風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

NHK放送博物館

2018-06-15 | 
昨日は東京神谷町の愛宕山近くで仕事。
終わったあと、ちょいと時間があったので
山に登り(エレベーターで)、愛宕神社にお参りした。
東京時代、毎年初詣に行った懐かしい場所。
ここは都内で一番標高が高い場所で(標高26m)
桜田門外の変な実行者たちが集結した場合で知られる。





アジサイが咲き始め。

境内を出ると、向かいにNHK放送博物館を発見。
ここは日本で初めてのラジオ放送が始まった場所だ。
なにせ高いところだから電波が遠くまで届く。
入場無料とのことだったので、入ってみた。
写真はところどころでしか撮れない。





こんな昔の機材も面白い。
上は昔のテープレコーダー、下はマイクの変遷だ。



手前はテレビジョン放送初期の受信機で、
奥の2台は私が生まれた頃に普及したテレビとのこと。
うん。確かに真ん中のはなんとなく見たことがある。
家のテレビもこんなのだったなー。

各フロアには歴代の大河ドラマや朝ドラの写真、
「梅ちゃん先生」タイトルバックのジオラマ、
少年ドラマシリーズや土曜ドラマなど、
懐かしいものがたくさんある。
写真の俳優さんたちが若いなぁ(笑)
ドラマの一部も流れていたよ。
放送技術の歴史や機材も興味深く見た。
テレビジョン技術が戦前にかなり進んでいたことに驚き。



昔はこんな風景だったねー。
茶の間に家族みんなが集まってテレビを囲んだ。
スマホなどの個人向け情報機器がなかった時代は
もっと人と人が近かった気がするよ。
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出張

2018-06-14 | 






またまた東京へ。
馴染みあるところだから苦じゃないけど、
結構疲れを感じるようになってきたな。
アクティブさがウリだったけど
やっぱり歳のせいだろうか。
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別れ

2018-06-13 | 風屋日記
ここのところ、花巻市内では立て続けに
老舗や有名店での訃報が相次いだ。
まずは人気イタリアンの店コッコロの奥様の急逝。
家人が幼稚園の保護者として知っており、
何度か夫婦で行った店だった。
また老舗ラーメン屋の高権さんのご主人も突然。
ここの名物「権メン(ごんめん)」は
花巻三大ラーメンのひとつと思っていたので
これまた残念で仕方ない。
ところが訃報はそれだけで終わらなかった。

かつてシンガーソングライターだった
森田童子さんが亡くなったとの報道を見た。
高校時代から大学時代にかけて
突くだけで破れてしまいそうなほど繊細な歌と声。
感性や匂いまで感じられるような独特のベールに包まれて
外の世界との間がカーテンで仕切られる思いをしながら
ひとりしんみりと聴く曲ばかりだった。
まだ若かった自分の柔らかい心に
森田さんの冷たい空気のような感性が流れ込んできて
ヒヤリと感じ、凍えた。
熱心なファンというにはあまりにもズボラだったけれど
少なくとも特別な存在のひとりであったことは確かだ。
どこか寂しい。
合掌。

そして昨日は新聞の慶弔欄で
若いころ、それこそ20代前半の就職したて
まだ何もわかっていないころに大変お世話になり、
ご迷惑もたくさんおかけした方の訃報が。
右も左も分からないくせにやたら生意気だったころは
ずいぶんぶつかったし、屁理屈も並べた。
それでも無謀な私をニコニコ後ろから見ていてくれた
懐の大きな方だった。
当時はぶつかっても簡単に跳ね返されるような
ずいぶん上の大人に見えていたけれど
享年を見ると私より10歳ほど上。
当時はまだ30代前半だったんだねぇ。
特別に目をかけていただいていたんだと今になって思う。
直接お世話になったのはほんの半年間だけ。
入社半年後に突然の抜擢で異動を申し渡された時には
「もう私は必要ないのか」と食ってかかったことを
35年経って苦笑いで思い出す。
その後もことあるごとに声をかけてくれていた。
30歳で転職してからも、会うたびに笑顔を接してくれたっけ。
あんな大人になりたいと思ったものだ。
最後にお目にかかってからもう20年以上になるだろうか。
当時は気づかなかったご恩をお返しできないまま
もうお会いできないかと思うと寂しい。
(当時の)須藤課長、ありがとうございました。
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雨が空から降れば

