風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

甲子園球場100年

2024-08-02 | スポーツ

子どもの頃のヒーローは阪神タイガースの江夏投手だった。
当時は連覇中の読売ジャイアンツの全盛時代。
特に王選手、長島選手のONは国民的な英雄だった。
そのひとりである王選手から三振を奪う
帽子をちょっと斜めに被ったアンチヒーローが江夏投手。
シーズン401奪三振やオールスターでの9連続奪三振、
そして球史唯一の延長戦でのノーヒットノーラン。
その試合、唯一の得点は江夏自身のサヨナラホームランで、
甲子園球場での試合後のインタビューで語った
「野球はひとりでもできるんやなぁ」
がまたカッコよかった。
江夏投手に憧れて以来約55年間阪神ファンだ。

高校野球の思い出の一番古いものは
1968年の三沢高校と松山商業との夏の決勝戦。
(この年は江夏投手が401奪三振の記録を作った年でもある)
実はその年、三沢高校の太田幸司投手を生で見ていた。
盛岡市営球場での北奥羽代表決定戦。
(当時の夏の大会はまだ1県1校代表制ではなく
 岩手と青森から2校ずつ出場する北奥羽大会で代表を決めた)
父親に連れられてその決勝戦を見ていたのだ。
「三沢のピッチャー球速いなぁ」
と呟いていた父親の声を覚えている。
甲子園での決勝は延長18回再試合となり
翌日松山商業が4-2で勝利し優勝。
それ以来何度か東北勢は夏の甲子園決勝まで勝ち上がったが
一昨年の仙台育英が優勝するまで優勝校が出なかった。

その3年後には父親の母校で、
私自身も、そして息子たちもその後入学することになる
花巻北高が夏の甲子園出場。
さらにその2年後には盛岡三高がさわやか旋風を巻き起こし
夏の甲子園で3回戦まで進んでいる。
こうやって時系列で並べてみると、
私が野球好きになった経緯がよくわかる。

高校入学後、野球部に入ろうか迷い
一緒に入ると言っていた同級生と1度練習に参加したが
いざ入部届を出そうと言っていた日の朝
その同級生が急に「ハンド部に入ることにした」と。
高校で野球部に入るというタイミングを逸したのだった。
でもやはり甲子園への憧れは消えることなく
いまだに開会式のファンファーレや
大会歌「栄冠は君に輝く」を聞くと胸が熱くなる。
そんな聖地甲子園は昨日100周年を迎えた。

あまりに思い入れが強すぎるのかもしれないが
甲子園に出場するチームは県代表としての姿勢を見せてほしい。
流行りに乗って、帽子を変形させたりちょこんと乗せたり
そんなことはして欲しくない。
道具を大事にするのと同じように、スタイルも大事に。
甲子園の強豪校を見ていると
どこもスタイルはきちんとしているし態度も立派だ。
一番感銘を受けたのは
何年か前に見た県立岐阜商業の記録係。
詰襟をきちんと締めた学生服で、学帽も被っている。
これこそ強豪校の矜持だろう。
悪貨は良貨を駆逐する。
強い意識で自らを律しないとそのチームのみならず
高校野球の文化そのものも無くなってしまう。
甲子園というブランドを大事にして欲しい。
コメント
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