風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

防災の日

2005-09-01 | 風屋日記
大正12年9月1日正午頃、関東大震災が起きた。
ここ10年の間にあった阪神淡路大震災、スマトラ沖地震に並ぶ大災害。
この日この時間を境として人生が変わった人もたくさんいたと思う。

私の祖父は木炭商だった。
長州出身ながら、職業軍人として盛岡へ赴任。
当地で除隊後、花巻の山奥に単身乗り込んで炭焼き技術を伝え、
その後それらの木炭を花巻から首都圏へ卸す仕事をしていたとのこと。
生産地を開拓し、生産地に密着しながら営業活動をするという、
現代の農協がすべきだと思われる商売の方法を自ら編み出したのだという。
82年前の今日、東京の倉庫に預けてあった出荷済みの木炭が全部焼けてしまい、
一瞬にして祖父は借金を抱える身となった。
私の父が生後6ヶ月だった頃の話だ。
その後の祖父は岩手木炭移出業組合の組合長として細々と暮らすことになる。

数年前に100歳で亡くなった父の伯母は、当時日本女子大の学生だった。
盛岡で大きな商売をしている家に生まれ、
他の同年代の女性達が嫁入りしていた年齢になってなお
女子大入学という、大正期の女性としては破格の育ちだったという。
学問も好きで、大学での研究はとても楽しかったと生前聞いたことがある。
夏休みで盛岡へ帰省している最中に震災があり、大学校舎は全壊。
大学の再建には当分時間がかかると聞いた伯母は
親の勧めもあって、学問を諦めて医師の元へ嫁入りしたとのこと。
震災がなかったら、どんな人生が伯母を待っていたのだろうか。

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関東大震災では、混乱とパニックの中、
在日朝鮮人の方々への迫害や虐殺があったと聞く。
後に満州映画会社総裁となった甘粕正彦憲兵大尉が
反体制の社会学者でもあった大杉栄夫妻を殺害したのもこの時だ。
情報不足と、防災への不備と、そしてそれらによる大きな不安がパニックを生む。

昨日イラクで、このパニックにより千人近い人達が亡くなったとのニュースを見た。
「いまだ戦乱の地だから」とひと事のように構えているわけにはいかない。
「迷信やデマがはびこるのは文化度が低いから」などと堂々と口にする人達もいるが、
それはあきらかな欺瞞だ。
大都会で大きな災害が起きた時、大地震による津波が地下街を埋め尽くした時、
確かな情報を得ることができない人々はどんな行動に出るのだろうか。

防災訓練ももちろん必要だが、そんなことを考えてみる日にしてもいい。
コメント (2)
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