風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

コミュニティー

2005-06-15 | 風屋日記
今朝、犬の散歩を終えて帰宅した時、
毎朝散歩時に会う近所の農家のおじいさんが自転車で追い掛けてきた。
「ほれ、食え」と渡されたスーパーのレジ袋には
さっき収穫しているところを見たばかりの大きなレタス3玉とブロッコリーの固まり。
「あ、ありがとうございます」と言い終わらないうちに飄々と去っていった。
秋になると、向いのリンゴ畑のおじさんから
「子どもらにかせろ(食わせろ)」と出荷できないリンゴを出荷箱1つもらう。
本当にありがたい。
物もさることながら、心がうれしい。
農家が住民の7割を占めるこの地区だからこそ・・・だろう。

先日の日曜日には地区の運動会があった。
総勢200人以上の参加(100戸程度の地区なのに)で盛り上がった。
知らない顔はほとんどいない。
ここ数年に住み始めた人達もすっかり溶け込んでいる。
珍プレーに大笑いし、活躍に拍手を送りながらも
「おだく(お宅)の息子、朝早ぐがら野球頑張ってるっけなー」とか
子連れの若い夫婦を見ては「あやー、○○君もおっきぐなってお父さんだ」
と言いつつ、幼い子ども達の面倒を見てくれる。
濃厚な人間関係と言ってしまえばその通りであるが、
その暖かさが心地いい。
うちは共働きなので、息子達が小さい頃は近所の方々にお世話になった。
だからこそ今でも呼び捨てで、自分の息子のように接してくれる。
運動会後の昼食会もまた楽しい。
朗らかで和やかな笑い声が木立の間に響いていた。

6月24日の土曜日は地域の神社の例大祭。
もちろん当日は我々の神楽にとっては一大イベントの奉納がある。
23日の前夜祭は例年各地区から出演の演芸会があったのだが、
今年は諸処の事情から中止とのこと。
それを聞いた地域の若い連中が立ち上がった。
「オレ達バンド演って盛り上げるから、風屋さんも手伝って」
地域の若い奴らに懇願されて断ったんじゃ男がすたる。
私も大地座で一肌脱ぐことにする。

6月24日夜、熊野神社は熱いぞ(笑)
もちろん翌日の夜の神楽も!!
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新幹線

2005-06-14 | 風屋日記
今朝、新型新幹線のニュースを見た
最高時速405km/hとのこと。
すげえや。

東北新幹線が開業したのは昭和57年、大宮までの暫定開業だった。
当時私は某TV局の朝の情報番組のAD。
しかも担当する番組のスポンサーが国鉄だったため、
開業日のかなり前から当日の報道について綿密に打ち合わせていた。
開業当日、スタッフは盛岡、仙台、大宮にそれぞれ配置され
一番列車の出発に合わせて実況多元生中継となった。
私は大宮クルーADとしてカメラマン、VEとアナウンサーのチームのチーフだった。
当日の興奮は今でも忘れられない。
田舎の代名詞だった東北が、今その呪縛から解き放たれる瞬間だと思った。
後から放送したドキュメントの編集も夜遅くまで手伝ったものだ。

新幹線開業以前は、花巻からの上京は特急列車か夜行の急行。
特急「やまびこ」や「はつかり」は、花巻-東京間を約6時間、
夜行急行「十和田」や「八甲田」は約9時間を要した。
もちろん私が家を出て大学に進学した時も花巻駅からの特急だった。
当時の花巻駅は盛岡周辺や北上・水沢への通勤通学、
そして釜石線で花巻に通勤通学する乗客でいつもいっぱい。
特急に乗るべく大きな荷物を持った人達も待合室にあふれていた。
駅前の土産物屋で買い物をする人、隣接の喫茶店で時間を潰す人、
待合室に入りきれず、コンコースに荷物を置いてその上に座っている人。
外の世界への玄関、その向こうに何か明るいものが待っていそうな
そんな活気のある場所が駅だった。

