銚子・角巳之・三代目

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Choux farci (シュー・ファルシー)

2006年11月16日 | 料理に挑戦

100_0749 写真はシュウ・ファルシー。何だロールキャベツじゃないか?とお思いでしょう...。正解です。フランス語でシュウ・ファルシーとはロールキャベツを指すようです。また一つ勉強になりました。シューというのはキャベツの意味で、ファルシーというのが詰め物をするという意味を持つそうです。シュークリームのシューもこのシュウでキャベツのような形に通じるとのことでした。今回は見た目は別にして、いつもある食材を使った、あくまでも“技能”講習。このキャベツ、銚子は全国有数の大産地です。作り方は料理本に出ているようなベーシックなものですが、出来上がりを食べたら“感動的な”美味さでした。プロが作っているので当たり前と言えば当たり前ですが、作るのをずっと見ていると、やはりプロの動きには無駄が無いです。また“当たり前”の事を“当たり前に行う難しさ。この当たり前の事を当たり前にやるのがプロなんでしょう。このスープには市販のブロック・ベーコンを塊のまま入れて有りました。西洋料理におけるベーコンは日本食で言うカツオブシ。肉を食べるというよりは、そこから出るダシを味わうもの。元食肉担当者として、その通りと思います。無論、煮込んだ後、トロトロになったベーコンは食べる。カリカリベーコンも美味しいですが、煮込んでトロトロもかなりいけます。


調理師実技講習

2006年11月15日 | 料理に挑戦

100_0741 銚子調理師会の講習に参加して参りました。蒲鉾屋は水産練製品製造業の免許で、調理師免許は必要とされてはおりませんが、時代背景を鑑み(食の安全・安心とか、料理提案とか)出来れば取得しておいた方が望ましい。とされております。資格云々よりも調理のプロの方に接する機会を得る事。この方が遥かに勉強になります(私も一応、調理師免許は持っております)...で、講習会。今回は調理師免許は持っているけれどお店(飲食店など)を出したりはしておらず、学校給食等で調理実務に携わっている人が対象。和洋中それぞれのプロが真剣に料理を作る姿に接し感銘を受けました。明日から当日のメニューをいくつか掲載致します。


無題

2006年11月14日 | 花筏倶楽部

100_0735 私が芸術作品を語ると以前のようにボロがでますので、今回はあえて無題。としました。皆さんの目と心でご鑑賞下さい。この作品は昨日掲載の花筏さんの作。銚子駅近くSホテルのロビーに展示されております。


花筏倶楽部

2006年11月13日 | 花筏倶楽部

100_0734 何度か掲載しましたが、先日11月の花筏(はないかだ)倶楽部が開催されました。私の中学時代の恩師ご夫妻と地元大学の先生が主催者で、旬の肴、美味しいお酒、季節の花を愛でて、ピアノの演奏に酔う....。地域の“日常”の中に突如出現した“非日常の異空間”です。開催場所は恩師のお宅(生け花教室)なのですが、そこはご覧のような別世界。100年近く前の漁師さんのお宅を一部移築してあり、欄間(らんま)はじめ、この趣き。銚子という地方都市。ややもすれば退屈で窮屈と感じがちですが、ここに集ってこられる方々はそんな日常の中に問題意識を持っていたり、音楽芸術を愛していたり、要するに現状を嘆くのではなく、その中に楽しみを見つける前向きな方ばかり。本当に勉強になります。大学の先生、水産会社の社長、会社員、公務員.....、職種や境遇は違えど、毎月一回、こんな文化の香り漂う空間が銚子にも存在しております。花筏倶楽部の新規カテゴリーを追加しました。定期的にご報告します。


囚人のジレンマから

2006年11月12日 | 公共経済学から

100_0599 やはり囚人のジレンマは反響が大きかったです。悪い事をしても共謀して逃げろ。という事なのか?というご意見も頂きましたが、あくまでもこれは“囚人のジレンマ”という概念を説明するための例え。誤解なきように...。ただ少々思うところがあります。先日のスローライフ・サミットで配布された資料に興味深いものがありました。日本・韓国・フィンランドの学生対象に行った“対人信頼感の比較”というものが手元にあります。これによると、ほとんどの人は基本的に善良で親切であるという問いに対して、そう思う、ややそう思うと答えた割合、韓国、フィンランドの80%超に対して日本37%。この国では気をつけていないと誰かに利用されてしまう。という問いに対して日本の学生の80%が、そう思う、ややそう思うと回答したようです。これらからすでに日本国内において対人信頼力とか絆というものは崩壊している。そんな報告もあります。この先どうなっていくんでしょうか? 他者を信頼したり協力したりする事が出来ず、自分の利益ばかり願うと翻ってその個人に不利益な状況が降り掛かる。囚人のジレンマという概念はそのことに警鐘を鳴らしているように思います。さて、本日の写真は外川漁港近く犬岩付近の風景。雲の合間から時々太陽光。幻想的な雰囲気でありました。


囚人のジレンマ②

2006年11月11日 | 公共経済学から

100_0615 囚人Aが自分の損得勘定だけで選択をするとどうなるか? もしBが自白した場合、自分が自白しないと相手は無罪で自分の罪は倍。従って自分も自白する。また、Bが黙秘した場合、自分が自白すれば無罪。従ってこれまたAにとっては自白するという選択がベスト。要するにAが自分の損得勘定にのみ凝り固まっている状況下においては、“自白する”という選択肢を取らざるを得なくなり、同様にBも同じ状況に陥る事から、結局のところA,Bともに自白し、刑が確定するということになります。このように自分の損得勘定に凝り固まって、自分“だけ”のベストな選択をした結果、二人が協力して得られる状態よりも“悪い状態”に陥ってしまう事。これが“囚人のジレンマ”と呼ばれており、公共経済を考える時に良く登場して参ります。身近に起きている問題と重ねると考えさせられる事が多いです。ここで書いた、黙秘して逃げるとか、取引するとか、これらあくまでも囚人のジレンマという概念を説明するに際してしばしば用いられるものであって、間違いを犯しても共謀して逃げろ。などという事では全く有りません。この“囚人のジレンマ” 物事の価値判断を行う“モノサシ”が少ない等、閉塞感を感じる社会構造の中で必ず湧き上がって参ります。バブルの時もそう。“勝ち組”“負け組”という単一価値感を煽るような世相の現代もそうかもしれません。写真は銚子川口・千人塚(せんにんづか)付近から銚子市内を望む。ここは夕陽の絶景ポイントの一つです。この日は雲が多かったですが....。背後に見えるのはキャベツ畑の風車群です。


囚人のジレンマ①

2006年11月10日 | 公共経済学から

100_0738 本日は囚人(しゅうじん:刑務所に服役している人)のジレンマ。二人組みの男が銀行強盗をして逃走。警察は以前からマークしていた二人組みを別件逮捕。銀行強盗の確たる証拠はないため、容疑者の自白に頼る状況となった。そこでその二人組みを別々の部屋に入れ(事前に相談なども出来ない状況を作って)取引を開始する。(便宜的に二人組みのそれぞれをA、Bとします)警察はAに対してこう言った。①もし君が自白し、Bが自白しなかったら君を無罪にする。②しかしBが自白し君が自白しなかったら君の刑は2倍だ。③もし二人とも自白すれば刑はそのままだがね(双方、銀行強盗の罪が確定)さて、この場合、Aはどういう行動を取るでしょうか? ①~③に含まれていないのはA,B双方が黙秘する事。事前に相談できない状況ですが、双方に信頼があれば双方黙秘し逃げ切る事が可能かもしれません。が、しかし、こうならないのが世の常。いわゆる個人の損得勘定“だけ”判断をすると、囚人A、Bともに自白せざるを得ない状況に陥って参ります....。続きは明日。昨日の写真は千葉県旭市と匝瑳市を繋ぐ広域農道。本日は昨日の近海小型底引きの水揚げ(午前6時半ころ)の風景です。日の出時間が遅くなり、だんだん朝の空気が冷たくなっていくにつれて、風景が“凛”とした鋭さを帯びてきたと感じております。


囚人のジレンマ(その前に)

