梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

社長とは(その1) 

2020年01月18日 08時07分01秒 | Weblog
去年の9月に後継の社長にバトンを手渡し、私は会長職となりました。そして四ヵ月半が過ぎました。退いて、新社長を通して「社長とはどのような存在で何をするのか」を、ここで少し考えてみたいと思います。

9月に私は会長職となって、暫くは対外的な活動はしていませんでしたが、去年12月から営業に同行してお客様を廻っています。去年の秋口以降国内の鉄鋼需要が落ち込んで、わが社の業績も影響を受け、出来る範囲で営業支援をさせてもらっています。

会社が苦境や危機に直面したに時には、トップが行なう対処・対策は特に大事です。新社長が業績を回復しなくてはならない喫緊の課題はありますが、その目先の業績の回復だけではなく、一方で社長としての役割は普遍的なものが求められます。

そのような状況も踏まえ、今後の会社の方向性を定める為にも、社長と最近密接に意見交換をしています。「社長とはどのような存在で何をするのか」を互いに摺り合わせています。会社が順風満帆でそのような必要も無いとなるより、私は今回とても良い機会に恵まれたと感じています。

去年9月、新社長は51歳で私が67歳で交代しました。私は社長になって30年経過し、節目と考えていました。社長交代をお伝えした皆様の反応は、会長になるのは早いのでは、まだ交代をしなくてもいいのでは。概してそのようなものでした。しかし現時点でも、時期が早かったのではとの後悔はありません。

そんな折、“社長って何だ!”とのタイトルの本を読みました。著者は、元伊藤忠商事会長、元中華人民共和国特命大使であった、丹羽宇一郎と言う方です。伊藤忠商事の社長に就任した直後約4000億円の不良債権を一括処理して、そして翌年度の決算で史上最高益を達成した方です。

その本の中に、『後継は未熟者に任せよ』との見出しの箇所が出てきます。以下その引用です。「よくこんな言葉を耳にします。うちの幹部は未熟なので、まだ社長を任せられません。社長にしても役員にしても就いた当初は、みーんな未熟です。経験がないのだから、未熟なのは当たり前でしょう。未熟だから社長になるのであり、成熟した人は社長を辞める人です」。とても納得しました。

こうも続きます。「だから私は、社長は未熟者がやるものだ、と唱えてきました。言い換えれば、自分が未熟者であるという自覚のある人間を社長にする必要があるということです。未熟なうちに任せれば、本人が力不足を痛感しているだけ謙虚に努力します。そうした責任感が人を育てるのです」。未熟を自覚し謙虚になることが大事なのです。

私は、社長になる人は経営には未熟であっても、会社を誰よりも熟知していることは必要な条件であると思っています。会社の状況を良く知り、社員こそ大事な資産と認識して、自分は二の次というより自分を捨てられ「無私」に極力なれる人でなければ、社員はついて行きません。

“社長って何だ!”の本の内容と、会長から改めて社長を見た視点を照らし合わせ、社長の存在をもう少し考えてみたいと思います。  ~次回に続く~

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