日向ぼっこをしながらに

2007-11-02 | 民社
 春日一幸といっても、その声咳に触れたことのある人が周りから減ってきた。さみしい限りだ。ウイットに富み、独特の言い回しで、有無を言わせぬ言説を吐かれた。皆、それを聞くのを楽しみにしていた。
 あのような言説をなせる奥には、何かがあると思っていた。氏が、若き日に作った詩を以下に書き写す。「虚」という短詩である。奥にあったものが察せられるであろう。

羨しいぞへ
  雪達磨

日向ぼっこをしながらに
  溶けて消え逝く
    身の上が

 春日一幸の秘書を長くつとめた長尾務生さんに、時折会う。昔話をする。長尾さんから、梅澤昇平さんに渡して欲しいと春日氏の著作を三冊あずかった。「天心無頼」と銘打たれた一冊に、その詩が収められている。その一冊は、私も持っているのだが、本棚の奥である。たまたま、その一冊を目の前にして、開いて久しぶりに読んでみた。
 「泥水をくぐりて浄き蓮の華」なのだ。

たよりなげな木の子だが

2007-11-02 | 【樹木】ETC
 ここのところ、ベランダの櫟を植えてある鉢にきのこが生える。いつのまにか、すっくと立っているのだが、いつの間にか、消えてなくなる。そこらでよく見かける小さなきのこだ。手元にあった図鑑で名前を確認しようとしたが、そんなどうでもいいようなきのこは載っておらず、分からなかった。
 きのこは茸、菌、木の子などと書かれる。木の子という言い方は、なんだかほほえましいというか、かわいい感じがしていい。実際は、木の子どもではないが、木との関係が密接なきのこもある。マツタケはアカマツの根から養分をとる。マイタケはミズナラの根もとにというように。
 この菌類は、自然環境になくてはならない存在で、有機物を無機物に戻すという重要な役割を担っている。植物は、無機物から有機物をつくる。そこに循環が成り立っている。うまくできているものだ。

ブラックホール

2007-11-02 | 【断想】ETC
「無限のなかに落ち込み
 無限はそれ自体のなかに落ち込む
 それは黒い」
 以上は、ジョルジュ・バタイユの詩集「大天使のように」のはじめに出てくる詩の一部を勝手に削ったものである。ブラックホールのことが連想される。生田耕作訳のもとの詩句はこうだ。
「私は無限のなかに落ち込み
 無限はそれ自体のなかに落ち込む
 それは私の死よりも黒い」
無限のなかに落ち込むのは「私」だけではない。しかし、「私」だから、問題なのだ。