僕自身がよくわからない言葉に「象徴」がある。言葉ですべてを表せないから、象徴があるのだという。しかしこれが共通になるというのはどういうことか。それが分からない最大の理由ではないか。
キリスト教の象徴が十字架である、という表現は、なんとなくわかる。しかしそれで教義が分かるということではない。他の宗教に十字架が使われているかどうかは知らないが、ともかくキリスト教であるのだな、ということは分かる。要するにそういうものが象徴ということか。
平和のシンボルが鳩である、というのも、分からないではない。でも鳩は食べてもいいし、ハト派が必ずしも平和主義なのかは疑問だ。平和の為に人を殺してもいいと思っているのではないか。
自動車メーカーのマークのようなものは、以前はなんとなく理解できた。しかしながら近年のものは、販売店で違うのかどうか知らないが、いろいろあってよくないと思う。シンボルは作りすぎてはいけないのではないか。
さてそれでは、と書こうと思ったが、やはりやめておこう。分からないでいいものもあるのかもしれない。少なくとも、分かったようなふりができて、実際には内容が違うようなものでさえ、象徴というものには含まれているのかもしれない。