吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

55年体制で経過した自分抄史③

2011年06月03日 | Weblog
③ 何かにつけ2007(平成19)年は、自分の転換の年。満65歳、高齢者の仲間入りだ。年金もフルにいただくようになった。わたしが小さな団体の事務局(日本豆乳協会)に勤め出したのも、この年だ。

 2007年2月18日、第1回東京マラソンが開催された。わたしの恩師西野義雄先生が出場し、完走された。もうすぐ80歳になろうとしていた。それまで、ボストンやハワイ・マラソンにも出場し、最多出場のニューヨークシティ・マラソンでは、年代の部4連覇の実績(70代)だ。この東京マラソンも、3時間50分台で完走された。その恩師は、もういない(2010年4月ご逝去)。

 この年(2007)7月の参議院選挙で自民党が大敗、与党が過半数割れした。変化の兆しを前に保守しようと、その後の自民党は一年未満の総理を輩出して2009年の8月30日(衆議院総選挙)を迎えるのだが、その間の安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の超短期政権は、つぎの民主党政権になっても引き継がれた。

 格差問題やネットカフェ難民や日比谷の年越し派遣村などが世情を象徴してむかえた2009(平成21)年8月30日(総選挙)。保守自民党が大敗、民主党が単独過半数を得て圧勝した。さんざんコンクリートと仲良くしてきた小沢一郎・民主党が、「コンクリートから人へ」などと言って鳩山由紀夫新首相を担いだ。

 相変わらずの口の軽さやパフォマンス政治の鳩山首相もそれまでの自民党短期首相と同じく、一年定期でバトンを菅首相に繋いだ。市民運動並みの思いつきや軽口の菅首相は、歴史上最大級の国の危機、東日本大震災福島原発事故災害への対応でも、大きく失点した。ムラ社会の崩落も近そうな民主党が土壇場でとどまった(6/2)が、ただ政治コップの中の喧噪に終わった(2011年6月3日)。

 お手並み拝見と言っていられないこのごろを、どう過ごそうか悩むところだが、55年体制下のこれまでの日本に自分史を重ねて、このブログを綴じる。

 
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