風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

想像

2024-02-02 | 社会

この件、報じられて以来気になって仕方ない。

1954年に広島県の名家生まれで、
明治学院大学に入学したのは1972年。
高校時代にテレビなどで安保闘争は見ていたはずだ。
当時の10代、20代にとって
反権力を掲げての連帯はメジャーな価値観だった。
誤解を恐れず例えると、今で言うところのトレンド。
「早く自分も大学に入って上京し、連帯したい」
と、恐らく「彼」も、強烈なイデオロギーからではなく
当時の社会の流れに乗りたかったのではなかろうか。

しかし「彼」が大学に入る頃には全共闘の大きな波は鎮まっていた。
大学では最初映画研究会や同和研究会に所属したとのこと。
その経歴で、人となりを想像できる気がした。
意気込んで上京したものの、肩透かし。
当時の活動家学生にとって映画はモチベーションだったし
(全共闘の学生たちの憧れは高倉健だった)
同和問題はある意味社会活動の原点のひとつでもある。
「こんなはずじゃなかった」と
不完全燃焼のまま鬱々と過ごす学生の姿が見える気がする。
なぜそんなことがわかるかって?
「彼」の6年後に進学上京したワタシも同じだったから。
時代が違っただけで、もう少し早く生まれていたら
ワタシも「彼」と同じような人生を歩んでいたかも知れない。

「まつりの後」には、散り散りになった活動家の中から
より過激な、残ったグループが浅間山荘事件を起こし、
一方で東アジア反日武装戦線は爆弾闘争を行なう。
これもあくまで想像なんだけど
「彼」は「ようやく見つけた!」とばかり、
ワクワクしながら活動に参加したのではなかろうか。
まさかその選択が自分の人生を大きく変えるとは思わずに。

50年にも及ぶ、身を隠す生活。
「逃げただけだろ」みたいな簡単なものではないはず。
身分を証明するものも、健康保険証も社会保険もない生活は
想像を絶する孤独と不安な日々だったはずだ。
犯した犯罪や罪は消えないし、今も苦しむ犠牲者や遺族もいるから
そんな人生を選んだのは「彼」自身であり、当たり前ともいえる。
決して簡単に許される犯罪ではない。

でもね、「極左過激派」というイメージとは似ても似つかぬ、
臆病で隠れ住む小動物のような印象なのだ。
「最期は本名で」とはムシのいい話にも思えるけれども
実はその言葉を知って少しウルっとした。
少々お調子者で、あまり深く考えることなく活動に参加し
コトの重大さに怖気付き、
罪を償う勇気もないまま、身を切るほどの後悔を抱えつつ
ビクビクしながら生きた50年余りの人生が
「最期は本名で」のひと言に込められている気がするのだ。

もしかしたら、「彼」はワタシだったのかも知れない
・・・などと思いつつ、報道を複雑な思いで見る。
現代の価値観で判じて欲しくない。
当時の社会は、価値観は、今とは違うのだ。
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