一昨日、スローライフ・サミットが銚子市民センターで開催されました。東大の先生の基調講演のあと、銚子市長はじめ各地の行政の長、識者の方々のパネルディスカッション。サブタイトルは、“銚子風なスローライフとは何でしょう”でした。さてさて、それでは銚子風なスローライフとは何なのでしょうか?....。食育もそうですし、冒険遊び場もそう、最近いろいろな切り口で問題提起されておりますが、根源は“時代の転換期”という事と、少ない“モノサシ”で物事を判断してきてしまった弊害、さらにそれらを醸成したり修正したりする社会の構造(文化水準、社会の成熟度とも言われています)ではないか?と感じております。私は80年代に学生時代を過ごし、大学時代はバブルの絶頂期。より大きな会社に入ることが一生の幸福という雰囲気があり、大学、高校はその予備校。そんな中でも、それは違うと言っていた仲間や先生方はいましたが、全体から見ればごく少数。その世代に20年後の今、“幸せですか?”という問いかけをしてみたら、答えが見えてくると思います。スローライフ(ゆっくり)もスローフードも、ファースト(速い)に対する反語。そういう近視眼的な考え方では全体が見えてこない。以前、“合成の誤謬”という内容で何回か掲載しましたが、これから数日、学生時代に少数派であった先生方が言っていた“公共経済学”の内容と自らの銚子暮らしで感じていることを併せて掲載してみたいと思います。学生時代は全く人気が無かった公共経済学ですが、今教科書などを読み返し、貴様らそんな考えでは将来を見誤るぞ!と憤慨しておられた先生方の顔が何故か浮かんでおります。