風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

沖縄戦から60年

2005-06-23 | 風屋日記
今日は沖縄での組織的戦闘が終結してから60年。
当時のことについて、微かに記憶のある人でも65歳。
大人として大変な苦労を重ねた方々は、もうすでに80歳を超えている。
その辛く、しかし貴重な体験を「つまらない」などと言わずに
私達のような、体験はしていない第2世代が受け継がなければならない。

国内で唯一の地上戦、いわば「本土決戦」のプレ体験的な沖縄戦において
私達が学ばなければならない最も大事なことは
「国や軍は国体を守るばかりで、国民は守ってくれなかった」
ということではないだろうか。

一般人が多数逃げ込んだ「ガマ」に後から入ってきた部隊が
「ここは我々の基地にするので、一般人は出ていけ」と命令を下したこと。
赤ん坊の泣き声が外にもれると敵に発見されるからと、
小さな命を簡単に奪ってしまったこと。
現地徴用によって、本来なら家族を連れて逃げなければならない立場の男達を
ろくな訓練もなしに前線に立たせて、いわば正規軍の盾としたこと。
未来ある旧制中学生、女学生達を通信員や看護婦として動員し、
最後には見捨ててしまったこと。
ガマに隠れている間の極限状態の中、
兵士達からスパイと疑われて銃殺、撲殺された一般の人々も多数いたという。

これらのできごとは、本当に過去のものだろうか。
当時だって沖縄に限ったことではないだろう。
全国各地の空襲や艦砲射撃の際にも同じようなことがあったと聞いた。
そして今、もしも日本が戦闘に巻き込まれたならば・・・。

そう考える時、
公務員や公共交通機関、生活インフラなどの仕事をしている人達が
無条件で国の管轄下に入り国土を守るべしという有事関係法案は
悪名高き国歌総動員法とどこが違うのか首をかしげたくなってくる。

もう一度いう。
国や軍は国民の命や財産を守ってくれない。
彼らが守るのは国の体制や国の財産だ。
(それどころか「国民が国を守れ」と言われるだろう)
口当たりが良い「国の防衛」「愛国心」などのことばには分警戒しよう。
防衛する「国」とは「国家」のことであり「国民」のことではないことを
つい忘れて勘違いしてしまいそうになるからだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする