昔の花巻
2021-11-10 | 社会
湯口や太田、湯本の人たちは街に出るのに電車を使った。
花巻電鉄は東北最初の電車だった。
花巻駅ではなく、西花巻がターミナルだった。
現在の税務署〜消防署のあたり。
西大通りの通りも、アルテ前の道路も昔は無かった。
星ヶ丘や桜台はひたすら田んぼ。
花中あたりから松園町までは何もない1本道で、
夕方になると通るのが怖い感じだった。
末広町の陸橋下には機関車の回転台があった。
祖父と街に出かける時は、
いつも踏切じゃない東北本線の線路を横切って行ったものだ。
その先には花巻にもバスセンターがあった。
花巻市内にはデパートが4つもあった。
マルカンデパート、花巻デパート(花デパ)と
寿デパートと高千代デパート。
映画館は東宝と花巻座、中央劇場の3つあった。
さらに昔は文化劇場というのもあったらしい。
戦前に作られた映画「風の又三郎」は
中央公民館で見た記憶がある。
とにかく喫茶店があちこちにあった。
個人的によく行ったのは絵夢、ライムライト、茶居夢、
レブロン、ルーブル、ぐがーん、エルグレコ、
ラズベリー、ラパン、サントス、TOMO、ぶらん・・・
残っているのはぶらんだけだね。
ラパンは経営者が変わって営業再開。
当時は行かなかったけど、あれいとミリオンも老舗。
喫茶店にひとりで行くと
大抵マスターや他のお客さんと会話を交わしたものだ。
意外に大判焼き屋が多かった気がする。
花デパの隣とか、新道の交差点近くとか、吹張町とか。
たこやき食堂なるものも中学生には人気だった。
醤油たこやきがウリだったけど、
個人的には関西風の透き通ったツユのうどんが好きだった。
コンビニはなかったけど
その代わりオートスナックフレンズがあった。
今の警察署のあたりかなー。
夜中でもうどんやハンバーガーが自販機で買えた。
吹張町を通ると、音声放送で市内のお店のCMが流れていた。
「一品香 一品香 一品香
ラーメンも一品香、餃子も一品香・・・」
北高も南高も谷村学院(現東高)も街に近く
上町や吹張町あたりには高校生がたくさん
自転車で通ったり、歩いたりしていた。
花巻の市街地は、とにかくハレの場所。
いつも人々で賑わっていた。
上町や吹張町だけでなく
一日市や鍛冶町にもアーケードがあった。
「まちに行くならちゃんとした格好していけ」と
よく親から言われたものだった。
昭和40年代から50年代にかけての花巻の記憶。
懐かしいなぁー。私は70歳が近づいていますが、今の文化タクシーの向いに文化座と言ってた気がしますが映画館がありました。当時は入れ替えが無かったので、朝から夕方迄繰り返し観る事が出来ました。
今でもディズニーの映画を繰り返し観た事を覚えています。今は、そんな事は出来ませんね。良い時代だったな~。
文化座の主人が、のちに中央劇場に移ったと
ごく最近知りました。
当時市会議員だった三田悊さんの経営でした。
太宰治と交友があり、学徒動員で戦死の後
「散華」という作品の主人公として書かれた
三田循司の弟さんです。