2006年11月09日 | 公共経済学から

100_0662 本日から“囚人(しゅうじん)のジレンマ”という概念を.....。その前に、昨日の共有地の悲劇に際してメール等のご意見を頂きました。そもそも公共経済学とは何なのか?と。いわゆる一般的に言われる経済学は全体像を捉えるマクロ経済学から、目の前の事を捉えるミクロ経済学など様々な視点がありますが、これらは主に“市場(モノとお金の交換などをするところ)”を中心に捉えたものです。多くの人から価値があると認められたものは沢山売れたり高い値段で取引されるし、反対に価値がないと思われてしまったものは売れないし、売れたとしても値段が安い(すべて一般論ですが)。資本主義社会においてこの過程は自由競争であり、モノの流通や値段の決定は市場の機能に任されております。これに対して、昨今話題の年金とか医療、福祉、環境...食糧問題などは、市場に任せっきりにしてしまうと、うまく調整する事が出来ない。例えば人口は増えているのに耕作地は増やす事ができず、食糧が不足している状態を市場に任せると、あっという間に価格は高騰し、食糧を手に入れることが出来ない人が続出する。公共経済学はこれら市場で上手く調整できない領域を克服するための分野です。上記の食糧の話、東京のある子供(小学校低学年)から、価格が高騰しても買えるだけの金を持ちゃいいんだろ。金の無いやつは死んでしまえばいいんだよ...。そんな回答を聞きました。昨今の問題の根深さを知り、戦慄を覚えると共に、故に公共経済学の問題提起をしてみようと思った次第であります。最終的には経済の話ではなく人間の話に行き着くのですが....。


共有地の悲劇②

2006年11月08日 | 公共経済学から

100_0723 みんなが牛を増やしたら、牛100頭分しか賄えない牧草地に牛が110頭もいる状態になった。牧草が足りないので、牛は十分に肉を蓄える事ができず、結果として1頭あたり90万円でしか売れなくなった。売上は11頭×90万円で990万円。牛の量を増やしたのに売上は減ってしまい、さらには土地が痩せ、再び牛を放牧する事が出来なくなってしまった。これが“共有地の悲劇”という概念を説明する際に良く登場してくる牧場の話です。売上を増やそうとか、もっと儲けを。と思うのはごく普通の感覚(正しくは売上“を”上げるのではなく、様々な努力を通じて、売上“が”上がる。流通業の先輩に懇々と諭された事ですが、ここでは一般論として売上という言葉を使います)ただし個人・個人が自己利益の増大だけを考える、そんな選択を重ねていくと、社会全体として不都合を生じさせ、甚だ逆説的ながら、翻ってそこに属する個人・個人に不利益となって跳ね返る。合成の誤謬と全く同じ結果になって参ります。環境問題を考える時にもこの共有地の悲劇は、環境に配慮したって1円にもならない。という意見の反論として登場します。牛を増やす前にまず牧草地。この牧草地を考える事が共有地の悲劇を回避する最良にして唯一の解決策という事であります。明日はこれまた公共経済学でしばしば用いられる“囚人(しゅうじん)のジレンマ”を。


共有地の悲劇①

2006年11月07日 | 公共経済学から

100_0728 “共有地の悲劇”という言葉があります。誰の持ち物でもない場所(海とか山とか)があって、そこから得られる資源(魚、農産物、景観....)をみんなが守りながら大切に使っていこう。という状態である場合は何の問題もなし。ただし、一人くらいは良いだろうと黙ってちょっと拝借...。そういう状態が続き、俺も、俺もとみんながちょっとだけ拝借を重ねていくと、全体では膨大な量となります。注意すると、“みんな”やっている事だとなって、最終的には誰の責任なのか分からない状態になる。その時はすでに、みんなが悪い状態になっていて、翻って、そこに所属する個人・個人の不利益となって跳ね返ってくる。この状況が“共有地の悲劇”と呼ばれています。この例は放牧の事例でしばしば説明されます。ある放牧地に10人の牧場主がおり、各々10頭の牛を飼っている。この放牧地は全部で100頭の牛を飼うのに最適な牧草の量があった。この時、牛は1頭100万円で売れ、1牧場あたり1000万円の売上があった。ある時、その中の一人がもっと売上を増やそうと牛を1頭増やした。そうしたら1頭99万円になってしまったが、その牧場主の売上は99万円×11頭で1089万円となった。1頭あたりの売上は減ったが、売上の金額は大きくなった。それを見た残り9軒は俺も俺もと牛を各々1頭ずつ増やした.....。続きは明日。写真は日曜日の雲。面白い形をしておりました。


スローライフ・サミット

2006年11月05日 | 公共経済学から

100_0692 一昨日、スローライフ・サミットが銚子市民センターで開催されました。東大の先生の基調講演のあと、銚子市長はじめ各地の行政の長、識者の方々のパネルディスカッション。サブタイトルは、“銚子風なスローライフとは何でしょう”でした。さてさて、それでは銚子風なスローライフとは何なのでしょうか?....。食育もそうですし、冒険遊び場もそう、最近いろいろな切り口で問題提起されておりますが、根源は“時代の転換期”という事と、少ない“モノサシ”で物事を判断してきてしまった弊害、さらにそれらを醸成したり修正したりする社会の構造(文化水準、社会の成熟度とも言われています)ではないか?と感じております。私は80年代に学生時代を過ごし、大学時代はバブルの絶頂期。より大きな会社に入ることが一生の幸福という雰囲気があり、大学、高校はその予備校。そんな中でも、それは違うと言っていた仲間や先生方はいましたが、全体から見ればごく少数。その世代に20年後の今、“幸せですか?”という問いかけをしてみたら、答えが見えてくると思います。スローライフ(ゆっくり)もスローフードも、ファースト(速い)に対する反語。そういう近視眼的な考え方では全体が見えてこない。以前、“合成の誤謬”という内容で何回か掲載しましたが、これから数日、学生時代に少数派であった先生方が言っていた“公共経済学”の内容と自らの銚子暮らしで感じていることを併せて掲載してみたいと思います。学生時代は全く人気が無かった公共経済学ですが、今教科書などを読み返し、貴様らそんな考えでは将来を見誤るぞ!と憤慨しておられた先生方の顔が何故か浮かんでおります。


イナダの干物

2006年11月04日 | 銚子のうまいもの

100_0710 イナダ(ブリの子供)が揚がり始めてます。刺身で美味しい事は分かりきってますし、煮ても美味しいに決まっている。ただこれだけでは面白くないので天日干しにしてみました。....これまた美味いです。本当に美味い。脂はそれほど乗っていないのですが、爽やかであっさり、でもシッカリと味がある。そんな感想です。イナダの干物、写真は自己流で作ってみましたが、銚子の魚屋さんでは結構良く見かけます。プロが作ったものはなお美味いと思います。またこのイナダ、ツミレにしてもかなり美味い。食べ方を変えると新しい発見や感動が有ります。


銚子丼!

2006年11月03日 | 銚子のうまいもの

100_0719 写真は銚子五中近く、郷土料理“きみ野”さんの名物・銚子丼。銚子前浜で揚がった旬の魚の“漬け”丼です。物凄いボリュームですが、これで1050円....。驚きです。写真は一昨日私が食べたもの。イワシ、アジ、サンマ......、ご飯が見えないくらい具沢山です。そして今なら以前掲載しました“メダイ”(カテゴリー:銚子の魚:に掲載されています)が入っています。メダイの漬け。最高に美味いです。実はここの若旦那と私は同級生。このボリュームで1050円は同級生割引か?とお思いでしょうが、全くそうではなくて、いつでも誰でもこのボリューム。とにかく美味い。お奨めの逸品です。


冒険クラブ

2006年11月02日 | イベントに参加

100_0703 日本冒険遊び場作り協会の活動を見学に行って参りました。私はお世話になっている先輩に一度見に来たら?とお誘いを受け、開催場所は近所だし、何か面白そうだな?と思ったのが、そこに行った動機ですが、この活動、全国的にかなり浸透しているようです。私のにわか仕込みの解説では上手くお伝えできないと思いますので、詳細は以下HPをご参照下さい。http://www.ipa-japan.org/asobiba/modules/asobiba3/index.php?id=5 これまた見学に行っただけなのに、ちゃっかりとバーベキューまでごちそうになってしまいました...。さてさてこの活動、子供と一緒に遊びながら、火の使い方やロープの結び方など、色々な事を実践していくそうです。こういう活動、机の上では絶対に学べず、しかもそれらは実社会に出てから役に立つ事ばかり。当日は漁師さんがロープの結び方を教えてくれる。と言う事で、どんな方が来るんだろうと思っていたら....、中学の同級生でした。思わぬ再会あり、活動の確かさに考えさせられる事多数。毎月2回開催しているようですので、今後は毎回参加させて頂いてレポートする事にします。