東北新幹線開業にあたって、花巻は2つの大きなミスを犯した。
ひとつは開業時に、新幹線花巻駅を作ることができなかったこと。
北上との陳情合戦に破れて、ルートが東の山を通ることになってしまった。
もうひとつのミスは、後から新花巻駅を作ってしまったこと。
山が迫る何もないところに作った駅は、駅前開発計画も思うようにいかず、
未だにポツンと存在しながら、黙々と新幹線に乗降する滋養客を飲み込むだけ。
ランドマークにすらなってはいない。
一方、従来の花巻駅は長距離客がいなくなり、
通勤も自家用車が主流ということで、連結車輌も本数も少なくなり、
駅前広場も荒涼、閑散としてしまっている。

今にして思えば、新花巻駅など作らずに
北上から盛岡までの在来線を充実させた方が得策だったのかも知れない。
そうすれば在来線も不便→利用者が減る→本数が減る→ますます不便
というサイクルからどうにか解消できたと思うし、
駅を利用する人も増えていた。
駅前の旅館や土産物屋を利用する長距離客もいただろう。

「新幹線は人をどんどん都会へ運ぶだけ」というストロー現象がよく話題となるが、
それ以上に金のストロー現象が起きている。
中央資本の大型店やチェーン店が次々にやってきて、地元の商店街がガラガラだ。
「雇用場所と法人税を確保するための企業誘致は新幹線がないと・・・」
という人もいるのだろうが、それで地元企業が衰退するのなら本末転倒だ。
新幹線は都会の空気を運んできて、地元の金を運び去ってしまっている。
新幹線は来ない方が良かったな・・・と今になって思ったりする。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Monologue

2005-06-13 | 風屋日記
Yesterday's page view count are 254, and access IP are 87.
I was surprise and warry when I saw them.
Because I noticed that a lot of people are looking at my BLOG that much.
But This is just my diary.
I thought over that I will continue this BLOG by my own pace.



By the way.
I am working by the center of the enterprise.
Naturally, I should think our achievement and the business are smoothly done.
However, my thinking about them might contradict my own opinion.
They are considerably painful work for me.
It is also true that nobody does those work excluding me,
but I want to work for embarrassed people more than for company.

I think that I am not a merchant.
I am working for the family and me.
But I think that my working will damage someone.
I am sometimes caught in such an thinking.
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご祝い

2005-06-12 | 風屋日記
 ♪ ご祝いは繁ければ お坪の松はそよめく

   上り舟に花が咲いた 下り舟に実がなる

   まるき銭は数知れぬ 黄金の倉は九つ

   雫石は名所どころ 野菊の花は二度咲く

   おゆるゆるとお控えなされ 大沢川原に舟が着くまで

   テデポ鳥は 山鳩によく似た ♪


私の地域で、ことあるごとに歌われる「ご祝い」。
懇親会から結婚式、歳祝い、花見など、
地区民が集まり、酒が入るすべての場で歌われる。
ゆっくりとしたテンポで、古めかしく物悲しい旋律で、
不思議な手拍子に乗って歌われ、1度聞くと耳に残る歌だ。
どうやら江戸時代から南部藩全体で広く歌われていたらしいのだが、
詳しいことはまったくわからない。

歌詞もよく意味がわからず、不思議な言葉が並ぶ。
一説によると、南部の殿様に召し抱えられた娘が身重で帰って来た。
殿様の落胤なのでめでたいことはめでたいが
何となく大っぴらには喜べないので、隠し歌にしたもの・・・らしい。
「野菊の花」のような娘が「花を咲かせて」「上り舟」で盛岡へ。
お腹に「実」をなして「下り舟」で帰って来た。
「テデポ鳥」のような子は殿様(山鳩)に似ている・・・。

深い意味を内包した歌詞、不思議な旋律に加えて面白いことがある。
(「テデポ鳥~」は付け足しのような形なので)
1行が1番であり、5番まである歌なのだが、
5番まで全て歌う時には「『ご祝い』を歌う」と言うが、
省略してどれか3つだけ歌う時には「『さいわい(幸い)』を歌う」と言う。
「ご」と「5」、「さ」と「3」をかけて表現しているのだ。
これはすごく洒落た言い方だ。
初めてこの表現に気がついた時には深く感心したものだ。

今月25日に行われる地元の神社例大祭に備えて、
今日の午後は神楽の練習があり、
その最後に「ご祝い」の歌い方の練習があった。
難しいが面白い。
いつか南部藩各地の「ご祝い」の収集もしてみたいと思っている。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蒸し暑い1日

2005-06-11 | 風屋日記
来週の定期考査に備えて、この週末は息子達も部活休み。
・・・ということで久々の朝寝ができ、家族全員起きたら10時だった。
年に何度もない寝坊で寝不足を一気に解消し、
ついでに夕方から近くの温泉へ・・・と思ったが、入浴後が暑い!!
こんな蒸し暑い日は温泉に入るべきではないと、改めて認識した。

     ◇        ◇        ◇

岩手県議会でクールビズの議会への導入の是非が話し合われ、
「導入効果がよくわからん」「何か基準が欲しい」
という、いろいろとても有意義な意見がたくさん出されて結論出ず。
エライ方々の間で蒸し暑い・・・もとい、熱い議論が戦わされた模様。
こんな熱い議論をする時はノーネクタイ、ノー上着がいいと改めて認識した。

議員さん方につき合う県職員の方々・・・ご苦労さまですね。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欲しい物リスト

2005-06-10 | 風屋日記
●今、欲しいCD
 1.「TRUST」A-Show http://a-show.net/
 2.「ラグ・タイム」おおはた雄一 http://www.ohatayuichi.com/
 3.「ライヴ・アット・エルドラド」田中まこと http://www.isonly.net/~t.d/mac/

A-ShowさんはYahoo! ニュースで知った、元公務員のミュージシャン。
おおはたさんは、時々コメントをいただくあじゃらさんに教わった。
田中まことさんは宮城県白石市出身のBlues manということで、
以前から気になっている名前だったが、
これまたあじゃらさんのお店でのライブの様子を知り、CDを手に入れようと決意。
なんでも「ライブが真骨頂」とのことなので、今度発売になるライブ版を狙う。

●今、欲しいDVD
 1.ライブ「American Folk Blues Festival 1962-1966 Vol.1~3」
  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000AYL2M/249-6504010-3334733
 2.映 画「地球で最後のふたり」 http://www.klockworx.com/chikyu/

1.のVol.1は近所に住むBlues青年"ガッツ"(と呼ばれてるらしい)に以前借りた。
T・ボーン・ウォーカー、マディー・ウォーターズなどの伝説のBlues menが
生き生きと動き、演奏しているというお宝映像の数々・・・参った、自分でも欲しい。
2.は、レンタル屋でナンボ探してみてもない。やっぱ自分で買うしかないのかな・・・。

●今、欲しい本
 1.「きみが微笑む時」長倉洋海 http://www.h-nagakura.net/
 2.「『李香蘭』を生きて」山口淑子 http://www.c20.jp/p/yyosiko.html
 3.「英語で語る日本事情」江口裕之・ダニエル ドゥーマス
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4789010473/
             ref=pd_sim_dp_2/249-6504010-3334733#product-details

1.は世界各地の子ども達の笑顔の写真集。前から探しているけど、ここらの書店には無さそうだな。
2.に関して、戦前の満州の状況には大変興味がある。
田中隆吉、石原莞爾、甘粕正彦、川島浪速などの魑魅魍魎が跋扈した彼の土地で
時代の波に生命ごと揺さぶられたのが川島芳子であり、李香蘭だろう。
3.はこれまで3冊ほど買ったが、すべて知人の外国人に送った。
普通の本はひとりにつき1冊しか買わないから「この本を何人買った」で語られるが、
これだけは違う。プレゼント用にひとりで何冊も買っている人が多いだろう。
似たような業界の立場から見ると「うめえこと、やりゃがったな」てな感じ(笑)


ka@さん、やっぱり私も欲しい物いっぱいあります(笑)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗教と権力

