風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

連綿と続く歴史と血

2020-08-23 | 風屋日記
さて60歳になった。

大正12年生まれの今は亡き親父が60歳だったのは昭和58年。
若い頃の病気再発による入院中で、休職のまま定年退職になった。
とはいえ息子の私は、諸般の理由により大学を自主的留年。
暗澹たる気持ちだっただろうなと、今になってわかる。

明治7年生まれの父方祖父が60歳になったのは昭和9年。
二・二六事件前年で、満州事変などあり、時代が暗くなっていった時代。
このころ確か花巻の町会議員をやっていたはず。
「兄たちと同じ盛岡中学に進学したい」と言い張る末っ子(私の親父)を
自らも設立発起人のひとりとなって創立し
4年目になっていた地元の花巻中学(現花巻北高・私や息子たちの母校)に
無理やりにでも入れるべく説得していた頃?

祖父が生まれたのは山口県。
明治7年といえばまだまだ日本の国は
祖父と同郷の長州閥が動かしていた時代だ。
15歳の時に大日本帝国憲法公布、15歳の時に施行。
19歳の時に日清戦争が勃発しているから
新しい時代の法律を学ぼうと、
長男ながら山口県の家を出奔した血気盛んな青年だったろう。
そういう時代だ。

父親(私の祖父)の指示通り花巻中学に進んだ親父は
軍事教練や実習ばかりでまともに勉強する環境にも恵まれず、
卒業時にも旧制高校(名古屋の八高と聞いた)を受験するも失敗。
東京で浪人生活を送っているうちに戦況悪化のため帰郷。
病気にもなり、鬱々とした生活だった由。

親父も、祖父も、もちろん母や祖母も、母方の祖父母も
さらにそれ以前の祖先たちも、
それぞれの人生を生きた結果として今私がここにいる。
そんなことをしみじみ感じる誕生日翌日。
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