カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

バットマンは終わって欲しい   ダークナイト ライジング

2013-01-31 | 映画

ダークナイト ライジング/クリストファー・ノーラン監督

 素直に言えることは、観終わってしばらくは確かに感動していたんだが、どういう訳だがあとから思い起こしてみると、劇中に疑問に思ってしまったことを、いくつも思い起こしてしまったことだ。オープニングもドキドキしたし、ペインの圧倒的な強くて邪悪な感じも悪くは無かった。そういう部分こそこの映画を面白くしている最大の要素だから、(前作の)ジョーカーの良さとは違う次元で、十分評価できるとは言えるだろう。それは映画を観ていて素直に満足感のあったところである。
 そうなのだが、ペインらが完全にゴッサムシティを制圧してから、当然逆襲してくるだろうバットマンの登場までが、少しばかり不可解に思えることが多すぎるように感じた。ちょっと再生が観念的過ぎるせいで、かえってご都合主義のような感じもするし、逆襲の伏線のためだけの状況保持にしては不自然なことが多すぎるようなきらいもある。アメリカ政府(ワシントンがあるのか分からないけど)はいったい何をやってるんだ!という妙な怒りがわいてくるのだ。
 さらに飛んでラストもそれでいいのかもしれないが、まあ、ちょっと不完全燃焼かな、という気もする。そういうもんだよ、と心の中で自分を慰める自分がいる感じ。だってそういう映画なんだから仕方がないじゃないか、と自分で言い訳を作って無理に納得しているという感じかもしれない。
 そういうことは大変にマイナスの多い、はっきり言って破綻の多い作品だったということは間違いないのだけれど、それでも面白かったというのは事実である。そこのあたりはちょっと自己矛盾が含まれているかもしれないが、前作が素晴らしすぎたために辛口になっているところもあるのは事実だと思う。一般的な娯楽映画水準から言ったら、それはもう、大変に楽しめる映画であったことは確かだ。繰り返すが、どんどん絶望に追い込まれていく悪の勢力の拡大の仕方はなかなか圧巻で、テロリストはその一部でも模倣すると、かなりインパクトの強い社会的な影響を与えることが出来るということが言えるのではないか。もちろん現実にはそれは困るが、単純に憎悪の連鎖を狙ったテロなんてものは、いい加減やめてもらいたいものだ(この辺は映画と関係ないが…)。
 自己分裂的な感想になってしまうのだが、あんまり考えない人には素直にお勧めで、ちょっとめんどくさい性格の人には、用心が必要なスジになってしまっている大作映画である。
 人間は誰だって完全じゃないのがいいところなので、僕はノーラン監督はやっぱり好きですね。考え過ぎて盛りだくさんになると、人間はちょっと破綻する事もあるということなんじゃないでしょうか。そういう突っ込みも含めて、見返しても面白いだろう映画ということで、やはり何となく自分を慰めているのかな(?)。素直に完結編であって欲しい映画でありました。
コメント
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