吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

放射線量ー測定観測ごっこ世情

2011年06月10日 | Weblog
東電や政府の観測モニタリング・ポストでは、不足だ。不満だ。ホットポイントが漏れている。自治体や町会だけにも任せられない。結局は自分で測定、確認しなければ安心できない。いまや、風潮や不安が風評や不満と不信を生み、自分のことは自分で守らなければという空気が広がる。

自治体の行政や政府は、常に広がりやレベルを確かめたく、モニタリングし、計測する。地域全体や目的的対象の放射線量を測定し、その傾向や動向を把握する。被災をミニマムにし、避難や注意指示を発するためだ。ひとり、誰かさんを守るためではない。不安に思う人やチェック不足を訴える人が出る。情報の値やレベルや量が、パニックを引き起こしたりすることの心配もするのが、行政や測定をしている側だ。

 毎日のように発表されるマイクロシーベルトやベクレルという数字が、自分や地域にどのように影響するかも知らない。放射線量やマイクロシーベルトが、何処で何を対象に計測されたものかも知らない。数字や値が、何かおそろしいモノに映る。大気なのか何か樹木やその葉っぱなのか、身の丈ぐらいの高さで計られた値なのか、何百メーターの高さなのかも知らない。

 空気、土、土壌、家、屋根、雨どい、庭や校庭、家の中、水、水道、下水、雨水や海水、そして街路や自分たちが触れるモノなど、観測や測定対象物は、限りない。野菜や家畜や田んぼだけではない。土1kgあたりベクレルや地面から1メートルのマイクロシーベルト/h などの値と、年間や瞬時の限度放射線量などを教えてもらっても、それを得て、どのように行動していいのかわからない。

 モニタリング・カメラだって、防犯カメラもあれば監視カメラもある。ときには、ストーカー・カメラっぽいものもある。公の観測点、個人の観測点、目的的観測点もあれば継続的観測点もあるだろうモニタリング・ポストだ。「ここよりもここだろう」などと思う人が大勢いる。不安と不信が、自分にカウンターや測定器を買って持たせる。その機器の精度や品質も知らないのだが、それでいろんなホット・ポイントを測る。

 そんな風潮をやめろともいえない政治や世情が、ただいまの日本だ。一億人全員が、毎日ガイガー・カウンターでガーガーやって暮らす明日を思いたくない。
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