2005-06-09 | 風屋日記
神道ってのは土着宗教としては民俗学的になかなか興味深い。
メタファーに満ちた神話ももちろんだが、
八百万もの神様を持つ宗教なんて他には見ることができない。
日の神、水の神、山の神、田の神から竈や厠に至るまで、
あるいは名も知らぬ草花や虫にまで神が宿る。
農耕を生業としてきた民族の、自然への怖れと感謝が
そのような信仰を生み出してきたのだろう。

宗教とはもともと、食や生活、言語などと並び、
民俗学、民族学、比較文化学、文化人類学などの分野において、
研究上重要なファクターとなっている。
歌や踊りなどの文化も祭祀の一部として
宗教とともに形付けられたものである場合が多く、
その民族の倫理や哲学、生活を司っている。

民族の倫理を司る・・・ってのは為政者にとっては都合がいい。
時の権力者は、自らの権威付けに宗教を大いに利用してきた。
いちいち規律を考え、倫理を押し付け、従わせるより楽だからね。
それでも権力者自身が「神」になってしまう例は少なく、
どちらかというと権力者自身も宗教の倫理に従うことの方が多い。
キリスト教であれ、イスラム教であれ、仏教や儒教であれ、
それがよい治世者を生んだという例が歴史上いくらでもある。
「人」が「神」になってしまうと歯止めが効かなくなる恐れもある。
簡単に「人」が「神」になっちゃうのは神道ぐらいなもんじゃない?

さてここで歴史クイズ。
平清盛から始まり明治維新まで続いた軍事政権(武士の社会)上、
最も高い位についた人は誰かわかるかな?
答は豊臣秀吉。
何せ武士の最高位である征夷大将軍を越えて関白になったからね。
(ちなみに一番低い位は織田信長の京都守護職・・・いわば京都府警本部長)
でも実は、もっと高みに上った人がいる。
日光東照宮の「大権現」である徳川家康だ。
何しろ神様・・・天皇ですら何も言えない存在になってしまった(笑)

・・・ということで、そろそろまとめに入ろうか(笑)
私がここで何を言いたいかというと
「神道は興味深いが、実在の『人』を神と崇めるのはいかがなものか」
ということに、実は尽きる。
大地や自然に対する信仰は私も心に抱いているが、
残念ながら東郷平八郎や乃木大将を崇める気にはとてもなれない(笑)
そして今、靖国神社が問題となっている。

結論を言おう。
日本の生活文化上、あるいは慣習上、慰霊を宗教に委ねるなら仏教だろう。
それでも国として憲法上、宗教的な施設や儀式に予算を使えない以上、
やはり宗教を離れた施設の整備が新たに必要なのではなかろうか。
それも兵士だけではなく、空襲や機銃掃射や原爆などで亡くなった方々、
沖縄地上戦で犠牲となった方々も、そこでは一緒に慰霊すべきだろう。
本当に「不戦の誓い」だけをするのならば・・・の話だが。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうなの?

2005-06-08 | 風屋日記
私は別に年寄りをことさら排除しようという気はさらさらない。
年齢の問題ではなく個々人の能力が全てだと思うから。
だが、彼の場合はあえて「老害」ということばを使おう。
一体誰が日本のプロ野球の衰退を招いたのか。
彼のことばを借りるなら巨人の弱体化を招いたのか。
彼以外の人達全員が口を揃えて答えることに、
彼自身が気づいていない「はだかの王様」。
でなければ「てこ入れ」という名目で復活するわけがない。
せっかく交流戦開催により注目を集めつつあったプロ野球だが、
残念ながら「反交流戦」の大御所が出てきてしまったは今後が憂慮される。
何しろ「たかが選手」発言の主、「たかがファン」とも思っているだろう。
そんな人が一家言を持つ日本の経済界ってのもどうなの?

私は別に政治家をカテゴライズするつもりはさらさらない。
自民党だろうが民主党だろうが、はたまた共産党や公明党だろうが、
共感できる意見を言う人もあればそうでない人達もいる。
彼に関しても、やることなすことすべてに難癖をつけるつもりはない。
何しろ「自民党をぶっ壊す」と言って首相になった人だから
旧態依然とした政官界に一石を投じてくれるかも、という期待もあった。
がしかし、残念ながら彼ほどジコチューな人間はいないと分かってしまった。
靖国問題に関しては「中国や韓国も理解してくれていると解釈している」
郵政民営化問題は「政府案の改定なんぞ考えてもいない。このまま通して欲しい」
他にも財政再建諮問委員会からの答申により、
健康保険制度において「風邪の非保険化」が盛り込まれてあったり、
教育制度改革において「義務教育の教科書有料化」が唱われたり・・・。
国民がどう思おうと、他人がどう感じようと、まったく耳を貸さずに我が道を行く。
次期首相候補者へは「郵政民営化でどんな働きをしてくれるかだ」とか
「国民からの多大な支持がない人間は無理だ」とか
当初の高い支持率に天狗になり、傲慢な考えを持ったとしか思えない。
そんな人がTOPに立つ日本の政官界ってのもどうなの?

そりゃね、クールビズに関する考え方にいちゃもんつける気はさらさらない。
私自身スーツやネクタイってのが大キライなので、
逆に諸手を挙げて追随したいくらいだ。
でもさ、じゃどんなカッコしようかってことぐらい自分で考えようよ。
いちいちクールビズのファッションショーを参考にしたり、
デパートの売り子さんの話ばかりを真に受けないでさ。
どんな不粋なオッサンだって、休日もスーツやネクタイしてる訳じゃないでしょ。
だいたい普段から下着やワイシャツを奥さんに買わせていること自体
申し訳ないが私にはとても信じられない。
そんなセンスのおやじサラリーマン達が支える社会ってのもどうなの?

・・・という私もりっぱなおやじサラリーマンだった(-"-)
中年オヤジが中年オヤジを笑うってのは、いわば目くそ鼻くそ。
天に唾するようなもんだわなぁ・・・。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜間歩行

2005-06-07 | 風屋日記
恩田陸「夜のピクニック」を読んでいる。
高校の伝統行事である80kmの夜間歩行の話だ。
高校に入るまでは歩いたこともない、
そして今後も歩くことはないだろう距離を理由もなく歩く理不尽な行事。
しかしその行程の中で様々な思いが語られ、
ひとりひとりの生徒のささやかな秘密が明らかになっていく。
そして皆が理不尽な思いも忘れ、充実感とともにゴールするのだろう。
青春とは概して理不尽なものだったりするのだ。

私も高校時代、一度だけ花巻から盛岡までの40数kmを
徹夜で歩いたことがある。
毎年6月上旬に行われる高校総体岩手県予選の開会式は、
今でこそ盛岡と北上の隔年開催だが、当時は毎年盛岡だった。
各校にとって開会式終了後の応援合戦が目玉行事だった。
そして私の高校では、前日夕方に学校を出発し、
翌朝開会式が行われる岩手県営陸上競技場まで
応援団幹部とともに有志が歩いたものだ。
私の時には、応援団幹部10名を含め、総勢50名程が参加。
途中でOBや父母からの差し入れをいただきながら、
約10時間かけて歩き通した。

出発直後は気分も高揚しているので、皆妙なハイテンションなのだが、
だんだん夜も更けてくると口数は減り、黙々と歩くようになる。
そのうちぽつりぽつりと告白が始まる。
好きな異性のこと。
自分の夢。
家族を含む、生活上の悩みなど・・・。
真夜中を過ぎてくると、その語り口調がなぜか標準語になっていく。
「人生ってさぁ・・・」みたいな(笑)
でもその時はみんな真剣に自分をさらけだしていく。
もちろん全員の前でではなく、それぞれのグループ毎だけどね。

