風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

釜石にて

2012-07-16 | 






市立鵜住居幼稚園。
鵜住居地区は海のそばに街があり
昨年の津波でほぼ全滅状態。
三陸鉄道の駅があった場所も
ホームと思われる盛り土があったぐらいで跡形もない。

駅前にあった幼稚園は
津波に遭ったまま手付かずで残っていた。
周囲の家々も土台しか残っておらず
街そのものが廃墟になっていて
1年以上経った今もこの建物はまだ片付いていない。
2階まで波が来たらしく
バルコニーの鉄柵が飴のように折れ曲がっている。
教室の天井に小さな靴下が引っ掛かっていた。

ここでは先生2人と園児3人が亡くなった。
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遠野の道の駅にて

2012-07-15 | 
雨の中
合羽着た自転車の青年と会った。
「どこから?」
「浜松です」
「静岡の???」
「はい」とニコニコ。
日本一周を始めて半年とのこと。
「最初は紀伊半島まで行ったんですけど、
 梅雨から夏は北を回ろうと思って
 北海道行って南下してきたとこです」
「遠野には一度来てみたかったので来ましたが
 これからまた国道4号線に戻ります」
「ずーっとテント暮らしです。
 宿代無いんで(苦笑)」

かつて夏の岩手はこんな若い人達がたくさんいた。
今もこんな青年がいることを嬉しく思う。
頑張れよ、気をつけて。
「いい旅を!」
「ありがとうございます」
爽やかな笑顔で店に入って行った。
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梅雨の最中

2012-07-14 | 生活の風景
もう蝉が鳴いてる。
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「アフリカの月」

2012-07-13 | 音楽
古い港町流れる 夕暮れの口笛
海の匂いに恋した あれは遠い日の少年

酒場じゃ海で片足 失くしたおいぼれ
安酒に酔って唄う遠い想い出

「俺が旅した若いころは… よく聞け、若いの。
 酒と女とロマン求めて 七つの海を旅したもんさ」

母さんは言うけど、 船乗りはやさぐれ
海に抱かれて年とり あとはさみしく死ぬだけ…

僕は夢見る 波の彼方の黒い大陸
椰子の葉かげで 踊る星くず
見上げる空にはアフリカの月…

古い港町流れる 夕暮れの口笛
海の匂いに恋した あれは遠い日の少年

      (作詞:KURO 作曲:西岡恭蔵)


のちに山下久美子や松田優作の曲の詞を手がける
奥様のKUROさんが初めての作詞をし、
ご主人の恭蔵さんがその詞に曲をつけた歌。
ご夫妻が大塚まさじさんに
「これ歌えよ」とプレゼントしたのだとか。
哀愁漂うメロディーと、ノスタルジックな歌詞。
名曲。

KUROさんは1997年に乳がんで亡くなり、
その3年後の命日に恭蔵さんが自ら死を選んだ。
微笑ましくも哀しい夫婦の物語。
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タイムマシン

2012-07-12 | 風屋日記
昔、「時間」は簾のようなものなんじゃないか、
「今」という時間の横には1秒ごとか、1分ごとか
あるいは1日ごとなのかわからないが、
たくさんの過去が並んでいるんじゃないかと
思っていたことがある。
それらが少しずつズレた時間を刻みながら
簾状に1本1本の線になっているんじゃないかと。

そんなことを考えていた中学時代
今も付き合いのある当時の親友にそのことを話してみた。
「そうか。じゃあタイムマシンを作るのは簡単だ。
 何らかの方法で線を飛び越えさえすればいい」
と彼が嬉しそうに言っていたことを覚えている。
そう言われ、自分でも想像してみた。
「今」という時間の線からひょいと隣へ移る。
簡単そうだ。
その時はそんな想像に嬉しくなってしまった。
なんだ、過去へ戻りたい時は隣へ移ればいい。

今はもちろんそんなことは考えないが、
それでも時間というものの不思議さは変わらない。
もう、間もなく52歳?
嘘みたいだ。
なんかの番組のドッキリなんじゃないの?
しかも過去へはもう戻れないなんて。
そんなに遠い未来ではない
自分の人生の終わりに着実に流れてるなんて。

