今朝、新型新幹線のニュースを見た
最高時速405km/hとのこと。
すげえや。
東北新幹線が開業したのは昭和57年、大宮までの暫定開業だった。
当時私は某TV局の朝の情報番組のAD。
しかも担当する番組のスポンサーが国鉄だったため、
開業日のかなり前から当日の報道について綿密に打ち合わせていた。
開業当日、スタッフは盛岡、仙台、大宮にそれぞれ配置され
一番列車の出発に合わせて実況多元生中継となった。
私は大宮クルーADとしてカメラマン、VEとアナウンサーのチームのチーフだった。
当日の興奮は今でも忘れられない。
田舎の代名詞だった東北が、今その呪縛から解き放たれる瞬間だと思った。
後から放送したドキュメントの編集も夜遅くまで手伝ったものだ。
新幹線開業以前は、花巻からの上京は特急列車か夜行の急行。
特急「やまびこ」や「はつかり」は、花巻-東京間を約6時間、
夜行急行「十和田」や「八甲田」は約9時間を要した。
もちろん私が家を出て大学に進学した時も花巻駅からの特急だった。
当時の花巻駅は盛岡周辺や北上・水沢への通勤通学、
そして釜石線で花巻に通勤通学する乗客でいつもいっぱい。
特急に乗るべく大きな荷物を持った人達も待合室にあふれていた。
駅前の土産物屋で買い物をする人、隣接の喫茶店で時間を潰す人、
待合室に入りきれず、コンコースに荷物を置いてその上に座っている人。
外の世界への玄関、その向こうに何か明るいものが待っていそうな
そんな活気のある場所が駅だった。
東北新幹線開業にあたって、花巻は2つの大きなミスを犯した。
ひとつは開業時に、新幹線花巻駅を作ることができなかったこと。
北上との陳情合戦に破れて、ルートが東の山を通ることになってしまった。
もうひとつのミスは、後から新花巻駅を作ってしまったこと。
山が迫る何もないところに作った駅は、駅前開発計画も思うようにいかず、
未だにポツンと存在しながら、黙々と新幹線に乗降する滋養客を飲み込むだけ。
ランドマークにすらなってはいない。
一方、従来の花巻駅は長距離客がいなくなり、
通勤も自家用車が主流ということで、連結車輌も本数も少なくなり、
駅前広場も荒涼、閑散としてしまっている。
今にして思えば、新花巻駅など作らずに
北上から盛岡までの在来線を充実させた方が得策だったのかも知れない。
そうすれば在来線も不便→利用者が減る→本数が減る→ますます不便
というサイクルからどうにか解消できたと思うし、
駅を利用する人も増えていた。
駅前の旅館や土産物屋を利用する長距離客もいただろう。
「新幹線は人をどんどん都会へ運ぶだけ」というストロー現象がよく話題となるが、
それ以上に金のストロー現象が起きている。
中央資本の大型店やチェーン店が次々にやってきて、地元の商店街がガラガラだ。
「雇用場所と法人税を確保するための企業誘致は新幹線がないと・・・」
という人もいるのだろうが、それで地元企業が衰退するのなら本末転倒だ。
新幹線は都会の空気を運んできて、地元の金を運び去ってしまっている。
新幹線は来ない方が良かったな・・・と今になって思ったりする。
最高時速405km/hとのこと。
すげえや。
東北新幹線が開業したのは昭和57年、大宮までの暫定開業だった。
当時私は某TV局の朝の情報番組のAD。
しかも担当する番組のスポンサーが国鉄だったため、
開業日のかなり前から当日の報道について綿密に打ち合わせていた。
開業当日、スタッフは盛岡、仙台、大宮にそれぞれ配置され
一番列車の出発に合わせて実況多元生中継となった。
私は大宮クルーADとしてカメラマン、VEとアナウンサーのチームのチーフだった。
当日の興奮は今でも忘れられない。
田舎の代名詞だった東北が、今その呪縛から解き放たれる瞬間だと思った。
後から放送したドキュメントの編集も夜遅くまで手伝ったものだ。
新幹線開業以前は、花巻からの上京は特急列車か夜行の急行。
特急「やまびこ」や「はつかり」は、花巻-東京間を約6時間、
夜行急行「十和田」や「八甲田」は約9時間を要した。
もちろん私が家を出て大学に進学した時も花巻駅からの特急だった。
当時の花巻駅は盛岡周辺や北上・水沢への通勤通学、
そして釜石線で花巻に通勤通学する乗客でいつもいっぱい。
特急に乗るべく大きな荷物を持った人達も待合室にあふれていた。
駅前の土産物屋で買い物をする人、隣接の喫茶店で時間を潰す人、
待合室に入りきれず、コンコースに荷物を置いてその上に座っている人。
外の世界への玄関、その向こうに何か明るいものが待っていそうな
そんな活気のある場所が駅だった。
東北新幹線開業にあたって、花巻は2つの大きなミスを犯した。
ひとつは開業時に、新幹線花巻駅を作ることができなかったこと。
北上との陳情合戦に破れて、ルートが東の山を通ることになってしまった。
もうひとつのミスは、後から新花巻駅を作ってしまったこと。
山が迫る何もないところに作った駅は、駅前開発計画も思うようにいかず、
未だにポツンと存在しながら、黙々と新幹線に乗降する滋養客を飲み込むだけ。
ランドマークにすらなってはいない。
一方、従来の花巻駅は長距離客がいなくなり、
通勤も自家用車が主流ということで、連結車輌も本数も少なくなり、
駅前広場も荒涼、閑散としてしまっている。
今にして思えば、新花巻駅など作らずに
北上から盛岡までの在来線を充実させた方が得策だったのかも知れない。
そうすれば在来線も不便→利用者が減る→本数が減る→ますます不便
というサイクルからどうにか解消できたと思うし、
駅を利用する人も増えていた。
駅前の旅館や土産物屋を利用する長距離客もいただろう。
「新幹線は人をどんどん都会へ運ぶだけ」というストロー現象がよく話題となるが、
それ以上に金のストロー現象が起きている。
中央資本の大型店やチェーン店が次々にやってきて、地元の商店街がガラガラだ。
「雇用場所と法人税を確保するための企業誘致は新幹線がないと・・・」
という人もいるのだろうが、それで地元企業が衰退するのなら本末転倒だ。
新幹線は都会の空気を運んできて、地元の金を運び去ってしまっている。
新幹線は来ない方が良かったな・・・と今になって思ったりする。
飲み会の日は私が送り迎えをするんですが、あの遠さには、やはりまいります。
宮沢賢治に憧れていらっしゃる方達には、何も無いあの景色もかえって魅力的なのかもしれません。
東海道新幹線でも岐阜羽島駅が新花巻駅と似ていますね。(経過も違うし、地理的な条件も違うけれど駅前が発展していない点が)
花巻駅も昔は活気があったんですねぇ・・・
今では想像もできない・・・
でも私、釜石線はよく利用していましたよ。
行商のおばちゃんたちも乗っていて、そのおしゃべりを聞いているのが楽しかったなぁ。
駅の近くのバス停の二階の喫茶店も、なつかしいです。
新花巻駅からの、バスの本数が増えたらいいなぁ~・・
何もないところに新幹線ってのが悲しいじゃありませんか。
周囲に人家の全く見えない岩泉線の駅の方が
まだローカルで味があると思います。
新幹線は何か機能しか追い求めてないようで
無機質な悲しさがありますね。
来週の東京への出張も日帰りできちゃうし(笑)
>ekoさん
かつての花巻駅は田舎ながらも、やはり県第2の町でした。
思い出の中にあるからそう感じるのかも知れませんが、
やはり明るい外への玄関であり、暖かく迎えてくれる玄関でした。
新幹線の中の、コンビニのようにヘンに明るい灯りも
実は苦手だったりしています。
夜遅く出張から帰ってくる時、妙な侘びしさを感じるのです。
>にっちさん
覚えてますよ、バス停2階の喫茶店(笑)
私はそこではなくて、駅ロータリー向いの
旅館でやってる喫茶店に時々行ってました。
交番近くのメンズショップ(服屋)にもよく行ったなぁ。
あとはバス待合室内のインベーダーゲ-ムですね(笑)
私はやったことありませんが・・・。
交番近くのメンズショップでセーターを購入し(当時15,000円程)当時の彼に贈った記憶があります。
新花巻駅を利用するようになってからは、花巻駅には行かなくなりました。
今はどうなっているのですか?sayuちゃんのオフィスはご近所でしたよね?
sayuさんのオフィスも、大地座練習場所も駅そばです。
ついでに英会話の教室もね。
郊外型の店ばかりが目立つ花巻ですが、
市街地に行く機会が多いというのはいいことです。
私は週末、お昼に蕎麦を食べるためだけに
駅に行くこともありますよ(笑)