私の仲間は途中から走った。
だらだら歩いていると途中疲れて歩けなくなりそうだったからだ。
集団から離れ、ひたすら前を目指しながら色んな話をした。
出掛けに女の子からもらった差し入れを見せびらかすやつもいた。
長い距離を歩いたり走ったり、体の辛さと戦いながらも気分は爽快だった。
目的地に到着した時も、実はまだ歩いていたかった。
仮眠をとった後の足は大変なことになっていたけれど(笑)

「夜のピクニック」と我々の違いは女の子が参加していなかったこと。
それだけはかえすがえすも残念だ(笑)
もし全校生徒での夜間歩行であったならもっと楽しかったに違いない。
でも歩き通した有志達は、皆得意げに胸を張っていたけどね。

今でも後輩達は高総体開会式と野球応援の時に夜間歩行しているらしい。
一度差し入れをしたいと思いつつ、
歩いている生徒達に出会ったことが、残念ながらまだない。

本を読んでいて思い出したつれづれごと。
本の中の彼ら、彼女らも、かつての私達とおんなじだね。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だめ・・・

2005-06-06 | 風屋日記
お腹のピーは先週半ばから。
土曜日は体のだるさに加えてむかつきと胸焼けが。
夕べからはそれらに加えて激しい頭痛。
頭痛による吐き気も加算されて・・・今日はだめ。
夕べは頭痛が激しくて眠れず、
一晩中ふとんの上でのたうちまわっていたので、ほとんど寝てない。
それでも仕事に来なくちゃいけない辛さ・・・。

今回は違うけど、最近はアルコールが入るとこうなることが多い。
やっぱ、しばらく酒はだめかなぁ。

午後、どうしても今日中の仕事が済んだら帰ろうかな・・・。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日々のつれづれ

2005-06-05 | 風屋日記
ここのところ寝不足が続いていた。
また、仕事のことは極力話題にしてこなかったが、
なにしろ、特にこの2週間は神経戦が続いていて少しバテ気味だった。
今日はいつもの週末のように息子達を朝早く送りだし、
地域の運動会に備えてのグランドの草取りに行ってきた。
犬の散歩まで終わらせて朝食・・・後またふとんへ(笑)
結局そこで2時間半、昼食後に1時間半の睡眠を取り、
何とか体力も復活してきたかなー。
夕食後も少し仮眠を取ろーっと。
ウルルン見るのはその後だ(笑)

さて、なぜ睡眠不足が続いていたかというと、
とにかく朝は5時~5時半に起きないと仕事に間に合わないのだが、
先週の火曜日からNHKで始まった番組を見るために寝るのが遅かったのだ。
5月31日から6月23日まで、毎週火・水・木の23:55から5分間、
「アジア語楽紀行 ~旅するタイ語~」が放送されている。
5分間とはいいながら人々の生活や屋台での食事の様子、
そしてアユタヤ、チェンマイなどの古都のきれいな風景を紹介しながら
毎日1センテンスづつタイ語を教えてくれる。
あのタイ語の優しく、柔らかい発音って好きなんだよなー。
文字はどこからどう見ても理解できないけど(笑)

一昨日、久々で本を2冊買ってきたことを書いたが、
1冊目の「となり町戦争」(三崎亜記 集英社)は夕べ読了。
面白いシチュエーションをつくり出し、ばかばかしいまでにリアルな記述。
(主人公達の住民税のことやら、戦死者の戸籍のことやらヤボなツッコミはなしね)
しかし読んでいるうちに、ありそうなこととして無気味な思いがしてくる。
無力感と妙な充実感、そして少しの感傷で、読後の余韻が残っている。
さすがは小説すばる新人賞受賞作。お勧め。
この作家、次はどんな作品を書いてくれるかとても気になる。
次に手に取るのは「夜のピクニック」(恩田陸 新潮社)。
小説を2冊続けて読むなんて、ホントに久しぶりだなぁ。

さて、明日からまた1週間が始まる。
ここんとこ2週間はやたらと長く感じたけれど、少しはペースを掴めるかな。
あいかわらず神経戦は続くんだけどね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の朝刊から

2005-06-04 | 風屋日記
久しぶりに「今日の朝刊から」シリーズ復活!!(笑)

「私は、自然の中に八百万(やおよろず)の『カミ』を見いだして
 畏怖しながら自然と折り合いをつけて暮らしてきた日本人の感性は
 (それがナショナリズムと結びつけられなければ、という条件つきだが)、
 いまの時代にふさわしい、グローバルな理解を得られる感性だと思っている。」
          -私の視点「自然と折り合う感性必要」より エッセイスト 玉村豊男さん-

「『被害者の思い』を勝手に推し量って『だから重罰化に賛成です』と同情されるより、
 『個々の被害者はどう思っているのか』と耳を傾けてくれる方が、私はうれしい。」
     -私の視点「『死刑願う存在』は偏見だ」より 保険金殺人被害者遺族 原田正治さん-

「初めて前の打者を敬遠され、意地の勝ち越しスリーランを放って『余韻に浸らせてください』」
                    -スポーツ欄 阪神タイガース 今岡選手のコメント-

「うちの人材教育は伝承芸みたいなもの。」
「ヒト・モノ・カネの中でヒトが最も大切です。」
「最も大切なのは想像力です。
 社員が何に悩み、何に苦しんでいるのか。それを社長や管理職が常に想像する。
 顧客が何を望んでいるのかを考えるのも想像力です。」
   -be フロントランナ-より ヴィレッジヴァンガードコーポレーション社長 菊地敬一さん-

「作家にして、西武デパートの元経営者の辻井喬氏だって、
 失業対策で大型車の免許を取っておいたというし、
 現天皇だって、皇室は自分の代で役目を終えてしまうかも知れないと悲観し、
 タイピストに転職しようかと真剣に考えたことがあったそうだ。
 もうしばらく迷う猶予はあるだろうから、また転職話を肴に酒を飲もう。」
            -be 文豪書簡「最近リストラされた友人へ」より 作家 島田雅彦さん-
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜更け

2005-06-03 | 風屋日記
現在、午前0時35分。
これで明日の朝も5時半には起きなくちゃいけないわけだ。
夕べも0時過ぎに寝て、5時過ぎには眩しい朝日に起こされた。

私の両親は夜10時には床につく習慣だったので、
中高生時代、午前0時は真夜中だった。
そんな中、自分の部屋で音楽やラジオを聴き、本を読んだ。
静かだった。
時折かすかに聞こえてくる駅の夜行列車到着アナウンスが
無性に寂しげに聞こえ、私に家を出ての自立を促しているようだった。
当時はラジカセしかなかったので、音楽もDJもやたら侘びしく聞こえた。

今、居間でひとりパソコンに向かっている。
都会とは違い、外は暗闇で本当に静か。
時々聞こえる高速道路のトラックの音以外はカエルの鳴き声だけ。
家内は仕事に疲れ、11時には早々と寝てしまった。
長男も部活の疲れが溜り、さっき覗いたら勉強しながら寝ていた。
次男の部屋からはかすかに音楽が漏れ聞こえている。
まだ起きているようだ。

さて、もう1服したら私も休もうか。
おやすみなさい。
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諦めない

2005-06-02 | 風屋日記
さっき、とある、それなりの方から
「あなたの文章は難解だ」と言われた。
「シンボリックな表現を使い過ぎている」と。
そうかなー・・・気をつけよっと。

゜・*:.。.゜・*:.。.゜・*:.。.゜・*:.。. .。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜

さて、昨日我が阪神タイガースがソフトバンクに大敗した。
でもなぜか、ちょっとうれしい気持ちがどこかにある。
宮地克彦、33歳。
昨日は7番バッターとして3打数2安打2打点。
3塁打と2塁打だった。

彼は尽誠学園時代は投手として夏の甲子園でBEST4。
確かサイド気味から切れのいいスライダーを投げるサウスポーだった。
準決勝で仙台育英に破れた後西武ライオンズ入り。
始めの何年かは投手として登録されていたと思ったが、
後に俊足としぶとい打撃を買われて外野手へ。
バイプレーヤーの2番打者としてレギュラーを掴みかけたこともあったが
結局13年間1軍半扱いだった西武から一昨年契約を打ち切られた。
そのシーズンオフは現役続行を目指してトライアウトに挑戦。
不思議な縁で、甲子園で負けた仙台育英の投手だった大越とともに
各球団のテストを受ける姿がNHKで報道された。
自分で宿泊代を捻出しながら各チームのキャンプでテストを受ける。
その合間に休息を取りに帰宅。
行き先の決まらない大黒柱に気を使う奥さんや子ども達。
そんな姿が胸を打った。

トライアウトは高校時代とは逆の結果だった。
合格を勝ち取れなかった大越は球界を去り、宮地はダイエーへ。
合格が決まり、奥さんに電話をかける彼の目がうるんでいるように見えた。
その宮地が昨年3割を打ち、2年目の今年も現在レギュラー扱いなのだ。
阪神ファンとはいいながらそんな彼を応援しないわけにはいかない。
宮地克彦、今年34歳。
現役にはあと何年もいられない。
昨年から今年の年棒は推定で1,000万→3,000万。
これから選手でいられる年数を考えると決して高い報酬ではない。
頑張れ。

ソフトバンクには苦労して4番を勝ち取った松中もいる。
無名の高校時代から社会人の頃には全日本の4番。
プロ入り後は木製バットに慣れることができず、
長いこと2軍で苦労してきた。
そんな彼が昨年は3冠王。
なんだかソフトバンクって、つい応援しちゃうんだよなー。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイドル

2005-06-01 | 風屋日記
昨日の補足・・・
そんなことばっかやってたので、学校の勉強は当然してない(笑)
同人誌を作ったのは高校3年の秋頃。
ようやくできた同人誌を持ち、得意げに国語の先生に見せに行ったら
「おめーら、今そんなことやってていい時期か?」とけんもほろろだった。
そりゃそーだけどさぁ・・・。

ということで、昨日の文章を読み返してみると・・・カッコイイ(笑)
あまりにもカッコよすぎる記述だったかなー。
いや、書いてあることは決してウソではないけど、
当然書いていないこともたくさんあるわけだ(笑)
今日はそんな話。

高校2年から3年になる春休み、
私と親友は東京の予備校の春期講座を受けるために上京した。
前年の浪人生が全員出ていった後の予備校の寮に住まい、
約10日間行われる春期講座に申し込んだ理由は・・・
もちろん10日間の東京生活を経験するためだ(笑)
講議には出たが、あとはあちこち探検して歩いたものだ。
吉野家の牛丼を知ったのもこの時だ。

ある晩、寮の1室に何人かが集まった。
私と親友、そして寮で知り合った何人かの高校生達。
スナック類を並べ、各種飲み物(笑)を持ちながらも沈黙している。
まん中にあるラジオからは女性の声と大きな歓声が流れている。
~私達は私達自身の翼で飛び立とうと思うのです~
私達はみな一様に押し黙ったまま、ラジオの音声に耳を傾けている。
~みんな、本当にありがとう!!~
・・・そう、この日は
キャンディーズの解散コンサートが後楽園球場で行われていたのだ。
「私の」ランちゃん最後の日だった(笑)

ハイ、キャンディーズ聴いてました(^^;
さすがにレコードを買ったりはしなかったけど、
きっちりエアチェックは怠りなかった。
特に「年下の男の子」と「わな」がお気に入りだったなー。

解散コンサートの翌朝、
傷心の思いで登校すべく、駅へと向かった私の目に
レコード店の店頭にあった新人歌手の等身大ディスプレイが映った。
ランちゃんの引退でポッカリ空いた心の隙間にスルリと入り込んできた彼女。
それが私と同い歳の新人アイドル石野真子だった。

お陰で今でも「失恋記念日」の振り付けが分かるし、
「ジュリーがライバル」を飲み屋のカラオケで歌って顰蹙を買ったことも(笑)

石野さん、今も女優としてそこそこ頑張ってるね。
その姿は励みになるけど、今さらアイドル時代の歌を歌うのはちょっと・・・(^^;
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする