盆前後に戦争ものの特集が数あるが、今年は初代宮内庁長官の昭和天皇とのやり取りを記した拝謁記が出色だった。昭和天皇は、先の戦争についての反省の言葉を公の場で口にすることは一度も無かった訳だが、実際には、そのお言葉を述べるまでの段階で、繰り返し戦争に対する後悔と反省という表現をしようとしていた。またそのためにいかに苦悩していたのかということが、克明に記録されたものである。戦争当時の軍部の動きを下克上と評し、天皇であっても止めうることはできなかったということに、深い後悔と自責の念を持っていた。さらに新憲法についても、特にあいまいな位置で軍隊を置くことになるとして、特に9条は改正すべきだと考えていたようだ。
しかしながら戦後の新政府や、皇室の在り方、当時の首相である吉田茂に対する配慮から、そういうことを自分の意志で表現することを制限されている立場であるとわきまえていた。そうではあるが、何とか意思は示しはしたいという考えはある。しかし、役人である宮内庁長官に何度も何度も説得されて、自分の考えを押し殺してしまうまでの記録であった。
吉田茂もつまらない首相だったわけだが、そういうものに仕える中間的な役割の宮内庁長官という立場も、つまらない存在である。いつの世にも役人というのは、世の中の為にならないものなのかもしれない。真面目で正直であるからこその弊害があるわけで、つくづく裏の政治で、世の中を動かそうとすることの無理を感じさせられる内容だった。
結局このようなやり取りに象徴されるように、日本人の免罪というものは、戦後すぐには避けて通られて形作られたものであるようにも感じる。いまさらなのではあるし、歴史にもしもは無いが、ここに自由意志のようなものがあったとするならば、それなりに成り立ちは大きく変わった可能性はあると思う。結局逃げてしまったので、いまだに日本人は戦争をひきずってしまっているのではないだろうか。ある意味ではそれだけの大きなものであるわけだが、実際問題としては、現代日本人というものに罪が残っているわけではない。幻想を抱きつつ生きている日本人の不幸の象徴が、天皇であるというのだろうか。