カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

本当に出会いたいと思っていいのか

2013-01-23 | HORROR

 現在火星探査が行われており、地球以外の生命の発見があるのではないかという期待を集めている。それはそれで大変な発見だし、心がふるえるようなわくわく感があるのは確かだ。是非とも成果があがって欲しいと願っている。
 一方で、やはり地球外生命といっても、子供の頃に親しんだ、いわゆる火星人というような地球外知的生命というのは、やっぱり近くには居ないらしいな、という思いは新たにするのである。宇宙の広大さを考えると地球外生命や知的生命は必ずいるはずであるという確率的な可能性は十分に理解できることとはいえ、しかしやはりその実物に出会えるか否かという問題になると、地球人である人間の科学力では、自分の生きている間にそのような出来事が起こる可能性も、また随分低いらしいということも言えると思う。いつ起こってもおかしくないが、しかしそれは今であるとは考えにくいのである。
 地球外知的生命と出会ってみたいというのは単純な興味であるのだが、しかしやはり出会えるとしたら完全なる相手任せであるというのが実態なのである。そうであるとすると、それは必ず地球人よりはるかに文明的であるというか、科学的な何か別次元の力なり優位性を持った生命体であるということになる。もっと平たく言うと、我々より必ず優れた面であったり強力な力であったりするものを持ったものでなければ、我々はその生命に出会うことは無いのである。必ず我々より強い存在としか出会えない状況で相手に出会ってしまうというのは、実は大変にリスキーな事なのではあるまいか。
 つまりこれは過去に考えていたSF的世界観である、今では馬鹿げているとさえ思われるような火星人襲撃の様な、そういう恐怖の図式である。そうではないという保証が、やはり何もないということに違いなくて、いや、むしろそうである確率の方が高いのではではないかと思うのだ。優れた文明を持つ生命体がそのような凶暴なものである訳がない、という考えも分かるのだけれど、しかしそもそもそのような高い知性を持った生命体が、何故劣った人類とコンタクトを取るような選択をするのであろうか。
 同じような興味本位である可能性も無いではないが、恐らく現実の物理法則を越えてまでこちらに来ようとすることは、大変にリスキーなことに違いないのである。いわば命をかけて会いに来るというのは、その命に見合った何かの目的が無ければ行い得ない事なのではないか。それが単純なる侵略では無いとしても、はたして地球人にとって幸いなことであると考える方が、なんだかおめでたいという気がしないではない。さらに来て見て彼等が地球や地球人に落胆してしまったとしたら、はるかに優位にある生命体は、我らの処置をどのようにするというのであろうか。
 それでも会いに来てほしいという願いを持つのは、別に悪いことではないかもしれない。悪くは無いが、同時にかなり強烈に、地球人にとって良い生命体であるようにという願いも、併せてしておく必要があるだけのことである。我々の生命は彼らの手の内にある。慈悲なき別の人類であれば、我々を放っておいて欲しいものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする