風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

幸せのモノサシ

2011-12-08 | 世界・平和
今読んでいる本の舞台のひとつはポルトガルの小さな漁村。
何代も続いて同じ石造りの家に住み、
仕事をし、街のカフェでお茶を飲み、
夜は仲間と小さなレストランで酒を酌み交わして
家では家族とともに過ごす。
若い人も、老いた者も、男も、女も。
日曜には教会へ通い、隣近所で挨拶を交わしあう。
つつましく、ささやかで、そして幸せな日々。

先日話題になったブータンも
昔ながらの生活を守り、伝統と自然を重んじ、
それでも若い人達は海外のポップスに耳を傾けて踊る。
そこにもつつましく、ささやかで幸せな日々がある。

日本人はまじめで、勤勉で、
昔からより良い生活を求め続けてきたと思う。
それが明治期の急激な文化発展や
戦後の復興に繋がったのだと思う。
しかしあまりにまじめ過ぎ(?)
常に現状に満足することなく上を目指し続けた。
その結果
「もっと良くなるのではないか」
「もっと楽になるのではないか」と
周囲を見渡し、他人と自分を比べてしまう。
他人よりも上に立ちたい。
他人に負けたくないと無意識に思い続け、
その世界は徐々に矮小化する。
古いものを壊し、常に新しいものを求める。
建物も、生活も、慣習も、伝統も。
果てには、人より上に行けないと感じると
自分より弱い立場の人間へ攻撃を始める。
自分の優越感を満足させるためだけに。

私達日本人は
何か大切なものを忘れてはいないか?
今あるもの、自分の立場や取り巻く環境を認識し、
その中でささやかながら幸せを感じる感性を
どこかに置いてきてはいないか?
今より便利な生活や今持っている大金が
果してあなたに幸せを運んで来るか?
ひとつ上を手に入れると
更に上の何かを欲しくはならないか?
いつになったら満足できるのか?

足を地につけ、周囲を見渡し、
もう一度自分が何者であるのか、
幸せのモノサシはいったいどこにあるのか、
考えてみないか?
人に勝つことより大切なことはないか考えてみないか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする