ちょうど5年前の正月、70歳過ぎても何の趣味もない自分。絵や書も遠く、音楽やスポーツにも疎い私だが、何とかささやかな嗜みにしたいと始めたのが俳句。詩歌やモノ書きに挑むほどの才も勇気もなく、どうにかモノに出来るかと軽はずみで始めた。世の中の俳人や俳句を嗜んでいる方々のお叱りを覚悟で、朝日カルチャーセンターの俳句通信講座に入会した。平成26(2014)年2月、いまは亡き金子兜太先生の教室だったが、実際にアカを入れてくれたり、指導してくださる先生は、武田伸一「海程」編集長だった。
三年半ほど、毎月俳句らしくない私の俳句を月5句通信添削していただいたり、年に一・二度の教室での授業にも参加させていただいた。一日一句ミニマムをノルマっぽく詠句し、句帳がわりのPCに入力ファイルする。この5年数だけは目標達成、一年400句弱、この5年で2000句ほどがファイルされている。俳句の初歩的な約束ごとや詠み方も知らず、季重なりあり、説明詠みあり、散文調ありで、なかなか俳句にならない。甘く自撰しても年400句のうち、俳句らしく思えるものは、50句にもならない。
このようなレベルにもかかわらず、私はこの5年で自撰の俳句集本を四冊も上梓した。最初は平成27(2015)年3月発行の『2014年甲午私撰月季俳句集”はじめての俳句”』で、1月から12月までの月3~4句の年42句にエッセイを付けて本にした。2回目が平成28(2016)年発行の『平成27年吉澤兄一私撰月季俳句集”日々折々日々句々”』、平成27(2015)年一年の俳句ファイルより65句をまとめ本にした。3回目の本は、平成30年(2018)年1月発行の『吉澤兄一私撰俳句とエッセイ集”四季の自然と花ごころ”』。平成27年から29年までの句集PCファイルより144句を私撰して本にした。
同じ年(2018)の12月には、平成も終わる三十年と自分の喜寿を記念して平成三十年の句帳より月々の俳句8句+αの合計百句を自撰し、『平成三十年喜寿記念月季俳句”百句私撰集”』を出版した。平成30(2018)年1~12に詠みファイルした391句より百句を無理やり自撰しての本だ。こうして、自分の厚顔を顧みず自分をさらした5年だったが、一年一年少しでも俳句らしくなってきているのではないかと思っている。ことしも、これからもよろしくです。
三年半ほど、毎月俳句らしくない私の俳句を月5句通信添削していただいたり、年に一・二度の教室での授業にも参加させていただいた。一日一句ミニマムをノルマっぽく詠句し、句帳がわりのPCに入力ファイルする。この5年数だけは目標達成、一年400句弱、この5年で2000句ほどがファイルされている。俳句の初歩的な約束ごとや詠み方も知らず、季重なりあり、説明詠みあり、散文調ありで、なかなか俳句にならない。甘く自撰しても年400句のうち、俳句らしく思えるものは、50句にもならない。
このようなレベルにもかかわらず、私はこの5年で自撰の俳句集本を四冊も上梓した。最初は平成27(2015)年3月発行の『2014年甲午私撰月季俳句集”はじめての俳句”』で、1月から12月までの月3~4句の年42句にエッセイを付けて本にした。2回目が平成28(2016)年発行の『平成27年吉澤兄一私撰月季俳句集”日々折々日々句々”』、平成27(2015)年一年の俳句ファイルより65句をまとめ本にした。3回目の本は、平成30年(2018)年1月発行の『吉澤兄一私撰俳句とエッセイ集”四季の自然と花ごころ”』。平成27年から29年までの句集PCファイルより144句を私撰して本にした。
同じ年(2018)の12月には、平成も終わる三十年と自分の喜寿を記念して平成三十年の句帳より月々の俳句8句+αの合計百句を自撰し、『平成三十年喜寿記念月季俳句”百句私撰集”』を出版した。平成30(2018)年1~12に詠みファイルした391句より百句を無理やり自撰しての本だ。こうして、自分の厚顔を顧みず自分をさらした5年だったが、一年一年少しでも俳句らしくなってきているのではないかと思っている。ことしも、これからもよろしくです。