陸軍相としては、軍の後ろ盾から開戦論をぶっていた東条だったが、開戦を避けたい意向だった天皇の指名を受けて首相となり、何とか米国との戦いを避けるよう模索する。しかし、正式な討議をしてもなお、開戦に追い込まれていくしかない日本の政治の姿に、あらがうことはできなかった。戦後は東条のような軍部出身の政治家などは、すっかり悪人に仕立て上げられ、その責任を一部の人間に背負わされてしまった。そうして現代も、そういう歴史観というものが、日本の根底にはあるように思われる。しかしそれは、国民一般の自らの戦争責任の回避の精神の表れなのではないか。
 緻密な取材と資料を駆使し、克明に描かれる開戦当時の日本の姿を見事に浮かび上がらせている名著である。少なくとも僕の東条の印象は、180度といっていいくらい変わってしまった。また、日米開戦においては軍部の暴走だけでなく、日本の国民世論自体が強力に後押ししていたということは知っていたが、日本の知識人の多くが、その軍部の人間を含めて、無謀な戦いであることは事前に認識していたことを改めて知ることになった。最後の最後まで和解の道を模索していたものの、結局は米英蘭の強い抵抗を受けて、日本はどんどん追い込まれていく。歴史にifは無いといわれるが、状況は無謀な道を模索する以外に、やはりなかったのかもしれない。愚かであるが、話し合いの道が閉ざされている国になってしまった当時の日本という状況は、限りなく不幸だったのかもしれない。
 別段右翼的な人々がいう、開戦やむなしという虚栄歴史観をひけらかしたいわけではない。それでも開戦は避けるべきだったという答えがありながら、そうならなかったという事実を知ることに、意義があると思うからこそ紹介するのである。読み物としても大変に面白い。日本国民必読の作品であろう。
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