2018-06-12 | 生活の風景










雨が空から降れば
オモイデは地面にしみこむ
雨がシトシト降れば
オモイデもシトシトにじむ

(詞:別役実 曲:小室等)


北東北も昨日梅雨入り。
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Machicoco便り vol.26

2018-06-11 | マチココ
あえてマチココの話題として。

土曜の夜から昨日、日曜の午前は
花巻市の地域おこし協力隊募集イベントの一家となる
クリーエーターズキャンプin花巻に参加してきた。

土曜日は東和町や大迫で
農泊やぶどう農家を回ってきた参加者たちを迎えて歓迎会&懇親会。



会場となったみな食堂の名物アスパラに一同歓声が上がり
掴みとしてはインパクトあり。

日曜日はマチココ編集長として皆さんをご案内し
朝からスマホや持参のカメラを持って花巻の街を歩いて
目に止まった魅力ある風景を切り取るという
フォトウォークを行ってシティプロモーションのワークショップ。





普段見過ごしている何気ない風景の中にこそ
注意してみれば魅力がたくさんあるということを体験していただいた。



会場となったco-baHANAMAKIでお互いに撮った写真を確認しあい
改めて街の切り取り方を学ぶ形だった。

今回の参加者はそれほど多くはなかったものの
みなさんとても意欲的でモチベーションも高くびっくり。
しかし市の担当者に聞くと
さらに5倍ぐらいのエントリーがあるとのこと。
それも驚き。
賢治さんや温泉、マルカン、農産物などの惹きつけるコンテンツのほか
交通インフラが整い、首都圏から程よい距離感も良いのかも。
そして何より、ここでしか出会えない「ひと」がいる。
いま花巻ではたくさんの若いプレーヤーたちがそれぞれ動いている。
そんなエネルギーも感じていただいているのではないだろうか。
花巻の動きは徐々に全国に伝わりつつある。

それにしてもこのフォトウォークという手法、いいなぁ。
マチココ主催の参加型イベントとして
今後の活動計画の中でちょっと考えてみようか。
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おばてい食堂

2018-06-10 | 食べ物・お店




私が小さかった頃、
祖父母に連れられてよく食事に行った店は
マルカンデパート大食堂と並んで
鍛冶町商店街から上町商店街への通り道にある
このおばてい食堂も。
私が生まれる前からあった老舗食堂で
西の郊外に住んでいる人たちが繁華街へ行くための
動線上にあったから、けっこう人が入っている店だった。
大人になってからも
例えば花巻祭りの神輿に繰り出す前
腹ごしらえして陣地に向かうにはちょうどいい場所。
ラーメンや丼ものが多いメニューもまた
案外鍛冶町や上町にはなかったから重宝する店だった。

何年か前に閉店した時は寂しかった。
確かにここ10年ほどは行ったことがなかったけれど
それでも思い出に残る、気になる店だったから。

4月ごろ、
店主だった方の娘さんたちが店を再開すると聞いた時は
なんだか無性にうれしかった。
そうでなくとも鍛冶町の寂れ具合は目を覆うばかりだし
上町商店街は食事できる店もさらに少なくなったし。
なにより丼ものなどがメニューにある「普通の食堂」が
花巻市内に少なくなってきたと感じていたから
この店の再開はタイムリーだったような気がする。
6/4に開店だったらしく、昨日早速行ってみた。
なつかしい店構えに思わずほっこり(^^)



店の中から見た窓の外は
もう幹線道路ではなくなってしまった鍛冶町の通りの風景。
店の中は、かつては確か土間に昔なつかしいテーブルだったが
内装がとてもきれいになり、かわいい雰囲気。





手書きメニューも味がある。
周囲を眺めてはついニコニコしてしまう。



あんかけ中華が出てきてびっくり。
あまり他の店では見ることのない平らな器だ。
まるで焼きそばか冷やし中華みたい。
でも底が浅いから麺も食べやすいし伸びない。
あんかけなのにあまり熱さで苦労することもない。
魚の出汁が効いた優しい味だ。



私はおばてい焼きそば。
実はこれ、しょうゆ味の焼きそばなのだ。
なんともなつかしい味で、極細麺がまたいい。
こちらも優しい味なので食べていて飽きがこない。
焼きそばはしょうゆ味だなぁ・・・。



レジの隣にあるこれは初め飾りかと思っていたが
なんと実際に使える公衆電話!!
ちゃんと10円、100円入れるところがある。
これ、欲しい(笑)

客対応も、事務的ではなく温かかった。
これぞ「花巻の普通の食堂」という感じ。
心が温まり、ほっこり、ニコニコ(^^)
ビジネスライクに客を寄せて儲けを出す飲食店と違い
人間味が感じられるこんな店こそ
花巻の街に欲しいのだ。
マルカンビル大食堂みたいにね。
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ファッションにおける死語

2018-06-09 | 文化
昭和な香りのする死語については
過去にもこんな記事こんな記事を書いている。
またその後の記事では飲み会で出た
「逐電」「スカートめくり」「左党」「半ドン」という言葉を聞いて
ウケた話も書いている。
「昨今の男性草食化によってか否か
 『送り狼』なんて言葉も聞かなくなったなぁ。
 そのうち女子を指す言葉になったりして(笑)」
なーんていう自分の記事を読んで今も吹き出したり(^^;

で、今回はふと思いついて
ファッションにおける死語を思い出してみた。
移り変わる流行がファッションの基本(と言うより戦略?)だから
もちろんたくさんの死語が生まれているんだろうけど(笑)
少なくとも自分が興味を持って雑誌など買っていた
1970年代半ば〜1980年代半ばによく聞いた
懐かしい言葉をピックアップしてみようか。

●アイビー&プレッピー
 言わずと知れたアメリカ東海岸のアイビースクールスタイル。
 実際には1960年代始めぐらいまでの
 お坊っちゃまたちのファッションスタイルだったらしいけれど
 日本ではVAN JAC.によって爆発的に流行った。
 本場アメリカではもうヒッピーカルチャーが台頭した
 1970年にはもうあまり見なくなったファッションらしいけど
 少なくとも私が大学生だった1980年始めまではしっかり残っていた。
 B.D.シャツにコットンパンツ、コインローファーにネイビージャケット。
 ・・・というと、なんだ今もそんなに違和感はない。
 パーカにジャケットわせたりするプレッピーも含めて
 しっかり日本の文化に定着したのかな。

●ハマトラ、ニュートラ
 横浜のトラディショナルや新しいトラディショナルみたいな意味。
 トラディショナルは「伝統」と言う意味だから、
 それに「ニュー」をつけるってのもどうかと思うけど(^^;
 まぁ女子大生の7〜8割方はこのどちらかだった気がする。
 雑誌JJ片手に、巻きスカートやペタンコ靴ばかりだったなぁ。
 でも実はハマトラはまだ生きているらしい。
 ミハマやキタムラが今も人気店との由。

●ヘビーデューティ
 それまでUCLAを始めとしたマリン&スポーツ中心のファッションから
 (トレーナー→スウェットシャツはこの頃出現)
 いきなり流行り出した、いわゆるアウトドアファッションの波。
 マウンテンパーカやダウンジャケットなどはこの時からメジャーになった。
 LLビーンやモンベル、コロンビアなどのブランドも有名に。
 間違って「ヘビービューティ」と言っている奴もいた。
 どんだけ美しいのか(笑)

●ベルボトム
 裾が広がったジーンズ。
 猫も杓子もパンツ(当時はズボン)の裾をヒラヒラさせていた。
 でも本当の定義はただ裾広がりだけではなく
 お尻から膝まではぴったりしていなければならなかったらしい。
 うむ、確かにかぐや姫当時の伊勢正三さんはそんなジーンズ履いていた(笑)

●パンタロン
 これまた裾広がりのパンツのこと。
 でもベルボトムとは違い、ジーンズではないパンツを指したような気がするし
 お尻から膝までぴったりというシルエットでもなかった。
 あまり男性用のパンツはパンタロンとは言わなかった気がするんだけど
 思い返してみると、パンタロンの登場から女性のパンツ姿が定着したような。
 それまでの「女性用スラックス」は腰の横ファスナーで
 ちとダサいイメージがあった気がするんだ。
 「女はスカート」という概念を根底から崩しさり
 キリッとしたパンタロンスーツ姿のお姉様方はカッコよかった。