だって過去はすぐ隣にあるみたいに感じる。
ひょいと横を見れば
息子たちとわいわいキャッチボールする自分がいる。
生まれたばかりの息子の柔らかい頬を
笑顔でつつく自分がいる。
ユーミンの歌が流れる高円寺の古い6帖間のアパートで
ゆっくりコーヒーミルを回す自分がいる。
花巻の自宅の自室で
ラジカセのエラ・フィッツジェラルドの声を聴きながら
カミュの文庫本を読んでる自分がいる。
中学校の校庭で汗だくでノックを受ける自分も、
ランニングシャツでカブトムシを探しながら
近所の林の中に入っていく自分もいる。

タイムマシンはどうやら自分の頭の中にあるらしい。
時々、ぼんやりとタバコをくゆらしている時や
東京のひとりの部屋で音楽を聴きながら
缶ビールのプルリングを引いている時など
タイムマシンに乗ってみる。
その瞬間もすぐに過去になってしまうんだけれど。
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「右岸」

2012-07-11 | 読書
読み進めながら
最初は「現代版青春の門」だと思った。
奇しくも舞台は九州の福岡でもあるし、
主人公は自分と同い歳だし。
だんだん「オカルトかスピリチュアルな物語」と思った。
「だったらもういいや」と
一時は途中で読むのを止めようかとも思った。
主人公が旅に出た辺りから
「フォレストガンプみたいだな」と思った。
運命に翻弄されて、まるでジェットコースタードラマ。

そんな感想をその時々に感じながら
だんだん物語そのものにに惹き込まれていった。
特に下巻に入ってからは主人公に自分を重ねあわせながら。
この物語における超能力はメタファーだ。
いや、ジェットコースターのような主人公の人生そのものが
もしかしたらメタファーなのかもしれない。
でなければもうひとつの物語である「左岸」が生きない。

幼なじみ同士である祖父江九を主人公にしたのが本書「右岸」。
もう片方の寺内茉莉を描いたのが江國香織さんの「左岸」。
「右岸」を読み終え、静かな心持ちになったところで
これから「左岸」を読み始める。
九の人生をもう一度たどり直して反芻しながら。

「でも、最後の最後でお前は、
 ほんとうにささやかなものだが、幸福を手に入れる。
 それはお前が見過ごしそうなほどに小さな幸福だ。
 それが幸福だとは気がつかないほどのものさ。
 でも、その最後の最後で、お前は悟る。
 長い人生の歴史の意味を理解する。
 そのようにして、人生を終われることを、
 幸せと呼んでもいいのじゃなかろうか、とね」

 人生と人生の間には川がある。
 ぼくがつねにこっち側で生きているように、
 そして茉莉ちゃんがそっち側で生きているように、
 ぼくたちはお互いの人生を見ることができないよね。
 はじまりは同じ場所だったというのに、
 川は時とともに、下流に向かうにつれて
 ものすごく大きくなって、ぼくたちを遠ざけてしまう。
 それこそが人生なんだ。
 ぼくは右岸で生きている。
 そしてあなたは左岸で生きている。

 いったい今までにどれほどの人が
 この世界で亡くなったというのだろう。
 この世に生まれてきた人の数だけ
 死者の数が存在しているはずだった。
 いつか自分もその仲間入りをする。

 私に言わせれば、あなたが生きていることこそ奇跡・・・。
 この暗黒の大宇宙の中に
 酸素をこれほどふんだんに持った星が誕生する確率を
 想像してみて下さい。
 その上、そこに生命が誕生できる確率など
 目が眩むほどではありませんか。
 この星の上にあなたが生まれる確率は
 さらに想像を絶するものです。
 これを奇跡といわず、何を奇跡と呼ぶのでしょう。

「右岸(上・下)」辻仁成:著 集英社文庫
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ゴーヤ

2012-07-10 | 生活の風景
花の根本にちっちゃいゴーヤ。
こんなに小さくても
いっちょ前にゴーヤの形しててかわいい。
これがだんだん大きくなっていくんだね。

緑の簾用に自宅で栽培中。
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初夏

2012-07-09 | 生活の風景
爽やかな日曜日。
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人間の愚かさ