●マキシ
 ドレープがついた足首までの長いスカート。
 それまでのミニスカートからマキシブームとなり
 世の男性諸氏はがっかりしたとかしなかったとか(推測)。
 でもヒッピームーブメントにも寄与していて
 サイケデリック(これも死語)柄のマキシはカッコよかったよ。

●サーファー
 サーフンするひとは今もそう呼ばれるけど、
 死語なのはそれっぽいファッション。
 あのころのサーファールック(ルックも死語?)の人たちの
 一体どれぐらいの人たちが本当にサーフィンしていたんだろう。
 ところでサーファーとは違うけれど
 1980年ごろの若い男性に大流行りだった片岡義男の小説は
 ファッションにも大きな影響を及ぼした。
 ちょっとサーファーに近いけれど
 白無地Tシャツの半袖をタバコの箱挟んで折り返し、
 履き古したブルージーンズにカウボーイブーツ。
 もちろんジーンズのポケットにはジッポのライターが入っている。
 大型バイクやピックアップトラックに乗っていれば完璧だ。
 ピックアップトラックの荷台にサーフボードを載せる。

●昔流行ったブランド
 Fruit Of The LoomVAN JAC.、BOAT HOUSE
 私と同世代なら知らない人がいない、当時の有名ブランド。
 でもリンクを見てもらえればわかるけど
 今もちゃんと存在している。
 ユ◯クロやし◯むらなどに慣れた目で見ると(笑)
 どれもお値段がひと桁違うような気がするけど
 みんなそれなりに品質が良い。
 (BOAT HOUSEに行ったけど、欲しいと思ったよ)
 そして今でもブランドイメージは生きているんじゃないかな?

実は「このブランドは今も生きてるよ」と言いたい記事でした(笑)
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花巻市郷土芸能鑑賞会

2018-06-08 | 神楽・芸能


10日の日曜日は
午前中昨日書いたイベントに参加のあと
午後からは花巻市文化会館で開催される郷土芸能鑑賞会に出演。
今回の上根子神楽の出し物は「天王舞」だ。
牛頭天王(スサノオ)が主人公であり
蘇民将来を助けて悪鬼コタンを退治するという
蘇民伝説が元となっているのでシリアスに思われがちだが
実は狂言の部類に入るお楽しみ演目。
下ネタ系なのでご披露する場面は限られるけど(笑)
けっこうお楽しみいただくことが多い。
お時間ある方はぜひ文化会館へ。
出番は14時半ごろになる。

ところでこの物語。
よくよく考えてみると、秘められた物語の奥が深い。
蘇民将来伝説はもともと台湾の昔話だったはず。
それが大和民族(牛頭天王=スサノオ)の力を借りて
日本の先住民族コタンを退治する物語と読み解くことができる。
(アイヌ民族の言葉で神はコタン)
南方系民族が日本列島に流れ着いて
先に移住していた大和民族と協力して先住民族を駆逐する。
なんか田村麻呂によって退治された阿弖流為、
源義家に駆逐された安倍貞任、
源頼朝によって滅ぼされた平泉藤原四代、
そして、戊辰戦争で西軍によって仕置きを受けた奥羽列藩同盟・・・
すべて似た構図に重なって見えるのはひが目だろうか。

桃太郎の話でもよく語られることだが、
他国に攻め入る口実は「相手は悪者」というイメージ作り。
本当に悪者だったのか?
現代の外交や防衛にもそのまま言えること。
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新しい「 」と出会うクリエエーターズキャンプin花巻

2018-06-07 | 世界・平和


花巻市の新たな地域おこし協力隊員募集プロジェクトに関わっている。
先日は東京でのイベントの参加し、
何人かの参加者と話をさせていただいて
私自身も大変勉強になった。
そして、同じくゲストだった
ソーシャルメディアコンサルタントの
三川さんと知り合えたのも収穫。

そして今週末は花巻での募集イベントに。
仕事ではあるけれど
こういう場での新しい出会いが楽しくて仕方ない。
そこからまた新しい流れが生まれてきたりするのだ。
人を呼ぶのは人、何かを生み出すのは人と人の結びつき。
そんな人との出会いのチャンスは
仕掛け続けなければ生まれない。
だからワタシは仕掛け続ける。

まだギリギリ今日まで参加者を受け付けているはず。
興味ある人はぜひこのチャンスを逃さずに!!
急げ!!
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Machicoco便り vol.25

2018-06-06 | マチココ
明日は月1度のお楽しみ、
花巻コミュニティーFM oneで「マチココスタイル」放送です。
明日の出演者はスタッフ2名。
永遠のお嬢S子さんと、新登場の最年少Kくんです。
最近は「母子コンビ」として(笑)
キャラが確立しつつある2人の放送、お楽しみに。

次号Machicocoは6/20発売です。
今回の特集は「夏のまち遊び」
子供の頃の遊びを思い出すミーティングは
大いに盛り上がりました。

「顔と手」は満を侍して登場。
ユネスコの記録文化財である大償神楽です。
夜の練習にお邪魔して、最年少Kくんが取材しました。

「花巻まにあ」では
方々で引っ張りだこの人気者
地域おこし協力隊の有原さんに
お忙しい中原稿を書いていただきました。
設計士が見た花巻の魅力とは?

大人気「光太郎レシピ」は
初夏の森の中での撮影。
マイナスイオンを体いっぱいに浴びての撮影でした。

前号から始まった新企画2本ですが
「Challenging Door」では
リノベーションで新たに生まれるゲストハウスを、
「サワジンのあったった」では
昭和な喫茶店とピザトーストを取り上げます。

また今回からまたまた新たな新企画が。
詳しくは6/20発行の第8号でご確認ください。

花巻まち散歩マガジンMachicocoのご購入は
以下の協賛店様で。税込み500円です。

小田島商事株式会社
 花巻市卸町 66 tel.0198-26-4151
5th SEASON(ファイブシーズン)
 花巻市大通り1丁目4-14 tel.0198-29-5512
豆蔵おしきり
 花巻市成田 17-119-7 tel.0198-29-6232
鏑八幡神社
 東和町土沢 5 区 169 tel.0198-42-3531
鉛温泉 藤三旅館
 花巻市鉛字中平 75-1 tel.0198-25-2311
賢治の広場
 花巻市上町3-4 岩田ビル 1F tel. 0198-24-0818
はちすずめ菓子店
 紫波郡紫波町日詰郡山駅53 hp.http://hachisuzume.com
高村光太郎記念館
 花巻市太田 3-85-1 tel.0198-28-3012
白鳥の停車場
 花巻市高松 26-3[ 童話村内 ]  tel.0198-31-2040
株式会社東家
 盛岡市中ノ橋通 1-8-3 MORIOKA tel.019-622-2252
Healing Salon Re:BORN(リボーン)
 花巻市星が丘 2-28-7 スターヒルズ 102 tel.080 5220 4183
耳鼻咽喉科・わたなべとしや診療室
 盛岡市北飯岡 1-2-67 tel.019-656-4133
ユキノハナ動物病院
 花巻市不動町 1-8-1 tel.0198-29-5488
株式会社伊藤染工場
 花巻市藤沢町 391 tel.0198-24-3348
キクヤ
 花巻市東和町土沢 5 区 405  tel.0198-42-2632
松葉商店
 花巻市東和町土沢 5 区 380 tel.0198-42-4325
東和温泉
 花巻市東和町安俵6区 135 tel.0198-42-4311
たく整骨院
 花巻市上町 12-12 tel.0198-22-7763
寺内歯科医院
 花巻市西大通り 2-13-13 tel.0198-41-1818
カシワタニ動物病院
 花巻市西大通り 2-371-2 tel.0198-22-2494
スターブリッジいわて株式会社
 花巻市松園町 1-6-1 tel.0198-23-0771
高木丘クリニック
 花巻市高木 18-61-2 tel.0198-22-0103
cafe’Restaurant B&B 無ら里
 花巻市一本杉 35-19 tel.0198-24-2026
だいわブルーベリー園
 花巻市鍋倉字地森 7 tel.0198-24-4888
どんまいプロジェクト(販売:ファームプラス)
 花巻市上根子字下田 60-2 tel.0198-33-0594
田舎 labo
 花巻市湯口字蟹沢 13-1 tel.0198-29-5991
社会福祉法人 大谷会
 花巻市湯口字松原 53-1 tel.0198-25-2125
株式会社ホテル花城
 花巻市東町 9-30 tel.0198-22-2333
Barbershop switch(スイッチ)
 花巻市御田屋町 1-60 tel.080-3328-9777
株式会社三田商会
 花巻市御田屋町 1-33 tel.0198-22-3030
及川歯科クリニック
 花巻市仲町9-17 tel.0198-22-5522
株式会社風童社
 花巻市桜町 4-240-1 tel.0120-249-166
株式会社星光舎
 花巻市桜木町 3-27-2 tel.0198-22-3177
須田内科医院
 花巻市円万寺字下中野 46-4 tel.0198-38-1121
HAIR & MAKE EARTH 花巻店
 花巻市桜台 2-23-2 tel.0198-21-3288
合資会社末廣 パティスリーアンジュ
 花巻市星が丘 1-1-18 tel.0198-21-1488
Joe's Lounge
 花巻市大通り 1-4-14 小友ビル 1F tel.0198-29-5655
株式会社元來社(なはんプラザ)
 花巻市大通り1-2-21なはんプラザ1F tel.0198-22-4412
大原ホンダ
 花巻市下小舟渡 540-11 tel.0198-23-2024
有限会社宮沢新聞店
 花巻市末広町 2-17 tel.0198-23-5416
株式会社上町家守舎
 花巻市上町 6-2 マルカンビル 1F  tel.0198-29-5588
有限会社小田島薬局
 花巻市上町 6-5 tel.0198-23-5161
茶寮かだん
 花巻市花城町 11-12 tel.080-2823-1048
株式会社文化タクシー
 花巻市双葉町 6-2 tel.0198-24-4151
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平均寿命

2018-06-05 | 世界・平和


先日見たテレビ番組で知った驚きの話。
厚生労働省から発表される「平均寿命」の定義は
「その年に生まれた0歳児の平均余命」なのだそうだ。
平成22年度発表では男79.64歳、女86.39歳となっている。
私は昭和35年生まれだから、
その年に生まれた子の平均寿命を見てみると
男が65.32歳、女が70.19歳。
平均すると、ざっくりあと10年か。
個人的感想は長くも短くもないという感じ。
ちょうど良いんじゃないかな。
その10年の間にやりたいことをすればいい。
どうせいつかは誰でも死ぬ運命。
それまでに何を為すか・・・を考えると
10年ってちょうどいいよね。

ちなみに平均寿命とともに
年ごと、年齢ごとに平均余命も発表されている。
平成30年に今の私の年齢は出ていないけど
統計に出ている40歳と65歳の間で換算してみると
だいたい20年ちょっとかな?
それは自分にはちと長い気もする。
元気でその年齢なら良いけれど、
誰かに迷惑をかけながら長生きはしたくない。

とりあえずあと10年目指そうか。
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決算

2018-06-04 | 風屋日記


第3期の決算終了。
売上はほんの少しずつながら上昇しているけれど
利益率はだんだん下がってきている。
初年度はほぼほぼ下請け的仕事がメインだったから
売上=利益ってことが多かったけど
第2期、第3期と支払いが増えてきているからだろう。

でもさ、考え方次第。
確かにほぼ売上=利益は楽だけど
支払いが増えているってことは
自分が前に立って仕掛けている証拠。
別に大儲けするつもりもないし、
商売第一で物事を考えるようなビジネスマンでもない。
自分が持っているスキル、キャリア、人脈を使い
花巻をはじめとしたローカルの役に立てば。
そして仲間たちと喜びを分かち合えれば。
とりあえず3食いただけて屋根の下で寝るだけの
自分の生活が維持出来るぐらいの収入があれば良い。
とにかくストレスフリーで楽しく毎日を送ることができれば。
そのために、仕事が混んでしんどくても
雇用しようと思わないし、金融機関から融資を受けるつもりもない。
それぞれ頑張っている人たちと手を携え
それぞれの力を合わせて楽しい仕事がしたいだけ。

勝手に使命を感じて持ち出し仕事もあるから(笑)
時々キャッシュフローが心細くなるけど(^^;
少しずつでもベースができてくれば無理はするまい。
着実に、実となるような品質の仕事を目指す。
それが今の立場を選んだ時に心に刻んだ方向性。
たったひとりの会社だけど、企業理念と言ってもいい。
基本的に私は神輿に乗るタイプではなく
あくまで黒子の事務局タイプ。
ほんのかすかな存在でもいいから
そういう立場で存在意義を感じてもらえるよう
第4期もゆっくり歩き出す。
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こころ

2018-06-03 | 風屋日記


しなやかで柔軟、
様々なことを敏感に感じ取り
ギラギラしつつも
繊細に表現することができた反面、
その分柔らかいく傷つきやすかった若い頃と
硬く厚い鎧を身につけ
すべてのことに鈍感になり
感性そのものを失ってしまったものの
多少のことでは動じなくなった今。

どちらも自分だ。

写真は昨日夕方の麦畑から見た夕陽。
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高村光太郎記念館へ

2018-06-02 | 散歩
詩人で彫刻家の高村光太郎は
東京の空襲でアトリエから焼け出された後
宮沢賢治の実家を頼って花巻へ疎開。
戦後もそのまま昭和27年まで
花巻市郊外の太田村の小さな掘建小屋で
静かに独居生活を営んだ。
今その場所は光太郎記念館と高村山荘として
観光スポットとなっている。









雨上がりの朝、
光太郎記念館の入り口には花々が。



裏山の中腹にある智恵子展望台へ。
登り口にはこんな熊よけが。



亡き妻智恵子の名を呼んだとされる智恵子展望台。
その時の光太郎の心中を想像して
この風景を見るとなんだか泣けてきそうになる。
遠く見えるのは花巻市スポーツキャンプ村。





周囲は初夏に向かおうとする山林。
マイナスイオンがたくさん。

ここをひとりで智恵子を思いながら歩いていたんだなぁ。
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タイムマシン

2018-06-01 | 文化
もしもタイムマシンがあったら・・・
未来はあまり見たくないな。
この歳だともう未来もそんなに長くもないから
少なくとも自分の未来には興味はない。
もしこれから何かとても楽しいことがあるとすれば
先に見ちゃうとつまらないし(笑)
もしこの先は辛い人生だとしたらなおさら見たくない(^^;
息子たちや孫たちについても
先々を見ても何も手を貸せないのなら見ても仕方ない。
それぞれが自分の人生を歩んでいってもらえれば。

で、タイムマシンがあったらだけど
過去は見てみたい。
江戸時代の人たちが、鎌倉時代の人たちが、平安時代の人たちが
どんな格好をして、どんな生活をして、どんな言葉を話していたのか
時代劇ばかり見ているとわかったような気になるけど
たぶん現代において時代考証したものを俳優さんたちが演じるのとは
全く別物だと思うんだ。
有名な武将たちや為政者たちではなく
市井に生きる一般の庶民の生活。
たぶん今とは違う価値観の中で違う言葉を話している。
特にその話し言葉に興味がある。

明治や大正、昭和の初め頃なら、自分の先祖たちに会ってみたい。
両親、祖父母や伯父、伯母、大伯母など
実際に自分が会ったことある人たちの若い頃の姿を見てみたい。
何を大切に思い、何を考えて、どんな風に生きたのか。
特に明治期、まだまだ近代日本が混沌としていた時代に
明治20年代に生まれた父方祖父がどんな人生を歩んでいたのか。
(私が生まれる前に死んだので会ったことない人だけど)
とても興味がある。

でもね、未来においてもタイムマシンはできないと思う。
なぜなら、未来からタイムマシンでやってきた人がいないから。
いたらたぶん異彩を放っていたと思うし
それが何かしらの記録に残っているはずだもんね。
そして歴史も変わっていたと思うし。
例えば坂本龍馬が暗殺されなかったら・・・と
未来の人も思うだろうし、
タイムマシンがあったらその時代に行って助けただろう。
でも結果的に龍馬は暗殺されてしまった。
ってことは、未来から来てご注進する人がいなかったことになる。
物理的な専門知識はないから、技術的にどうかというのはわからないが、
そんなことからタイムマシンの発明は未来永劫ないと思う。

中学時代、時間というのはほんの少しずつずれながら
縦に並んで流れていると考えたことがある。
自分が生きている時間の流れからひょいと隣に移ることができれば
それでタイムマシンになるんじゃないかと考えた。
でも、時間は川に流れのように
逆行することなく、並列することなく
良くも悪くも淡々と流れていくものなのだなぁ。

〜ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の流れにはあらず〜
コメント
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