2012-07-08 | 世界・平和
こんなニュースを見て思い出したことがある。
かつて見たNHKのドキュメンタリーで
太平洋戦争開戦当時
陸海軍参謀だった人たちが戦後会談をしたテープ。
その中のナマの声で
お互いの責任追及に終始した様子がうかがわれ
人間の責任回避がテーマの番組だった。

歴史は繰り返すんだね。
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命の重さ

2012-07-07 | 世界・平和
以前書いたブログ記事「いのちの重さ
今読んでる本の中にあった
「人間の行動の中で最も愚かなことは仕返しだ」
という言葉に、以前書いたこの記事を思い出した。
人の命はひとつひとつ。
「大勢」なんてくくりはそこには存在しない。
北野武も震災について
「2万人近く亡くなったひとつの事件じゃない。
 1人が亡くなった2万件近くの事件なんだ」
と書いていたな。

今日は七夕。
新聞にも載らない
市井のたくさんの恋人達の逢瀬もまた
本人達にとってはひとりひとりの恋。
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スパイスカフェ

2012-07-06 | 食べ物・お店
近くながら
今まで行ったことが無かった有名店突撃がようやく実現。
予約も最近は難しいほどの人気らしい。

カレーの食事はもちろんのこと、
前菜の盛り合わせも、食後のスイーツも、
香り高いコーヒーも、それぞれの器も、
そして建物や庭も絶品。
すごいや、ここ。

写真はビリヤニ。
いわばインド版の釜飯。
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「コンビニ・ララバイ」

2012-07-05 | 読書
北上次郎さんが解説に
「重松清と浅田次郎を足したような小説」と書いていたが
この表現は言い得て妙。
生きるのに不器用な登場人物たちが
もがきながら主人公の助けを借りながら
心に灯を点していく。
でき過ぎの感もあるし、人間そこまで単純かとも思うが
でも本当に生きるのがうまい人間はどれだけいる?
そんな不器用な我々だって
多少ご都合主義のファンタジー読んだっていいじゃないか。

それにこの作者はそれだけの人ではない。
この作品は確かに直球で重松+浅田だけれど、
例えば「アンクルトムズ・ケビンの幽霊」は
差別の問題を内包する胸が詰まる物語。
「でいごの花の下に」は男女の深い愛情の物語。
常に暖かい視線ながら静かに市井の人々を描く。
その筆は軽くも重くも自由自在。
ちょっと安定感に欠けるきらいはあるものの
その拙さに見えるところがまた魅力だ。

こんな物語のような人生を歩きたいな。

「コンビニ・ララバイ」池永陽:著 集英社文庫
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花巻の夜

2012-07-04 | 生活の風景
月がくっきり明るい。
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「5年後」

2012-07-03 | 風屋日記
2007年7月13日付の本ブログの記事「5年後」。
この日からまもなく5年経つ。
とりあえず生きてたな。
他のことは?予想通りだった?
案外、物事は変わっていなかったりして。
親父さんが亡くなった以外は。
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驚きと感動

2012-07-02 | 読書
数週間前にmixiとブログに書いた
「キャパになれなかったカメラマン」の読後感想。
連続して再読するほど没頭して読んだ感想を
2度にわたって書いたのだが、
一昨日なんと著者ご自身から御礼のメールをいただいた。
驚くと同時にちょっと感動。
8年ブログを書いてきてこんなことは初めて。

この本はベトナム戦争をカメラマンとして取材した
著者の思い出の記ではあるけれど
戦場で一体何が起きてるのか
全くニュートラルな立場から書かれた
優れたドキュメンタリーでもある。
昔の話ではない。
シリアやアフガニスタンをはじめ
今も世界のあちこちで殺し合いが続いている。
それに巻き込まれた一般の住民たちが
一体何を感じ、何を体験しているのか、
兵士たちはどんな風に戦闘に臨んでいるのか、
そこに殺し合いを回避するヒントが隠されていると思う。
目を背けてばかりいられない。
現実に今殺されようとしている人達がいるのだから・・・
ということをこの本は教えてくれる。

返事を書きたいが、
たくさん書きたいことがあるので
ちゃんと頭の中で整理し
メールの御礼とともに簡潔に書かなければ。

でもまだちょっと興奮状態(笑)
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